資格を取れば良い
地位があれば偉い
お金があれば良い
そのように思っていました。
現実に私自身も
最近は資格の勉強ばかりしていて、
「勉強してエライ!」と言いたいところですが、
何か資格を取れば
「何者か」になれると思っていたのです。
しかし
資格を取ったとしても
「何者にもならなかった」
というのが現実です。
仏教では・・・。
何者かになるのではなく
何者にもならない。
求めていない時
人は他人と比較していない。
求めていない時
自分自身と向き合っており
心が静寂な状態。
これこそ自分の中に軸がある
自分の心が整っている状態で
幸せであるという状態。
目標があればもちろん生活にハリが出る。
私の場合は「資格試験」という目標があったから
生活にハリは出ましたが、
いざ取ってみると
妙な空虚感。
そして、
追い求める目標が無く、
次の目標へと移る。
一見、次の目標を目指すことは良いことのように思えますが、
これが私の場合「欲」でもあるのです。
氷河期世代、資格を取ればなんとかなるかな
と思う「欲」
資格を取れば周りと少しは差が出るかなという「欲」
そして学歴が低いというコンプレックス。
このようにして
幸せになりたいという願いが
時には幸せを失うことになる。
余裕がなく、
躍起になる心。
何も求めていなければ
運がある。
なぜならば余白があるから。
余白に運が入ってくる。
無理に何か動かそうとしない人こそ
運や縁が入る。
人は何も持っていない時
価値がないと錯覚するが
何かに縛られていないことが
自由であり、
価値がある。
手放すことで
運の入る「余白」ができる。
求めるのではなく
受け入れる。
大切なのは
自分の人生を諦めることではなく
「静けさ」と調和することで
誰かと比べなくとも幸せである。
幸せは静かに整った心にある。
このことから
今、資格の勉強などを辞めて
何も無い状態になろう!!
と思えるか・・・・?
いや、勉強は続けます。
資格取得をして「何者か」になることを目標とせずに
勉強そのものを楽しむことにしよう。
勉強そのものが楽しいと思う時は
「わかった」とき。
「知識が定着している感覚がある時」
と
「学んだことが日常で活かされた時」
である。
もっともっと「先」に進みたい
もっともっと他人と比較して知識が欲しい。
ということを手放して、
勉強そのもの
今、ここ
を大切にして時間を過ごしてみよう。
と感じました。