身近な人の死の乗り越え方②

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コラム

前回の記事は、家族同然に仲良くしてくれていた12歳年上の従姉が医療事故で亡くなり、形見分けのときに従姉が買い物依存症だったことを知る。3年受け止めきれなかった従姉の一面を、あるマンガの台詞がきっかけで向き合おうと決意したところで終わった。

従姉は隣県に住んでいたこともあり一番会っていた親戚だ。
従姉は私たち家族にっとっては本当に優しかった。私たち兄弟ケンカをしてるときに場を和ませてくれたし、両親が旅行で家を空けたときに面倒を見に来てくれたこともある。従姉が作ってくれたレタス入りのラーメンの味が今でも忘れられない。まだ10歳だった私は袋麺を作ってくれた22歳の従姉を、しっかり者で優しいお姉さんだと思った。

だが叔母の口から出て来る従姉は別人だった。地方に住んでいる従兄弟達とは仲良くなかった、父親に悪態をついていた、姪の容姿をバカにしていた、とか。

もちろんそれぞれに原因があるのだろう。

他の従兄弟達とは年齢が近い分ライバルだったのだろうし、父親に悪態をついていたのは、小学生時代に蒸発した父親が従姉が亡くなる1年前に突然帰ってきたわけだし、妹との関係性はきっと元々仲良くなかったのだろう。

そう思うと、従姉は近親者と関係を持つのが下手な人なのではと思えてくる。

でも一方で、会社の人たちの信頼はとても厚かった。部下や同僚には人情派で厳しくも優しく愛情を持って接していた。突然亡くなった従姉のために涙してくれる同僚もいたそうだ。自信のある企画が通らないときには社長室に直談判に行ったりする度胸も持ち合わせていたらしい。(従姉の直属の上司から見れば面倒くさい奴だろうけど)

また小学校時代の同級生が何人も線香をあげに来てくれ、叔母にたくさんの思い出話を聞かせてくれたそうだ。

同僚や友人の従姉像と、私の従姉像はかなり近い。

家にいるときの従姉像だけが異質なのだ。
が、同僚・友人・私の従姉像も、叔母の従姉像もどちらも彼女だろう。
私たちの見た従姉像は従姉の理想像で、叔母に見せる姿が彼女の素だったのだろう。

叔母の口から従姉の話を聞くまで、私にとって従姉は遠い存在だった。

従姉が亡くなったとき私は33歳。私が子供時代に従姉にお世話されたときの年齢をとっくに過ぎていたのに、従姉のことを偉大だと思っていた。

2歳年の離れた兄に私が畏敬の念を抱くように、中学時代の後輩がいつまでも私のことを尊敬してくれてるのと同じように、私にとって従姉はいつまでも自分より上の存在だった。だが従姉の死により周りの印象を聞くことで、ただの一人の人間なのだと思った。

従姉は、ただの40代の女性で、実家から一度も家を出たことがなく、会社でそれなりの役職を持っているのに家に家賃として3万円しか入れていない精神的に自立しきっていない甘ったれで、外面がいいだけで家族には悪態をつく、弱い面を持つ普通の人だった。

そう思うと、これまで自分にはないものをたくさん持っていると思っていた従姉がなんだかちっぽけな存在に感じた。買い物依存症も、外面と素の自分を均衡を保つために買い物にストレスをぶつけていたのかなと思えた。

ちなみに形見分けは、服を200着・鞄は10個くらい何日も使って持って帰ってきたけど、形見分けの域を越してるので服はほとんど処分、初めから狙っていた革のバッグ3つとブーツやマフラーなど小物をメンテナンスしながら日常使いしている。

最初の頃は遺品を見るたびに従姉に思いをはせていた。何で死んじゃったんだろう、大人になってから全然会ってなかったなとか、後悔ばかり浮かんでいた。

今は思い出す頻度は減ったけど、従姉は心の中にいる。
従姉が仕事に使っていた青の革の鞄は、今や私の仕事鞄だ。仕事のできる人が持っていた鞄なので持つたびに気が引き締まる。

そしてたまに思うのが、彼女はどんな風に生きたかったのだろうか、彼女がやり遺したしたことはなんなのか。
確実に言えるのは、私は彼女の分まで幸せになりたいということ。

従姉の一面として、甘ったれで口が悪かったのは事実だろう。でも、私の中の従姉はやっぱり、ふらっと我が家に来て、我が家を明るくしてくれた優しくて面倒見のいいしっかり者なのだ。その心の中の従姉妹とともに私は生きていきたい。

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