アメリカでの出産と“翌日からの現実”
アメリカでは、出産した翌日にはもう自宅に戻る。自然分娩でも24時間で退院、帝王切開でも数日で退院するのが当たり前だ。
日本のように1週間入院して体を休める文化はなく、産後すぐに授乳も夜泣きも家事も始まる。毎日夫の昼の弁当を作り、アメリカでは総菜が豊富にあるわけでもない。乳児黄疸が出たり、体力も回復せず本当に大変だった。これが、いわゆる“ワンオペ育児”の始まりでもあった。
しかも医療費は高額。保険があっても数十万円単位の自己負担がかかることもある。
そしてさらに、出産からわずか4週目で夫の転職により東海岸から西海岸への引っ越しが控えていた。飛行機は到底無理なので、新生児を抱えたまま車でアメリカ横断の旅に出ることになった。泣き声と眠れぬ夜を積み重ねながら続く果てしないハイウェイ、その大変さは想像を超えるものだった。さらに、当時上の子は2歳でいやいや期の真っ只中。道中では何度も「トイレに行きたい」と言い出すが、すぐに見つかるわけでもない。先を急ぎたい夫は苛立って舌打ちをし、私は新生児を抱えながら2歳児をなだめるしかなかった。まさに極限状態の旅だった。心も体もすり減り、絶望と孤独感が渦を巻くように押し寄せた。逃げ場のないアメリカ横断は、私にとって人生で最も過酷な試練の一つとなった。
身体がボロボロの時に、家族としてのステップアップとはいえ、引っ越しの準備から出産間近までパッキングや通院を重ねていた。
ただしこの転職は、夫にとっては家族のためのステップアップであり、私自身も引っ越し先の環境のほうが良いと納得していた。失われかけていた彼の仕事へのモチベーションを取り戻せるとも理解していたので、心の限界は何とか踏みとどめていた。家族としてのセカンドステージに向かう試練であることも十分理解していたのだ。
夫は外で働き、私は家庭を守る。その役割分担には納得していたし、感謝もしていた。けれど──妊娠中で体が重い日も、産後の回復が追いつかない日も、子どもの夜泣きに加えて、上の子を昼間に公園へ連れて行ったり図書館に連れて行ったり、子どもを発散させることも私ひとりの役目だった。
「役割分担」と「気持ちに寄り添わないこと」は、まったく別のものだった。
家計用クレジットカードを止められた夜──夫婦のお金トラブル
そんな中で、子どもの医療費や急な支出、そして当然引っ越しにも大きなお金がかかった。貯金はみるみる減っていき、私はレシートとにらめっこをしながら必死にやりくりを続けていた。家族の生活を守らなければという責任感と、これ以上削れるところがないという限界の板挟みの中で、張り詰めた心は今にも音を立てて崩れそうだった。財布を開くたびに焦りと不安が胸を締め付け、眠っていても夢にまで数字が追いかけてきた。
そんな私に、夫が冷たく放った一言。
「もうカードは使えなくするから」
心が一気に凍りついた。まるで「母親失格」と「妻失格」、ダブルの烙印を押されたような衝撃だった。胸の奥まで突き刺さり、呼吸すら浅くなる。声を出そうとしても声にならず、喉の奥で凍りついたまま何も言えなかった。手は小刻みに震え、膝の力も抜けそうになった。視界がにじみ、世界から色が消えていくようだった。
何とか声を絞り出し、「カードが使えなくなったら、病院や食事はどうするの?」とやっとの思いで返事をした。
そんな私に追い打ちをかけるように夫は言い放った。
「だったらお前が外で働けよ。俺が家のこと全部やるから。家のことだけじゃなく子育ても」
その瞬間、怒りを通り越し、体が震えた。涙は出なかった。ただ「何も届かない」という絶望と、全身を締め付ける孤独感だけが残った。
婚活時代に出会った算命学──夫婦のすれ違いをどう受け止めるか
思い返せば、私は婚活時代にも同じように心が揺れていた。ひどい失恋を経て、「なぜ自分はこうなるのか」を知りたくなった。
そのとき出会ったのが算命学だった。ただ占ってもらうのではなく、本格的に学び、自分の宿命を知った。過去の痛みにも意味を見出せるようになり、納得して「結婚」という次の一歩に進めた。あのとき、算命学は私に長い人生の地図を与えてくれた。
そして出産と夫婦のすれ違いという新たな壁に直面した今、再び心が揺れていた。その夜、算命学のノートを開き、タロットカードを手に取った。算命学は長期的な人生の流れを、タロットは目の前の近未来を映し出してくれる。嵐の中で進む方向を指し示してくれるコンパスと、広大な地図を両手に持ったような感覚だった。
算命学は「夫は数字やルールで安心を求める人、私は未来への投資を信じる人」と教えてくれた。タロットは「今は揺れても、やがて理解に変わる」と囁いてくれた。
その二つの言葉に触れたとき、心の中で絡み合っていた怒りと孤独が、少しずつほどけていった。人を変えるのは難しい。けれど、相手の宿命や性質を知り、今の夫の見えない現状を理解することで、それに合った受け止め方ができるようになった。相手を変えようと力むのではなく、自分の見方や対応を少し変えることで、状況そのものの見え方が変わっていった。
絶望にしか見えなかった夜は、ただの暗闇ではなく、「どう向き合えばいいかを探す時間」へと変わっていった。そう思えるようになったとき、胸の奥に小さな安堵が生まれ、私はようやく自分の足で前に進む感覚を取り戻し始めた。
経験を力に変えて──海外子育てとワンオペ育児で得た学び
アメリカでは、同じように孤独の中で子育てをしているママたちに寄り添い、ともに歩んできた。その中で気づいたのは、国や環境が違っても、母としての不安や夫婦のすれ違い、家計をめぐるトラブルは誰にでも訪れるということ。
震えでしかなかった夜も、いまは私を支える力に変わった。だからこそ私は、日本でもその経験を役立てたいと思っている。だからこの経験をシェアしたい。
それが、SHINEの役割──運命を知り、自分らしく生きるために、あなたとともに伴走していきます。
そして正直に言うと、私自身も──
自分の人生が、こんな展開をたどるなんて思いもしなかった。私には、大学時代から仲がよく、本音を語り合ってきた女子仲良し3人組がいる。あれから25年が過ぎた。「私たちの未来はこうなるはず」──そう信じて疑わなかった。しかし25年後、宿命に背中を押されるように歩んだ先で待っていたのは、想像をはるかに超える現実だった。
次は、その話をつづります。