いつも背筋がしゃんとしていて、何でもテキパキとこなし、あなたが悩んでいる時には的確なアドバイスをくれた、あの頃の親。
その姿が、記憶の中で鮮明であればあるほど、目の前の現実が辛く、寂しくなることはありませんか?
小さなことで不安になったり、何度も同じことを繰り返したり、あるいは、昔はしなかったような我儘を言ったり…。
そんな親の姿を見るたびに、「これは、私が知っているお母さん(お父さん)じゃない」と、胸が締め付けられるような、言いようのない寂しさを感じてしまう。
もしあなたが、そんな風に感じているのなら。その感情は、あなたが冷たいからでも、薄情だからでもありません。
それは、あなたが親御さんを深く愛し、尊敬していたからこそ生まれる、あまりにも切実な「悲しみ」なのです。
それは「まだ生きている人」への、静かな“お別れ”
あなたが感じているその寂しさの正体は、「喪失感」です。
私たちは「喪失」というと、誰かが亡くなった時のお別れを想像しがちです。しかし、介護における喪失は、もっと複雑で、誰にも理解されにくいものです。
親御さんは、確かに今、あなたの目の前にいます。
けれど、あなたが知っていた、あの頼り甲斐のあった親御さんは、少しずつ、姿を変えていく。
この「いるのに、いない」という感覚。
これは、心に大きな混乱と悲しみをもたらします。
周りの人からは「まだご健在なんだから、幸せじゃない」と言われ、この悲しさを口に出すことさえ許されないような気持になります。
でも、あなたは悲しんでいいのです。
寂しさを感じていいのです。
あなたが知っていた親御さんの、一つの側面と、静かにお別れをしている最中なのですから。
「記憶の中の親」と「目の前の親」
この寂しさと上手に付き合っていくために、無理に「今の親」だけを受け入れようとしなくても構いません。
あなたの中には、二人の親御さんが存在しています。
一人は、「記憶の中の、輝いていた親」。
もう一人は、「目の前の、助けを必要としている親」。
そのどちらも、紛れもなくあなたの親御さんです。
「昔はこうだったのに」と、記憶の中の親と比べて、目の前の親を否定する必要はありません。 逆に、「今の親」を大事にするために、「記憶の中の親」を無理に忘れ去る必要もありません。
記憶の中の親御さんとの楽しかった思い出は、あなたの宝物として、そのまま大切にしてください。 そして、目の前の親御さんとは、新しい関係性を、ゆっくりと築いていけばいいのです。
それはもう、昔のような深い会話ではないかもしれません。
ただ、手を握るだけ。一緒にテレビを見て、同じ場面で笑うだけ。そんな、ささやかな時間かもしれません。
でも、その小さなつながりの中に、新しい愛情の形がきっと見つかるはずです。
あなたのその寂しさは、豊かな愛情の裏返しです。 どうか、その感情を否定せず、ご自身の優しさを誇りに思ってくださいね。