……さっきの子、前からよく話しかけてたよな
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コラム
月曜日の放課後。
冬の空はいつもより早く暗くなっていた。
凪は図書室へ向かう途中、
昇降口の近くで後輩の男子に呼び止められた。
「凪先輩、
この前のプリントのお礼、言いたくて…!」
少し顔を赤くして、
手に何か小さな包みを持っている。
(……また?)
この後輩は凪のことを“憧れ”だと言って、
何度か話しかけてきていた。
「これ、よかったら…
先輩、いつも優しくしてくれるから」
凪は困り笑いをしながら受け取ろうとした。
その瞬間――
ガシャン、と靴箱の扉が乱暴に閉まる音。
振り返ると、
悠真が真っ直ぐにこちらを見ていた。
表情は何も変わらないのに、
その目だけがいつもより冷たく揺れている。
凪の胸がザワッとした。
「……図書室、行くんじゃなかったの?」
悠真の声は、静かだった。
でも――
(怒ってる……?)
後輩の男子は空気を読んだのか、
「すみません!」と
背中を丸めて逃げていった。
凪と悠真、二人だけが残された。
昇降口の外へ出ると、
寒い風が吹き抜ける。
「……さっきの子、
前からよく話しかけてたよな」
悠真は俯いたまま言う。
声の奥に少しだけ棘があった。
凪は胸がぎゅっと締めつけられた。
「別に……何でもないよ。後輩だし」
「でも凪……ああいうの、
断れないタイプだろ」
図星すぎて、凪は言葉を失った。
悠真は続ける。
「前にも言ってただろ。
“人の気持ちを拾いすぎる”って。
今日も、嬉しくなくても、
笑って受け取ろうとした」
凪は俯いてしまう。
(……なんで、そんなにわかるの)
気づけば、凪はいつも
誰かの機嫌や期待を優先して生きてきた。
そのクセは、
“過去”がつくった傷から始まっている。
そして、その過去を
誰にも話したことがない。
悠真だけが、
いつの間にかそこに気づいてくれていた。
しばらく沈黙が続いた。
やっと凪が口を開く。
「……悠真には関係ないよ」
言った瞬間、
自分でもびっくりするほど声が震えた。
悠真はその震えを聞き逃さなかった。
風がふたりの間をすり抜ける。
「……関係あるよ」
凪は顔を上げた。
悠真は、
ほんの少し寂しそうな目をしていた。
「関係あるだろ。
俺……凪のこと、
放っておけないんだよ」
その言葉が胸の奥に深く刺さる。
「誰にでも優しい凪のこと、
……誰かに簡単に奪われそうで、
正直、今日めちゃくちゃ焦った」
凪は息を止めた。
(……嫉妬してたの?)
悠真の耳が少し赤い。
でもその目は、凪から逸らさなかった。
「……ごめん。
変に怒ったりして」
「怒ってたの?」
「怒ってたよ。
自分でも嫌になるくらい」
凪の胸の奥がじんわり熱くなる。
怒っていた理由が、
“自分を想っているから”だと
わかってしまうから。
悠真は深く息を吐き、
「……凪が、
誰に対しても全部抱え込むの、
本当はつらいんじゃないの?」
その一言が、
凪の中の“鍵”をそっと押した。
喉の奥が熱くなり、
視界が少しにじむ。
(……気づいてほしくなかった。
でも、
気づいてくれたのが悠真でよかった)
「……私……」
声が震える。
「優しくしないと嫌われるって……
ずっと思ってた」
悠真は凪の側に一歩近づき、
真剣な顔で言った。
「誰がそんなこと言ったんだよ」
凪は俯き、
悠真を見つめる。
「……昔、友達に……
“凪って、
ほんと役に立たないよね”って……
言われたことがあって」
悠真の表情が一変した。
怒りというより、痛みに近いもの。
「……そんなこと言う奴、最低じゃん」
凪は小さく笑って、
でもその笑みは震えていた。
「でも……それからずっと、
嫌われないようにしなきゃって
思っちゃうんだよね」
悠真は凪の前に立ち、
まっすぐにその手をそっと包んだ。
驚いて顔を上げる凪。
「……俺はそんなことで
凪を嫌わないよ」
凪の目に涙がにじむ。
悠真は、
冬の風に負けない
あたたかい声で続けた。
「役に立つとか、
立たないとかじゃない。
凪が凪だから……
俺は好きなんだよ」
凪は泣きそうになって、
思わず手をぎゅっと握り返した。
(好き……)
言葉にされた瞬間、
胸の奥がほどけていく。
冬の冷たい空気の中、
二人の手だけがあたたかかった。