私には、どうしても向き合いたくない感情がある。
それは――劣等感、孤独感、屈辱感、不安感。
私は、部活動が嫌で嫌でたまらない。
なぜなら、部活動に出ると、
その感情のオンパレードが待っているからだ。
毎日、私はコートの上で、
その感情をひたすらレシーブし続けなければならない。
ボールを受け損ね、体育館に鈍い音が響いた。
「おい、何回目だよ!」
「ほんと足動いてんの?」
「やる気あるのか?」
先輩の言葉が矢のように突き刺さる。
横でキャプテンが完璧にレシーブを決めるのを見て、
胸の奥が沈んでいく。
――これが、劣等感。
練習の合間、同級生たちが輪になって笑っている。
一歩踏み出すことができず、
私はボールを磨くふりをして立ち尽くした。
誰も私に気づかない。
――これが、孤独感。
「またお前か! 集中しろ!」
顧問の怒鳴り声が体育館に響き渡り、
全員の視線が一斉に集まる。
背後からクスクスと笑い声。
――これが、屈辱感。
次のサーブ練習の順番が近づいてくる。
「また失敗したらどうしよう」
頭の中でその言葉がぐるぐる回る。
手のひらが汗で滑り、足が床に張りついて動かない。
――これが、不安感。
ボールを高くトスした。
でも軌道がずれて、振り抜いた腕は虚しく空を切った。
バシッと決まるはずの音はなく、
かわりに――ドサッ。
体育館に、ボールが床に落ちる鈍い音が響いた。
一瞬の静寂。
次の瞬間、背後から押し殺した笑い声が漏れる。
頬に熱が駆け上がり、耳まで真っ赤になる。
視界がにじみ、床の木目だけが鮮明に見えた。
そのとき、すぐ後ろにいた後輩の声が小さく聞こえた。
「……先輩のせいで、また練習止まっちゃった」
小さなつぶやきだった。
誰にも届いていないように思えた。
でも、その言葉だけが真っ直ぐに私の胸を貫いた。
――ぷつん。
何かが音を立てて切れた気がした。
限界だった。
ボールを拾うふりをして列を抜け、
そのまま体育館を飛び出した。
誰も止めなかった。
誰も追いかけなかった。
そのことが、さらに胸をえぐった。
走ってたどり着いたのは、図書室。
夕暮れの光が窓から差し込み、
机の影を長く伸ばしている。
扉を閉めた瞬間、
張り詰めていた糸がぷつりと切れた。
机に突っ伏す。
涙がぽとぽとと落ち、ページの上をにじませていく。
「……ここにいたんだ」
振り向くと、真理が立っていた。
同じバレー部の仲間。
「いなくなったから心配で探したの。
私もね、同じように泣きながら帰ったことあるんだ」
そう言って差し出されたのは、一冊の文庫本。
表紙には夜空に浮かぶ月が描かれていた。
驚いた。
強くて明るいと思っていた真理も、
同じ痛みを抱えていたなんて。
その言葉に、胸の奥の氷が少しずつ溶けていくのを感じた。
窓の外を見れば、雲間から月が顔を出していた。
冷たいはずの光が、なぜか温かく頬を照らす。
「月ってさ、ひとりで見ると冷たいけど、
隣に誰かがいるとあったかく見えるんだね」
真理の言葉に、こらえていたものが崩れ落ちた。
涙は止められなかった。
でもそれは、孤独の涙ではなく――
「ひとりじゃない」と知った救いの涙だった。
いちばん苦しい場所から逃げ込んだ先で、
私は気づいた。
孤独を消してくれるのは、
強さでも、
正しさでもない。
静かに隣にいてくれる友の存在と、
その声。
そして窓辺の月の光は、
それを確かに証明してくれていた。