身近な人の死の乗り越え方①

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コラム
もう4年も前になるだろうか。夕飯を食べ終えそろそろ風呂に入ろうと思っていた時スマホが鳴った。
母親からだった。

「なに?」
30代絶賛反抗期中の私はぶっきらぼうに答えた。すると母親が地に足がついていない声でこう言った。
「従姉が死んだって」
理解できなかった。

12歳年の離れた従姉は、いつも明るくて優しくしっかり者でいつも私たちの面倒を見てくれた。私たち家族の海外旅行に、ガイド役も兼ねて呼ぶほど仲が良かった。
頻繁に隣の県からわざわざ電車を乗り継いで遊びに来て、我が家に一家団欒の時間を提供してくれた。

原因は医療事故だそうだ。
だが医療事故が起きなくても、血管の病気で、長くなかったそうだ。

葬儀は、叔母が、従姉の妹家族と従姉の父親と、私の母だけを希望した。

しばらくすると母からまた私に連絡がきた。
「まいと従姉の体形が近いから、叔母さんが形見分けに来ないかって」

叔母の憔悴っぷりは母から聞いているし、叔母にもお世話になったから少しでも元気づけたいと思った。15年もカウンセリングに通ったことでカウンセラーの真似をして身についた傾聴力と、末っ子特有の能力で場の空気を和ましに行こうと思った。

母と駅のホームで待ち合わせ電車を乗り継ぎ叔母の家に向かった。
子どもの頃から何度も来た団地だ。
玄関を入った右手にダイニングキッチンがあり、その奥に一室がある。
この1LDKで叔母と、二人の従姉妹は生活してきたのだ。
30年前と変わらぬ場所に鎮座するソファとテレビ。従姉は、一度もこの家を出たことがなかった。この家の歴史が、きっと従姉の歴史そのものなのだろう。従姉のいなくなったその家で生活し続ける叔母は一体どんな気持ちなのだろうか。

出迎えてくれた時は気丈に振舞っていたが次第に叔母の体が丸まり小さくなる。
今までの私の叔母の印象は、とてもエネルギッシュな人だった。
自分より先に子供が死ぬのだから親にとってはこの上ない悲しみなのだろう。

従姉の最期を看取った叔母と、葬儀に参加した母は泣いていた。従姉の死を実感していない私は泣けなかった。

本当はいけないんだろうけど、そう前置きして叔母は従姉の亡くなった直後に撮ったという写メを見せてくれた。「もう頑張らなくていいよ」そう叔母に言われ引き取った従姉の顔は綺麗だった。寝ているわけじゃない、安らかな人間の顔を見るのは初めてだった。やっと実感した。優しくて面倒見のいい従姉は、もういないんだ。

従姉の最期や会っていなかったここ数年のことを聞き、叔母の精神状態が落ち着いたところで形見分けが始まった。チビてガリガリな私に合う服を買うのは一苦労だから正直ありがたい。

「今日はどれを持って帰る?」

私たちを心配させまいと叔母が笑顔で出したのは、十数着のスーツと何百着もの洋服だ。

団地の押し入れに入り切らない、大きなタンスと外付けクローゼットの中身は全部、従姉の服だった。

電車で来た母と私ではその日に全部持って帰れるわけもなく、叔母の様子を見がてら月一で形見分けをしに行くことにした。その日持ってきた大きめのリュックだけでは収まらず、叔母の用意した大きなカバン2袋に30着もの服を詰め帰った。

形見分けと称して叔母の様子を見に何度も訪問すると、知らなかった従姉の側面を聞くことになる。私の従姉像は冒頭でも伝えた通り、明るく優しいしっかり者だったが叔母の口から語られる従姉は、少し別人のようだった。

嫌だった。
従姉妹は、誰に対しても明るくて優しくてしっかり者で面倒見がよくいて欲しかった。二面性など持っていてほしくなかった。

従姉が亡くなったと聞いたときも、亡きがらの写真を見たときも泣けなかったが、従姉の死から2年ほど経ったとき、一人の時間が増えたことで自分自身のことや過去のことに向き合う時間ができ、やっと従姉の死を受け入れ泣くことができた。

でも死を受け入れただけで心の整理はついていなかったので、思い出すたびに涙していた。特に形見分けの品物が至る所にあるため思い出さずにはいられなかった。1年は悲しに明け暮れた。

思い出すたびに悲しくなる。私にとって従姉はこんなにも大事な人だったのだと理解した。

そんなとき、ふと読んだマンガのお陰で、見たくなかった従姉の一面に向き合ってみようと思えた。

ドラマ化され手塚治虫文化賞受賞したマンガ「その女、ジルバ」のチーママの台詞だ。

「そう…
やっぱりあなた方はまだ若いんだねえ。
暴いていいのよ アララ。
死者が遺した形があるものは暴かれるの。
生きてるものは手を汚すのよ。
でないと、死者の心残りを
代わりに遂げてやれないでしょう。」

これは新人ホステスになったアララが、ひょんなことから初代ママの遺品と手紙を見つけたが、手紙を読んでない旨をチーママに告げたときに言われた言葉だ。

従姉の死から3年後、この台詞を知った私は従姉がどんな人間だったのかを受け入れようと思った。
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