不登校問題がまさか我が子に起こるなんて!
うそだ、そんなことが起こるなんてあり得ない!
それが、初期の私の頭の中にあった正直な感情でした。
・明るくて、お友達との問題がこれまで全く起こらなかった子
・先生や外からの評判が考えられないほどよかった子
・あまり小さなことで長くクヨクヨしたりすることがない性格
・前向きで失敗も「ご愛嬌」という印象を与えるユニークな子
それが、娘に対するそれまでの母親の私から見た印象でした。
けれども、一旦起こった「不登校」の状況は日に日に悪化し、学校へ行くことが出来ないだけではなく、
突然の家出、夕飯を家族で食べることの拒絶、家族が起きている時間帯には自分の部屋から1歩も出ない生活、部屋へ入ると布団をかぶり「出ていけ!」「あっちに行って!」という別人のような攻撃的な言葉をぶつけて話し合いなどにも応じない、セルフネグレクトのような生活…。
そんな状況へとみるみる進んでいきました。
ここから詳細までを追っていくと、おそらく5万字は超えると思うので(笑)不登校の何が苦しかったのかを今回は経験がない方にも理解して貰えるように簡単に書いていきたいと思っています。
正直、離婚前後の苦しみや葛藤、絶望感に匹敵するくらいの、本当に母親としては「死の淵」を見るような時間でした。
私の場合は、それでも比較的短期間(それでも10か月ほど)にこの状況を打開出来たので最悪のシーンは免れることが出来ましたけれども、
2020年の9月頃には、もう生きて年を越えられないかもしれない、という想いもしていました。
その位、我が子が不登校になってしまった時の母親というものは、子供と同じように追い詰められていくという事をまず、周りの方は十分認識しておく必要があると思います。
そして、もしそのような状況のお母さんが居たとしたら、
必ず突破口は見つかるし、
そこを親子で見つけ、乗り越えた時、
本当にかけがえのない尊い宝物を
親子で手に入れることが約束されていますからね、とお伝えしたいです。
不登校が発生してから母親側の不安、苦しみについて、(私の体験したケースですが)発生の時系列で振り返ってみたいと思います。
①中学校へ行けなくなるなんて、学習の遅れをどうしよう。
②夏期講習代も塾代も家庭教師のお金も支払っているのに無駄になってしまう。(シングルマザーでブラック企業に何度も泣き、命を削って作ってきた金銭でもあった為、なぜそういう気持ちが我が子は理解できないのか、という憤りに近い感情。)
③もうすぐ高校受験なのに、夏休みもまるまる寝たまま過ごすなんて…。どういうつもりなんだろう。私は母親としてどうするべきなんだろう。(学校はコロナと受験で我が子の事なんて構っていられないようだ。学校に頼っていてはいけない、という思い。)
④塾の先生に相談しても(実は1年前も学習面の相談をしていた)もう高校受験を離脱した戦力外の生徒として扱われ(塾の広告宣伝に寄与しない生徒)「お宅のお子さんは堪え性がなくて、甘えている、みんなコロナでも勉強している、こちらは十分にやっている」と言われ、心の底から怒りを覚える。
⑤両親(私の両親)からは子供が義務教育を放棄して学校へ行かない事をそのままにしておくなんてお前も親として義務を放棄している!と責め立てられ、全く論点がズレている国家論で説教をされる。(おそらく夫がもしいたら、同じように責められていたに違いない。)
⑥友人に相談しても「原因は何なの?」と聞かれるだけで解決にはつながらない。不登校の実際の現場を知らない人たちは「原因」を探したがり、見つからなければそれらしいもののせいだと思い込む。
⑦高校受験自体が出来ないかもしれない。仮に中学中退となったら、将来社会で生きていけなくなるのではないかという、終わりのない絶望のトンネルに見えて来る。
⑧大人になっても引きこもり続けたら、私がずっと養っていかなければならないのか?青春もなく引きこもりをして大人になるのか?果たして私に生涯娘を支え続けることが出来るのか?
⑨様々な不登校の本や情報、体験談を集めて、読み漁る。心に刺さるものと、そうでないものがあると感じる。そして、考えていた以上に過酷な戦いになるかもしれないという気持ちになってくる。自分の心もかなり不安定であることを自覚するようになる。
⑩外側から様々な「原因」を指摘され続けた結果、自分自身の人間性や離婚の選択、会社で働き詰めだったことなど、自分の存在やあらゆる生き方・選択が子どもを地獄へ落としてしまったかのような想いになる。
これまで歯を食いしばって子供を守るために働き続けてきたこと、離婚後も絶望に飲み込まれないように戦い続けてきたことのすべてが、バカバカしく思えて来る。
⑪子供が死にたいと言い出す。母親の自分も同じ思いであるという考えがあり、最悪のシーンを想像するようになる
<以降、回復へ進みだしてから>
⑫子供を自分がなんとしても守る、という決意のもと、義務教育が云々と批判を繰り返してきた両親の批判をガン無視することで、私と両親というひとつ上の親子関係に亀裂が生じる。家庭全体が不穏な空気となる。
⑬学校とも事務的な連絡のみで、基本的に娘を主体とした選択をするようになる。(やっぱりちょっとおかしい家庭、という印象を持たれているのが分かるようになる。それも心を強く持ってガン無視。)
⑭ごく僅かの信頼できる人と娘と私、という小さな世界での戦いがじりじりと続く。報告できる相手もほとんどおらず、孤独な戦いが続く。消耗戦。
⑮娘の未来や可能性などは完全に諦めた私の両親、学校の担任の先生、塾の先生などには頼らずに、
母親である自分自身で娘の進学の可能性や、そのための情報をギリギリまで収集し、準備、手続きなどを進めていく、娘が気に入ってくれるといいと祈りを込めて提案と感想引き出すことを繰り返す、地道な作業に多大な時間と労力を費やす。
⑯ここで闘わなければ、この問題は10年、20年のスパンの大きな問題に、あるいは大人になっても影を残す問題になると考えたことで、思い切って経済活動を全て停止して取り組む。貯蓄と時間と精神力の闘い、その中での孤闘という、修行僧並みの生活が続く。
今思うと、ここまでの数々の苦しみは、体感レベルでは完全に孤闘でしたが、本当は、同時期に同じくらい過酷な状況で、娘もひとりで闘ってきていたんだと再認識します。
見えないところで闘い続けていた娘の姿を想像すると
ああ、一緒に共闘していたんだよね。
本当にふたりとも、
よく頑張ったよね。
一緒に乗り越えたんだよね。
って、考えるたびに何だか涙腺がゆるんでしまいます。
そして、そんな激闘の記憶を、親子という限られた時間の中で、一緒に刻むことが出来たことを考えると、本当にこの時間はかけがえのない親子の思い出であり、他ではつくることができない大きな絆をつくったとも思っています。
娘はというと、
現在高校へ無事進学して、笑ってしまうぐらい
何ごともなかったかのように青春を謳歌して、
友人たちに囲まれ楽しそうな高校生活を送っています。
1年前からすると、想像もできないような未来に今います。
だけど、そうやって
あまり人が転ばないところで大コケをした娘は
今、自分が暮らしている「高校生活」を、
本当に大切に大切に暮らしています。
人との関係も、世界も
ぜんぜん今が当たり前ではなくて、
本当はとても繊細で、
自分が大事にしなければ、
あっという間にすべて壊れてしまうかもしれないものなんだということを
15歳にして、彼女は学んだのです。
これは中学校へちゃんと行けていたとしても、
教えてなんてもらえない類の学びだとも思います。
私自身も、娘が元気に笑って暮らしているというその事実が、
どれだけ私の人生の価値、存在の価値を支えてくれている宝なのかを
知ることになりました。
きっと、これが、
私たちに振ってきた神様からの課題の
真の意図、ゴールだったのだと思っています。
私たちは不登校が起こる前よりも
幸福な母子です。