電波少年的懸賞生活

記事
コラム

1) 伝説の番組

思い出のテレビ番組『進め!(進ぬ!)電波少年』。
伝説的な番組で、毎週楽しみにしていた思い出の番組です。

いまや有名人である有吉さんの猿岩石の「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」やRマニアの「無人島脱出」などの企画にとても熱中していた青春時代でした。なかでもなすびさんの「電波少年的懸賞生活」はとても画期的な企画でした。

企画開始の際に土屋敏男プロデューサーがオーディションと称して若手芸人を集め、くじを引かせる。その中で1本しかない当たりくじを引いたのが当時無名で若手芸人のなすびであった。
(wikiより)
なすびは当たりくじをひいたあとそのまま目的も知らされずアイマスク・ヘッドホンを着用させられ移動。ワンルームの部屋へ連れて行かれ、プロデューサーに衣服・下着一式を全て没収されてしまう。まさに裸一貫の状態から総額100万円分当選するまで懸賞だけで生活する、という企画内容を知らされ愕然とするが、あまり深く考えず承諾し、懸賞生活が始まった。(wikiより)

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2) 懸賞日記

懸賞生活中になすびさんが書き留めた日記は書籍となり、韓国編を含めて6巻。当時すべて購入し、全巻読んでいた記憶があります。
番組中に登場するなすびさんの読みやすい字が、とても強烈な思い出でして、なんてこんなきれいな字なんだ!と心を揺さぶられた思い出があります。
また、文章も知的で内容はとても面白く、こんな文章が書けるようになりたいなと思っていました。
普段のメモなどで書く字は、なすびさんの影響を相当受けています。

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3) なすびさんの現在

なすびさんは1998~1999年の約1年3か月の懸賞生活終了後、ドラマなどで活躍し、東日本大震災を受けエベレスト登頂に成功しました。

2013年、東日本大震災で被災した故郷・福島県の復活と再生を祈願しエベレスト登山を実行、5月20日に登頂への最終アタックを行うも、山頂から100メートル下で無念の撤退となりエベレスト登頂はならなかった[6]。2014年にも募金で数百万円を集めエベレストに再挑戦するが、大規模な雪崩発生によりシェルパが登山をボイコットしたため登頂を断念。2015年に再び募金で数百万円集め、みたびエベレストに挑むが、4月25日に発生した大地震と、ベースキャンプで起きた氷河崩落事故の影響で断念。2016年5月19日、4度目の挑戦にして遂に登頂に成功した。(wikiより)

現在はご実家の福島県で観光大使などさまざまな活躍をなさっているようです。今後ともなすびさんのご活躍をお祈りしています。



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