シラーの「歓喜の歌」⑧第六節コーラス~神を裁け~

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Chor
 Unser Schuldbuch sei vernichtet!
Ausgesöhnt die ganze Welt! 
 Brüder – überm Sternenzelt
 Richtet Gott, wie wir gerichtet.
 私たちの罪ノート(エンマ帳?)は破棄される。
世界全体に身をゆだねよう。
(世界全体を和解させる・仲直りさせる、という意味ですが、世界・自然・喜びさんの循環する宇宙観、自然の流れに寄り添うというようなイメージを考えています)
兄弟たちよ、星のテントの向こうだ。
私たちが裁かれるように、神を裁け

「神を裁け」、こんな訳しているの、他の訳文で見たことないです(笑)
だけど、「神を裁け」・・・って読めちゃうんですよねぇ。
たいてい他の訳では、「我々が裁いたように神は裁く」です。

ここでの「神」はキリスト教的神の方です。 überm Sternenzeltですからね、星のテントの向こうにいる神様・創造主・お父さまです。

私たちが裁かれるように、神を裁け。
私たちが裁いたように、神は裁く。

 Richtet Gott, wie wir gerichtet.
この部分、定冠詞がないので、主語と目的語の区別がつかないんです。
もし、この文がRichtet der Gottならば、「神は裁く」と「神」を主語とする以外の選択肢はない。
だけど、ここには定冠詞がないので、Richtet den Gottと、「神」を目的語とする可能性も考えていいことになる。
それに、動詞のgerichtet。これは、過去分詞なんですけど、過去完了形ともとれるし、受動形ともとれる。

文法だけで言ったら、四つの可能性がある。
・神を裁け、私たちが裁かれるように。
・神を裁け、私たちが裁いたように。
・神は裁く、私たちが裁かれるように。
・神は裁く、私たちが裁いたように。

神は裁く、私たちが裁かれるように・・・これはちょっと意味が分からないので却下。
神は裁く、私たちが裁いたように・・・自分の行いは、自分が良く知ってる、それを神様はご存じだ、という方がキリスト教的には自然ですよね。最後の審判的な意味合いです。
だけど、「エンマ帳は破棄」されたんです。最後の審判、死後の裁判なんてない設定になった。
喜びさんの世界観、循環システムなわけですから、意味が通らなくなる。

私たちが裁いたように、神を裁け・・・裁くという意味を判断する、と理解すれば意味は通じるかな。私たちが判断したように、神を判断しろ、ということなら、分からなくもない。あなたの信じる神がどういう存在なのか、死んだら分かる、みたいな意味として理解できますね。

Richtet nicht,auf dass ihr nicht gerichtet werdet,
辞書見てたら、例文が・・・新約聖書マタイ7.1
「お前たち自身が裁かれないために人を裁くことはしない方が良い」
だそうです。
これ、どうなんだろ。聖書のこの部分の意味が分からない・・・。
すまん、私の目には丸太が突っ込まれている。

「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。 あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。 あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。 兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。 偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。 神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。」

他人や、犬・豚など別の価値観で生きるものたちが求めてないものをやるな、ということですかね。
他人が求めてないものを、自分の判断で与えたり、してはいけない。そんなことしても、嫌われるだけだ。
ここから「求めよ、さらば、与えられん」ということに繋がっていくようですよ。

色々考えてたら、「私たちが裁かれるように、神を裁け」でよくね?と思えてきました。
もともと、シラーのこの詩を前提知識なく初見で読んだ時、「神を裁け」と読めてしまい、「いやいや、まっさかー」と・・・却下したアイデアですが、こうなってくると、その「まっさかー」の方が正解なのではないか。

私たちが裁かれるなら、神も裁かれる。私たちも神も同じ存在なんだし、そうなるのが当然ですよね。
そしてその神は、「星のテントの向こう」にいる!!
と、考えたくなるじゃないですか。意味も通じるし。

聖書では「裁くな」という教えなんですけど・・・その「裁くな」という神を裁け!となると、さすがに躊躇しちゃいますよね。
ちらっちらアンチキリスト教的な爆弾仕掛けてあるんです。
多くの人が過去にもこの爆弾に触れたはずです。だが、「まっさかー」と、そのままその奇抜なアイデアを、爆発させる前に放棄してしまったのかもしれません。

で、この「神を裁け」も突拍子もないと思うけど、こう来るとさほど不自然には感じない。
そして、私はまんまと爆発させてしまい・・・それがシラーの仕掛けた壮大な宇宙の花火であったと知るのです。
この先(まだまだ続く!!)読んでくだされば、皆様にもその壮大な花火の欠片くらいは感じさせてあげられるかもしれません。だからこそ、第一回から順に読んで追体験してくださらないとダメなんです。
打ち上げ花火は、途中や最後の一発だけ見ても全体が分からん!となってしまうからです。

今のところ・・・ブログ閲覧人数からして(毎回イイネしてくださるアナタ、どうもありがとう)、8人くらいですね。
その8人くらいの人に中盤の盛り上がりからのー・・・最後の壮大な宇宙の花火を感じてもらえたら、すごい嬉しい♡

エンマ帳・死後の裁判と来るから「裁く」という言葉を使ってしまうけど、もしかしたら「裁く」という強烈な意味合いではないのかも。
richtenには、他にも様々な意味があります。
向ける、調整する、合わせる、などなど。

私たちが設定したように、神を設定せよ・・・なーんてどうでしょう。
または、私たちが設定したように、神は設定する。

エンマ帳は破棄されてますし。
アンタが考えるように考えたらよか。アンタの想像した通りでよかたい~みたいな・・・。
ゆるいな、この神・・・スキ。

現代のスピリチュアリズムと同じですね。「あなたが想像したように、世界は創造されるのです」みたいな。

今まで見てきて、「世界」「神々」、ギリシア・ローマ神話的な世界観というものは、ガイア的な「自然の循環」「宇宙的なシステム」「喜びさんが原動力の世界」と考えてます。
自然や自然の循環、再生、システムすべてを「世界」または「未知なる者」「偉大なる神」と呼んでいる。原動力は「喜び」。それは、星のテントの向こう、その上にいる。

その神とは別の神、「星のテントの向こう」にいる神は、キリスト教的唯一神。

神を探せ、神に復讐せよ、神を裁くのだ。
人間に喜びではなく、原罪を植え付けた神を!「生」の果実から人間を遠ざけ、人を堕落した存在として落とした神を!最後の審判といって脅した神を!

という感じ・・・であっても、不自然ではなくなる。

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