部室に響くトランペットの音が、途中でかすれた。
「ちょっと! そこ、また外してるじゃん」
麻衣先輩の声が飛んできた。
笑いじゃなく、苛立ちのにじむ声。
胸の奥を針で突かれたように痛かった。
指が震えて、キーを押さえる手が思うように動かない。
――なんで私なんだろう。
先生にソロを頼まれたあの日から、
練習するたびにその問いが頭を離れなくなった。
「ソロなんて、麻衣先輩がやればいいのに」
「ほんと、どうして麻衣先輩じゃなくてあの子なの?」
背中越しに聞こえる小さな声。
正面から言われるよりも、陰でこそこそ言われるほうが心をえぐった。
耳をふさぎたいのに、音楽室にはどこにも逃げ場がなかった。
家に帰っても、楽器を開ける気になれない。
でも吹かないともっと下手になる。
仕方なく布団をかぶって、息を殺すように練習した夜。
「うるさいよ!」と弟に怒鳴られて、唇を噛んだ。
もう、全部投げ出したい。
「やめちゃえば楽になるんじゃないか」
そんな声が頭の中で囁く。
でも部室のドアを開けると、仲間が「おはよ」と声をかけてくれる。
その一言だけで「辞めます」とは言えなかった。
ある日、練習中にまた音を外してしまった。
指揮棒が止まり、部室に冷たい空気が流れる。
麻衣先輩が深いため息をつき、鋭い視線を向けた。
「ほんと頼むよ、もう時間ないんだから」
その言葉が胸を突き刺し、視界がぼやける。
涙を見せるわけにいかなくて、必死に笑顔を作った。
本当は怖かった。
期待されることも、裏切ることも。
ソロを任された自分を、一番信じられなかった。
体育館での本番が近づくにつれ、
心の距離が広がっていく気がした。
仲間の視線が痛くて、楽譜の音符がにじんで見えた。
まるで音楽室の壁に、心ごと押しつぶされていくような毎日だった。
それでも、迎えた演奏会の日。
幕が開くと、照明が一斉に差し込み、
客席のざわめきが消えていく。
指揮者の手がゆっくりと上がり、音楽が始まった。
無数の音が重なり、空気が震える。
そして訪れる――私のソロ。
吸い込む息が震えていた。
肺が苦しいほど冷たい空気で満たされる。
最初の一音。
……出た。
その瞬間、
後ろから仲間の音が優しく支えてくれているのを感じた。
「大丈夫、ひとりじゃない」
音がそう語りかけてくる。
次の音、
さらに次の音が自然に紡がれていく。
体育館全体が呼吸を止めたような静けさの中、
私の音だけが広がっていく。
客席に目をやると、涙を拭う人の姿があった。
「音楽って、誰かを癒せるんだ」
その実感が胸に満ちた。
ラストの音を吹き切ったとき、
緊張で固まっていた心がふっと解けていった。
割れるような拍手が降り注ぐ。
舞台袖で麻衣先輩が小さくうなずいてくれた。
言葉はなかったけれど、
その目は確かに「よくやった」と伝えてくれていた。
あのとき「しょうがないな」と思いながら引き受けたソロが、
誰かの心に届き、仲間の心も一つにしていた。
あの日の響きは、今も私の胸の奥で鳴り続けている。
一人ではなく、仲間と音を重ねたからこそ生まれた奇跡。
それが今も、私の人生を支える音になっている。