導くものは常に建設的であれ!父の教え

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日本の現代算命学は多岐にわたり、膨大な技法と複雑な解釈があります。
そして、普通の人は算命学を学ぶということは、学校が蓄えている古くからの膨大な技法と複雑な解釈を人よりもたくさん詰め込んで活用することだ、と考えます。

でもそれを何十年もつづけて、それでもイマイチだったということになったらどうします?
自分に合わない学問だったけど、こんなに時間かけちゃった!もっと他のことをやれたよな。...って。

 そんなところに時間とお金をかけ、教えてくれる先生の顔色をうかがう年数、手間暇などを考えたら、むしろ、ぽん!と大金出してプログラムを買った方がいいですよね。だって、同じことですから。

そして、そのプログラムで出た技法とその各種の意味を出して、眺めてみたところで、まぁ、まず、決してそのひとの宿命は自分に語りかけてこないんです。「...だから結局、なんなんだろう?」で終わります。

機械にできなくて、人間にできること。

それが、イマジネーションの力です。
本当に力のある鑑定者は、人生メッセージを読み取ります。
一つ一つのエネルギーの塊、それがもたらす現象とエネルギーの度合い、イメージ、それがフィルターのように幾つもいくつも重なり、この関係性が何を依頼者に語っているのかが見えてきます。

だから算命学の本当の勉強とは、人生経験値なんです。算命学の意味を表す星のエネルギーは、感じ取るしかない。自分の人生の中でストーリーとして記憶し、一つ一つ自分の感覚の中に登録していくしかない。
だから結局それって、自分が過去にモンゴル帝国でやっていたことと、何も変わっていないんですよね。

そして、複雑さに突っ込んでいく算命学の世界は、各流派が争います。
 こっちではこうだった、あっちではああだった、と生徒や鑑定依頼された方がつなぎ役になって、技法に対しての議論が巻き起こります。
 当然鑑定士にしてみれば、評判が落ちれば、仕事に差し障ります。
一旦そこに入り込めば、必死でどちらも正統であるか、異端であるかなどにこだわりだし、結果として流派対立が起こります。悪いエネルギーがぐるぐると渦巻き出します。

高尾氏の講義を最後まで学んでいないから、あっちの流派は知らないのだ、とか、昭和の倫理観や宗教的な倫理観を持ち込んだりして、人を縛っていくこともあります。新しい学説を立てる人への、伝統ハラスメントも行われます。

でもこれは、正直、意味がないことですよね。
私が過去生で知っている源流の算命学は、答えなき問いに解をあたえ、人を活かしていくための学問でした。
ですから、技法の複雑さ、自分の流派の正しさの主張よりも、総合して目の前の人にちゃんと目指すべき方向性の道案内ができているのか、ということの方が大事でした。

いろんな考え方があるので、これは現代算命学では異端に当たるかもしれない実学算命学の独自の見解として受け止めていただければ良いのですが、私の中にあるのは、雪中行軍の例えを出した、父の教えですね。

常に明るい気持ちと高い視座をもって導いたリーダーの隊は、過酷な雪中をほとんど生き残り、現実の悪い状況にとらわれたリーダーの隊はほとんどが帰らぬ人となったという話です。
 算命学を依頼するなら、必ずその鑑定者をちゃんと見てください。
正しいように見えるけれども、その人を取り巻くムードが暗いものでないかどうか。どんな道案内をしてくれる人なのか、そこから予測してください。

算命学では、丁火は灯台であり、ともしびです。そして天に狼煙を上げる姿です。導き手というのは、人の行き先を照らします。
方向性を照らす、その人自身が暗闇に遠くまで光を届けるような、あかるい灯火であるかどうかを見てください。

悩みの渦中にいる人は、悪環境の中で道を模索しているようなものです。
それでも先に進んでいかなくてはならない。
 自分自身の実経験の中にもあります。
毎日30キロ以上歩き続ける歩き遍路の修行の中で、負傷し、幾度も挫折し、苦しい気持ちに押しつぶされそうになった時、助けてくれたのは、みな、四国の一般の人たちでした。

それがあったから、1600キロも歩きつづけることができたんです。
その時にであった、おばあちゃん、おじいちゃん、おっちゃん、厳しいお坊さんたち、大先達さんたち。

同行二人といって、遍路はお大師さま(弘法大師空海)と歩いている、と言われます。
そのため、四国の人たちはお大師さまの化身として、遍路たちの役に立とうとしてくれます。見ず知らずの自分たち修行者を、大切に扱ってくれる人たちに出会い、その高い波動が、自分の中の低い波動をあぶり出してくれ、それを捨てたい、と決意させてくれる。そういう道のりだったのです。

遍路は遍路の道中でお大師さまに出会いたいと願って、遍路をします。
出会うひと、行きかう人と話すのは、「お大師さまと会ったことある?」
「いんや。あれは伝説なのかなぁ。」そんな会話が繰り返されます。

でも、結願し、これまでの道のりを振り返ると、達成までに手助けしてくれた四国で出会った一人一人のことを思い出し、胸がいっぱいになりました。
私たちは、お大師さまに会ってきた。
最後に、そのことに気がつくのです。

助けてくれた四国の普通の人たち皆が、お大師さまの化身でした。
遍路修行の形ももはや変わってしまったのかもしれませんが、私が行った当時までの遍路道は、人生の道そのものだったと思います。

一期一会かもしれない。だが、過酷な人生の道を歩む人に、その時その時必要な導きができるかどうか。
そして、どんな時もともしびを絶やさず、明るい方向性へ向かうための建設的な導き役ができるよう、常に明るく前向きに捉えられる思考を持っていきたいと思います。

実学算命学が目指しているのは、聞いているうちに苦しくなっていく算命学ではなく、道開きができる算命学ですね。
どんな宿命であってもそれを生かす道を考える。
それは、プロファイラーの経験値とイマジネーションの力によります。

風の時代、多くの人が自分の道に戻ろうとしています。
戻っていこうとする人々に対し、道開きの神はたくさんのひとに新しい道を開いていくでしょう。実学算命学が、風の時代にあった道開きのきっかけになってくれると良いと思います。













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