私は、もうボロボロだったのかもしれない。
産まれてきた子供は「チアノーゼ」になったらしく一緒に退院できないかもしれない、と言われた。
私のストレスのせいだ…
ショックだった。
そして、母親の家に来てからロクなものを食べていなかったせいもあるかもしれない。
私は何が正解で、何が間違っていたのか…。
何をどうすればよかったのか。
悩んだけど、あまりいい方法は思いつかなかった…
まず、退院してからいろいろ動こう…。
ココにいると携帯料金もそのうち払えなくなるのは目に見えていた。
その間、保険屋さんで同僚の人たちと連絡を取り合っていた。
そしたら、なにかあったらすぐ動けるようにしておくからね!
と心強いメールが来た。
よし!準備はできた!
問題はそれからだ!
まず、退院して体調を元に戻さねばならない。
退院直前になり、チアノーゼが落ち着いたとのことで一緒に帰れることになった。
母親の家に帰り、赤ちゃんの準備などをしていると
「私は出産すぐに洗濯とか家事をしたもんだ!やれ!」
と言われた。
ヨレヨレの体を引きずり、茶碗洗いから始めた。
神経が敏感になっているせいか、水道の水すらもピリピリと感じた。
おむつすらまともに買えないような生活…
早く家を出なければ…。
上の娘たちは新しい保育園で友達ができた!と喜んでいた。
それだけが唯一の救いだった。
そうして、一週間が経とうとしたとき
舅が母親の家にきた。
「車を返せ」
というのだ。
そうだ、名義を変えていなかった…。
車を取り上げれば家に戻ってくるとでも思っているのだろうか。
私は「どうぞ、持って行ってください」
といった。
母親ですら免許を取らせてくれなかったのだから、その点に関しては感謝もしていた。
だから多少のことは我慢をしていたのも確か。
それでも「限度」がある。
その程度で揺るぐ私ではない。
どうやって持っていくんだろうと思っていたら、お姉さんが一緒に乗ってきたようで、私の車をお姉さんが乗って持って行った。
これは「調停」するまでもなく離婚が成立するかもしれない。
私は旦那に電話をした。
「離婚届け送るから判を押して送り返して」
と…。
答えは「嫌だ」だった。
理由は?と聞くと
「母子家庭手当を受給させたくない」
という。
完全な嫌がらせ。
「じゃあ調停するね」というと
「どうぞ」
と返ってきた。
よし、調停だ!
わずかではあるが調停をするにも多少のお金がかかるが、そこは母親に頭を下げた。
気分がよかったのか、すぐにお金を出してくれた。
私は次の日裁判所に行き、調停の申し込みのような手続きをしてきた。
調停の内容を調停員に伝え、離婚理由などを聞かれた。
離婚理由が正当がどうか、などを判別するらしい。
そして、いろいろな話を話したり、聞きながら手続きを終えた。
今までのことをほぼ全て伝えられたかはわからないが、
正当な理由なく家に帰ってこない
借金の名義貸し
レイプのような性行為
姑たちからの嫌がらせ
お金を家に入れない
子供に対する責任感のなさ
暴力
などを話すと調停員は「それだけあったら十分です」
と言ってくれた。
相手に調停を起こすという手紙を送るというところから始まるらしい。
そして、裁判所から私にも調停の日時のお知らせの手紙が届きます、ということだった。
よし、一歩進んだ。
しかし、調停が終わるまでは、あの母親の家からは出れないことは確定してしまったが、しかたない。
離婚できなければ何も動けない。
何日か経ったある日、裁判所から通知が来た。