この場所に自分がふさわしいのか、
ここは自分を好意的に受け入れてくれている場所なのか、
疑いと不安が入り交じり、
そのうち、居心地の悪さや違和感がわきはじめ、
その場所から離れてしまう。
自分にぴったり!と思える場所を
いつも探し求めているように思う。
でも、まだその場所にはめぐり合えていない。
そんな風に感じることはありますか?
その背景には、
「いつも私は受けれてもらえない」
「いつも拒否される」という
思い込みを持っていることがあります。
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幼い頃、
日々のいろいろな経験の中で、
「苦しかった」
「悲しかった」
「嫌だった」と
ありのままの感情を出すことを
禁じられていたのかもしれません。
育った家庭の中で、
「自分の感情に関心を持ってもらえなかった」
「感情の共有がなかった」
「伝えても無視される」など
自分の自然な感情を大切に扱ってもらえなくて、
「自分の感情を大切にする」という体験が
積めなかったのです。
なので、「感情を伴った自分」を
自分の内側の中心に置けず、
感情をマヒさせたり、
そもそも感じないようにしたりして、
自分の中から排除してしまった可能性があります。
そうしないとその家庭では生き残れなかったのです。
その家庭で生きていくための生存戦略として
幼き自分を自分が守ったのです。
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そうは言っても、親も大変だったし、
意図的にした訳ではないと思うから・・・・と
親を悪者にしてしまいそうな自分に
恐怖心が出てくるかもしれません。
大丈夫です。
親を悪者にしたい訳ではありません。
けれど、
自分の自然な感情を出せなくなってしまったのは、
親との関わりから、という事実は認めていく必要があります。
なぜなら、自分が辛い思いをしてきたのに、
親のせいにせず、
苦しさの原因が親子関係にあると理解しても、なお、
親への優しい思いを寄せようとする奥には、
「全部、自分が悪い」と
100%自分の責任として背負っている可能性があるからです。
幼きころ、
自分ではどうすることもできなかったところまで、
「自分の責任」という理不尽さを当たり前のように抱え、
そのことも大きな苦しみとなっているのです。
でも冷静に考えてみてください。
本当にそうですか?
幼い自分が、苦しい中で、
一生懸命に生き延びようとした証なのです。
自分を悪く思うことでしか、その場に留まることができなかった。
当時の最善の選択だったのです。
背負ってきた苦しみは、決して自分が悪かったからではありません。
幼きころ、自分の心をマヒさせ、感情を排除することは、
その家庭で生き抜くための、必死の「生存戦略」だったのです。
それは、自分が自分を守るためにとった懸命な行動だったのです。
けれど、その生存戦略が、今の自分の心に、
深く影を落としているのかもしれません。
「ここにいていい、と思えない」という感覚は、
あの頃、自分の感情を押し込めて、
居場所を見つけようと必死だった
幼き自分の心が今も訴え続けている声なのです。
長年染み付いた感覚は、そう簡単には変わりませんよね。
「分かっていても、そう思えない」と感じるかもしれません。
それは、当然のことだと思います。
でも、まず、できることがあります。
それは、自分を責めることを、少しだけゆるめていきましょう。
そして、あの頃、必死で自分を守ろうとした幼き自分に、
「よく頑張ったね」「辛かったね」と、
心の中で、その小さな自分に声をかけてあげてください。
無意識に感情を排除したことを、許してあげましょう。
自分自身のことを「ここにいていい」と、
自分自身に許可を与える。
それは、誰かに与えられるものではなく、
自分が自分の内側から、ゆっくりと育んでいくものです。
自分の感情や自分自身を大切に扱い始めたとき、
きっと、どんな場所にいても、「ここにいていい」と、
心から思えるようになります。
最も確かな「居場所」は、自分の心の中に、
確かに存在していています。