Googleくんな子供たち大発生

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 最近の環境激変の一つに、気に入って入ったはずの京都にある小さなインターナショナルスクールを辞めることにしたという出来事があります。

日本全国のインターナショナルスクール自体に問題があるわけではなく、インターが掲げる国際人のコンセプト自体は非常に良いのですが、そういった真っ当なインターに並行して、IBを目指すと言いながら経営重視に走って看板を掲げているインターも設立ラッシュなんですね。実は。

 うちが入ったインターがそう言うところで、たまたま普通のインター基準から大きく外れていたのだと思います。
 だから京都に来て、インターに入れようとなった時、「あ、話してるのはここのことだな」と思ったら、学校側のどんな魅力的な話も真に受けずに老舗の方にちゃんと行ってください。w
私塾で、各種学校ですらない、ということもヒントです。

 まぁいろいろとひどい問題点があったのですが、それはそうと、今のスクールで個人的に問題を感じたことが、子供たちへの授業内容がデジタルデバイスの多用に偏ることでした。

授業を内部で見て、衝撃だったのが、入学時に自分の意思決定を大事にすると聞いていたのに、教室で3年の子供たちを呼び集めるときにアニメーションを流しそのビデオを誘引剤にして、子供たちを集めて椅子に座らせていたことでした。
 それを見たとき、子供たちをゴキブリホイホイにゴキブリを集めるかのように、昆虫扱いをされたと言う猛烈な嫌悪感が走りました。

「え?ならば、日本の子供の方が、自分の意思に従って、授業開始に合わせて教室の椅子に座れるけど??」
 悪気はなく、ただ、先生の母国フィリピン流のやり方なのかもしれません。
でも自分はどうしても屈辱的な扱いを受けたように感じて、このやり方は受け入れられませんでした。
人権トピックどころか、子供を虫扱いされたショックで何も言えなかった....。

 そして教科書がない、と前向きに捉えてはいたのですが、実際はだからこそ教師のスキルに授業クオリティは非常に左右されます。教科書は、この基準でやらないとならないと、授業の質の保証するものでもあるからです。
 確かに教科書がないことは、良い授業ができる能力の高い教師に出会った時にプラスに働く良い面があります。

 しかし英語ネイティブは、日本人教師ほどしっかり仕事をやらない人の方が多いので、教科書がなければ、実際、かなり手を抜かれます。
 外国人教師は、楽して稼ぎたいんです。
.....というか、日本人の当たり前の教育基準が非常に高く、日本人並みに勉強しない国の方が多いのだと思います。
そのネイティブたちをしっかりと管理できる賢い日本人がちゃんと統括しているかと言うことも非常に重大なポイントですが、むむ.....

で、いろいろ聞いていた内容とは大きく違い、どのように授業が実際なされたかというと、ほとんどが i-padでなされて、図書館も自由に行けません。ほとんど狭い学校の中にいることも多い。
 無料アプリのアニメーションで授業が展開され、子供たちに授業の課題の解き方や基本的な考え方が説明され、子供は個々にそれを解いていく。

 それだと教師の教えるスキルがそんなにいらないし、子供個人のペースに合わせて進められる反面、子供からするとわからないことが何かすらよく説明できないんですよね。ただ眺めて、指を動かす。確かに課題のクリアはできる。でも....
 何よりも子供たちの中に、「何も残らない」ということに気付かされたんですよね。日本にもデジタルデバイスが導入され始めていますが、実際にそれを多用しているここでの体験を通して
実際、このインターの学習「効率性」や「便利さ」は、大して感動を作り出さない授業を子供たちに提供するだけだということを、親側が悟ったんですよ。
感動のない授業は、意味をもたらさない。

今日、何をやったの?
と聞いても、
「えっと。.......」
と子供たちから大して、何も反応が返ってこないんですよ。

ちゃんとした老舗インターナショナルスクールの授業内容を聞くと、やっぱり人同士のふれあいや教えるべきことが優先してなされていると感じるし、ちゃんと人間教育が行われているということがわかるので、もちろんこれはうちの学校に限ってのことだと思うし、それさえできていないスタートアップの学校を選んでしまったのがまずいのだ、と思います。

そうして、5月から、「ええ?言っていたこととかなり乖離がある。どういうことなんだろう?!」と困惑してばかりの毎日だったけど、いろいろ努力した結果、教育者の本当に考えていることや経営裏事情が分かった後は、辞める決断をするのもまた早かった。

 インターを選ぶ人には、うちの失敗から学んでほしいけど、2017年にも国際バカロレアを取るといって小学校設立をうたって子供を集めたけど、結局運営不能に陥って、閉鎖、詐欺で訴えられた埼玉のケースもあるように、内容が不透明なのに、学校に見せかけたインターナショナル、とうたった私塾設立も世の中、たくさんあるんですよね。
 国内の内向き思考や英語教育の酷さから、バイリンガルを目指す日本人親は現状、非常に増えていて、帰国子女だったり、バイリンガル幼稚園系から、次の小学校へ繋げようとインターに行くケースが今増加中。
 特に都会では、学級崩壊が起きたり、公的な教育世界でも、人間教育の質が非常に落ちてきています。それで私立をわざわざ選んだり、それでもカバーできないと、海外教育を目指す人は意外に多い。うちもそのケース。

 しかし、そういう親のニーズをすくいあげるべく叶えますよ、と宣伝して、教育熱の高い親を引きつける学校経営者も存在し、まるでシャトースクールのように、高度な教育や環境を約束していたのにも関わらず、平気で約束を保護にする経営陣の経営するインターナショナルスクールもたくさんあるということなんですよね...。

そして、それは学校見学などでは絶対に見抜けないし、写真がたくさん並んでいてもわからないし、実際に入ってみないことには実態がわからない。
一番わかるのは、通っている親子に内情をよく聞くこと。

そして、日本人の感覚としては、まさか教育者が大きな嘘をつくとは思っていないので、まぁ、多少のずれはあっても、今言われたことを反故にまではされないだろう、という感覚で、信じてしまうんですよね。

いや、ネイティブは大風呂敷、めっちゃ広げますよ。

 でも責任をとらない、質の悪いネイティブも平気で存在する。
知ってたけど、やっぱり日本語があまりに流暢で、日本の感覚もわかってくれているんだと思い込み、コロリと騙されてしまったのかもしれないなぁ、と反省しきり。

だからよほど、しっかりした会社を選ばないと難しいんだってことを、今回は学びましたよ.....。

 そして、私塾(フリースクール)ですんで、学校はたとえ不満が寄せられたとしても、学校側に力があり、改善するよりも不満を言う親を自由に切ろうとします。
 せめて、文科省の定める各種学校として認められていれば別ですが、ただの私塾ですので、嫌いだと思えば自由に切れる。
 そんなインターナショナルスクール事情も背景にあって、改善の申し入れは、実際非常に難しい。
話し合いもしたけども、結局のところ、広げた風呂敷を実行する器がないのに、生徒を集めてしまった現状を目の当たりにして、相手にそれ以上の器を求めても仕方がない、と言うことが分かっただけ。

ああ。無理だなぁ、ここは。
自明でした。

子供はもうお友達関係もできていたから辞めるのはどうかと迷ったけども....ここでも迷うのをやめて、実学算命学の法則に従います。

 心の中で違和感は募るし、もちろん実学算命学でも自分のどの場所に何月に天剋地中が来るかは分かっていたので、ああ、来たか。と。

自分の中でもその時は、「そうはいっても一年後かな」とか軽く考えてい他くらいだから、こういう流れになるとは思ってもみなかったよ〜。だけどね。

 でもやっぱり、その月にそういう流れが来たと言うことは、切るべきものは、コレ。と言うことが示されたわけなんで、すっぱり切ります。
そこに迷いはありません。

私は長年の経験から、これが後々、自分にとってのベストになることが分かっているからです。

急激な変化を嫌う人はたくさんいます。
動かない人がほとんどかもしれません。
でも、動くことは動かないことほど、リスクが高くないんですよ。
実はね。
どうしてかって言うと、こう言うことです。


必要があって、この流れに一旦のる必要があった。
でもこれ以上は必要ない。

そう言うことなんです。

確かに一般的な考えにたてば、入学金、制服代、いろいろ、物質的なものにしがみつけば、サンクコストは惜しいし、めんどくさいでしょう。
 でも、そうやってダメだと分かっていてもなお執着するものがあれば、まさにそれが自分の不純物でもあり、捨てていくべきものです。

 ブッダの言い残したように、現実が幻想であることが理解できているか、と言うことが問われます。

そしてこのとき、自分のすべきことは、この表出したエネルギーが葛藤と言う苦しさを生み出していると言うことですので、今、外していくべきエネルギーをただただ、外していくことだけ。

 要するに、天剋地中や納音で何かが終わってしまったとしても、それはね、しがみついてはいけないものなんですよ。
なぜなら、もう不必要なものだから。
 そこにつながっていると、自分も相手もろとも泥舟に乗って沈んでしまうようなものだから。

その過程で、信じられない、理不尽な!って言いたくなるようなことはたくさん起こりますけども、常識的な段階をすっ飛ばして、強い勢いで自分の人生を切り替えられているようなものなんですよね。

つまりそれほど、自分はその瞬間、急激に、波動がシフトしているっていう見方もできるんです。
すごく、幸運!がやってきた。
次元のシフトができたんだ!そんなふうに捉えてもいいと思います。


だから、うへ〜!なんでこんなことに!

って焦るかもしれませんけども、実は、理由は特にないんです。
あるのはエネルギーの法則だけ。
ただ、宇宙の気の流れが変わり、自分の意識が変化した。それに伴って、現実世界の現象が変化した。
それだけだからです。

早く身軽になったもの勝ちですね。

思うんですよね。
これまでは地の時代でした。
だから、物事は段階をしっかりと踏んで、最終的にゴールに至った。
でも風の時代は、そうじゃありません。
物事の成立プロセスは、風に乗るように自由に動きまわってワープしていく時代。先が読めない中に立たされながら、次の瞬間、いきなりゴールに飛んでいくような感覚の時代なんです。

ちゃんとマスターしてますか?
と言う最後の試験ですね。

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だから子供たちの勉強を見てても思ったんですよね。
本当に今、大切な学びって、感性をしっかり使わせることでしょう??
って。

デジタルデバイスは、感性を使わない。
感性を開かない学びは、生きた学びとは言わないなって。
ただの反応性の獲得です。
知ることはもはや学びではない。

体験し、味わうことが学び、それが次の時代の学びの気がしたんですよね。

普段、i-padと向き合っている子供たちを水族館に連れて行ったんですよね。
最近の話です。

そのインターでは、情報を端末を使って調べさせます。そして、撮影して記録を残し、プレゼンできるようにまとめさせるのが常です。
だからこのインターナショナルスクールの上級生の子供は、動物園に到着して生き物を見ても、自分の検索した知識や名称を並べることしか言わず、本当の意味で観察する術を知らない子です。
googleくんなのです。
 そして教育熱心な親ばかりのインターナショナルスクールで出会った子供たちは、知識の披露が誉められるツボとわかっているので、googleくんばかり大発生。

もうわかってるよ、と目の前の生き物を見ません。
目の前の生き物でなくデジタル辞書から知識を得ようとします。
 そう言うのをいつも見てて、なんだかなぁ〜と思ってたので、自分は、今回の水族館は子供たちにとってもっとナチュラルな体験にしたかったんですよ。

だから水族館に連れて行った時は、子供が向かうままにしたんです。

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 子供たちが求めるまま、自由に見たいものをランダムに見る、そして見たいものは徹底的に見させる。ってことを大事にしたんですね。
大人は順路を回ったし、もういいでしょう、行こうと言いたくなるようなところでも、子供たちをそのままにして、彼らが何に興味を示すのかを、ずっと見ていた。

そして、いい頃合いで、飽きたな、と思ったので、自分の娘に、
「ここって海底見たい!リトルマーメイド!」
って、投げかけて見ました。

すると生日誅殺の娘は、目を輝かせ途端にイマジネーションの世界を広げ、
「そう!私は、マーメイドよ!」
と両腕を広げ、その世界の中に入り込み、夕方人がまばらになった水族館の館内を自由に踊りながら、歩き回ったんです。

「私の鱗は、ピンクにラメが入っているのよ!」
お友達もそこに乗っかり、二人で海底に住む人魚の世界のストーリーを展開し、水族館を満喫していました。

おお〜これだよ、これ。
私はそう思いましたね。

一緒に行ったある男の子は、水族館ではイルカをじっと見つめていました。
暑い最中、ひたすら見つめていました。
この子は学校でも非常に賢く、どちらかというと精神年齢高めの論理的な子供です。
彼にしては、珍しい反応に見えました。

そこにアンテナが立ったのだから、それを自由にしてやりたい、何かある。
私はその時、そう思ったからそうさせておいたんですよ。
どうなったかって?

帰宅後、彼のお母さんから、自宅のお風呂でイルカになりきって、バシャンバシャンと泳ぎまくり、脱衣所をびしょびしょにしてしまったと言うお話を聞くことができました。
すごいことだと思いませんか!!!

知識を知ること、取り出すことではなくて、(もちろんそれが持ち味の人もいますけども)彼もまた女の子たちと同じようにイマジネーションをフル活用して、イルカになってみたんですよ!
イルカはどんなふうに感じているのか、身をもってイルカを知ろうとした。
あの水飛沫を飛ばすにはどのくらいのキックがいるのか、自分の足で試してみようとした。

これって、本物の学びだと私は思います。

日頃学校で、モニターに向かってばかりの子供たちが、自分の感性を使い始めた、着目点が変わった。
すごくないですか〜!!

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で、京都水族館はクラゲで有名なので、クラゲをたくさん見た子供たち。

しかし、私は子供たちにただ、見た、と言うだけにはしません。
 ここからの新たな興味を引くために、帰りに魚屋さんで、密かに「くらげ」の刺身を買ってきていました。

「じゃ〜ん!クラゲは食えるんだよ!!」
「えっ?形も硬さも違うじゃん!!」
子供たちは興味津々。

そして下の娘に動画を撮って、「みんなに送るから、これをレポーターになって試食して説明して。」とお願いしました。

クラゲの刺身がどんなであるか、そして何で食べるか、食感は?味は?

今日見たクラゲを食べるだって???
理屈が苦手な下の娘にも流石に、興味深々神経ネットワークがつながります。
 ちなみにその過程をお友達にレポートするも大事な勉強。これは、英語圏でのshow and tellの訓練と同じです。遊びに見える勉強です。

動画を見た友達も、また興味を掻き立てられて、
「クラゲを買ってきてくれない?」とママに頼んだ子供もいました。

そしてもっとすごいことを後で聞いてしまった。

生きているクラゲを見た後に、死んだクラゲを食べる。
そこから、死ぬってどう言うことなんだろう?と疑問を持った子供もいた。


ちょうどお母さんが医療関係者だったので、迷った挙句、生物的な変化を教えてあげたら、彼は泣いてしまったそうです。
人は死んだら空に飛んでいくんだと思っていたからだそうです。

生きているもの、死んでいるものの違いはなんだ、と通っているインターでもちょっとやっていたテーマ。
それも思い出して、今回の水族館の体験とつなげてそういう疑問を持ったのだと思いますが、彼はそれをきっかけにして、なんと自分の死生観が変わるほどの大きな学びを遂げたわけです。

子供ってすごいなぁ。
そしてうまく、感性を引っ張り出せてよかった。

体験型授業の大切さは、観察の大切さ、どこを見て取り出すかという支援者の態度が非常に重要です。自分はなぜか、そこが得意です。

元々、教育、educationは、引き出すと言う意味がある言葉だそうです。
子供の内側が発しているものを、引き出していくことが教育。

これがやれる教師がいる学校が、本当の生きた学びを提供する学校。
だからこそ、このインターにそもそも入れようとしていたんだなぁって、その感動の結果、思い出したんですよね。

 子供にかわいそうかもしれないと思ったけど、宣伝されてた教育ビジョンを実践する力のない現場とのずれを大きく感じさせられているし、今の学校は、やっぱり長く通う必要はない、とも感じました。

感動の学びをクリエイトするのは、自分の得意技です。

これって、別にIBプログラムじゃないと教えられないわけでもなく、英語ネイティブだからとか、スキルで教えられるものでもないです。
これは、実際に学ぶこと、探求していくことを楽しんでいる大人だけが子供たちに教えていけることなんですよね。

私は日頃、自分の興味を徹底的に追うことを楽しんでいます。
知りたい。原因と結果の因果関係を知りたい。
ただその好奇心に駆り立てられて、いろんなことを吸収していきます。
そして知るほどに、いろんな疑問がいつも湧いてきます。
世の中の表と裏、両方が知りたい。
この面白さを知ってくれ!!
と、(半分、ドン引きされたり、流されつつ)いつも周りに語ります。

この面白い多少マニアックな世界を、子供たちにも知ってもらいたい。
そう思うから、子供たちにも広げていきます。

そして、あることについに気がついた。

あれ?別にインターに頼らなくてもいいんじゃね?

自分自体が、IBのモデル像に非常に近い人間だったんじゃん、と気がつかされた!!!

そして、
あれ?これまで、ここじゃないと学べないって、なんで思ってたんだろう?
と言う素朴な疑問。

子供を一番観察し、その子供の可能性を引き出せるのは、別にインターの教師たちでもなく、一番得意なのは実は自分だ、と言うことに改めて気がついた瞬間でした。そして自分は聞けば聞くほど、IBのモデル像を素で生きています。
日本の教育受けたけどね!w

 子供たちはgoogleくんから、マーメイドやイルカに変身し、私も自分の良さに気がついた。その日、みんなで化学変化を起こしたんですよね。

きっと、今後、肉体の五感を使って知ることによって、世界の体験が大きく変わってくることを体験した子供たちは、学びの面白さに目覚めていくと思います。世界を探求していくことは、冒険やエンターテイメントと一緒だと気がついていくと思います。
 そして私は自分の住んでいる面白い知的世界を、子供たちに伝えたい人。

で、タイミング良く、昨日、たまたま帰国子女向けオンラインの英語のネイティブの先生たちによる、娘の評価を聞くオンライン面談があったんですね。
そこで、IB的なカリキュラムをこなしているネイティブの先生たちが、言ったことは、

(上の娘)たまは、英語力以上に素晴らしいものを持っている。
それは、どんな話題になっても、必ず自分の頭で考えて、自分の意見を表現していくことだよ。そして、周りの日本人の子供みたいに、他の反応を見てから自分の意見を言うようなことを、タマだけはしないことだ。自分の人生の主導権を自分が握っている。それは、国際社会を意識するなら、英語を学ぶだけでは絶対につかない大切な才能だよ。

と言うアメリカ人とイギリス人の二人の先生たちの評価でした。
 東京の老舗インターの元校長も言っていましたね。

自分から物事に関わっていこうとする子供、そして答えのないものに諦めずに向き合い続けて考え続ける力、よくわからないものを避けずに知ろうとすること。成長し続けることを楽しめる人。

これがIBで目指す子供像なのだそうです。

なんだ、それって、大人にしたら、まさに自分じゃん。
思わず笑ってしまいました。

だから、自分が子供に教えていけばいいのです。
インターほど、金もかからんしね!w

学校を辞めることになり、次の先生を一体どうしたらいいのだろうと一瞬迷ったりもしたんですけど、周り巡って大切な答えを見つけることになりました。
むしろ何百万もコストカットできたわけで、本当にラッキーだったのです。
 そして英語に関しては、インターナショナルスクールとほぼ同等のクオリティの英語教育オンラインスクール(しかもインターの学費よりも遥かに安い)とタイミングよく出会うことができたことも、ものすごくラッキーでした。

子供にどんないい環境を与えよう、教育を与えよう?
と迷ってきたこれまでですが、本当は国際人対応させるために、自分の中にあるどんないい部分を子供に伝授しよう、と考えるだけでよかったんですね。w
めっちゃ盲点でした。(そして自分、基本的に、海外の評価はいつも良かったのを思い出した。)

英語に関しては、インターに行って、効果が上がるのか、と言えば、んん〜

話せない下の子の英語力も上がるから海外赴任も安心だなと思ってもいたのですが、この学校に関してはそんなこともなく、鳴かず飛ばず。
 そして、剛を煮やして、学童保育のKDに入れたら、入れたその日から英語口ずさんで帰ってくるではないですか。

え?英語塾の方が、英語めっちゃ習得してくるやん!

このフレーズでこんな遊びをやったとか、自分から何をしたかを楽しそうに語る下の娘を見て、やっぱり子供をわかってるのは今のインターではなく、こっちだね、と苦笑したのでした。

本当に中身のある老舗インターを選ぶことの大切さを痛感した次第です。
いい勉強だったと思いました。
(でも、色々あったからこそ、次は迷いませんね。きっと。)
たまは、公立校にすでに転校しているのですが、京都市内の観光客を捕まえては英語でお喋りをしているようで、特に困った様子もありません。
 入ってみれば、今の京都の公立の方がむしろ、すごい人間教育をしていたそうで、娘が毎日東京の公立との違いや友達の素晴らしさに日々、目を丸くしています。
 京都や京都人の優しさに支えられる毎日に本当に感謝しています。


個人的な体験ですが、今の人生の切り替わりも、転じていつか福となります。
みなさんも恐れずに、きっと良くなる明るい希望的観測を持って進んでみてください。
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