原文で味わいたいドイツ語2~山のあなた~

記事
コラム
私のおじいちゃん世代の人にとっては、これがきっかけでドイツ語に興味を持ち始めたという方も多いのではないでしょうか。
「山のあなた」、カール・ブッセ。
上田敏さん訳で有名です。
知らない方でも「幸(さいわい)住むと人のいう」のフレーズはご存じではないでしょうか。


Über den Bergen
                Karl Busse

Über den Bergen weit zu wandern      

Sagen die Leute, wohnt das Glück.      

Ach, und ich ging im Schwarme der andern, 

kam mit verweinten Augen zurück.

Über den Bergen weti weti drüben,

Sagen die Leute, wohnt das Glück.

これ、最初に日本語訳で読んだとき、なんで「幸い」「住む」という妙な言葉になっただろうと不思議に思ったものです。

まぁ、詩ですから、擬人化したり、装飾的な言い回しで訳してしまったのかしら?と思っていたら、原文がすでに「wohnt」で、住むという動詞があてられているんです。

訳した人が気を利かせて勝手に「住む」という単語を使ったわけではなかったんです。

幸せを擬人化しているとして「幸せさん」として解釈してみましょう。

山の向こうに幸せさんが住んでるとみんなが言うので、行ってみた。
山の向こうの集落の人に「幸せさんはどこに住んでいるのか」と聞いて回ったけど「いんやーそんな人この辺はおらへんで」と言われた。
泣きべそかきつつ、地元の村に戻って「幸せさんなんて山の向こうに住んでなかったぞ!」と言ったら、「おるわけないやろ!山の向こうやのぅて、もっといくっつも山超えた遠くの方やで」と言われた。
・・・これ、イジメかなんかっすか?

割と日本で有名な詩、本国より日本で方が有名な詩です。
色んな人が解釈していますが、メーテルリンクの「青い鳥」みたいなものをイメージする人が多いみたいですね。
幸せは身近あったんだよ的なやつ。

幸せさんがいると思って本当に行ってみたら、いなくてがっかりさせれた。地元に戻ったら「騙されたお前が悪い」みたいな雰囲気になってて、めっちゃ孤独感ますやんか。
地元に戻って騙されていたと知り、余計に絶望してしまうだけ。
幸せの青い鳥がどこかにいるらしいよ程度の情報で満足していた方がましだったのでは?

いやぁな地元いじめみたいな雰囲気ただよってきちゃったんですけど。
解釈の仕方が悪いのか、私の性格が卑屈だからでしょうかね。

wohnenという動詞は、住むという意味です。
住んでいる、滞在している、ですね。
通常は人に対して使われます。
辞書の例文も主語は人ですね。

動物やその他生き物に対してwohnenは使われません。
日本語で言う「生息している」besiedelnは、人に対しても動物や植物に対しても使われる言葉ですが、「住む」となると人に対してしか使われないです。

この詩の中で言う、「幸せ」って何なんでしょうか。
生き物なんでしょうか、概念なんでしょうか。

現代風に変えてみると、ちょっとその絶望感が共感できます。

海の向こうに人々が幸せに楽しく暮らしている国があるとみんなが言っていた。
海を越えて行ってみたら、みんなが幸せで楽しく暮らしている国なんかどこにもなかった。
がっかりして帰ってきて、「みんなが楽しく暮らしてる国なんかなかったよ」と言ったら「海の向こうのずっと向こうのもっと向こうの方の話だよ」と言われた。

時空を超えたどこかの話。辿りけないほど遠くの話。おとぎ話か空想の世界の話だったのかな・・・。
本当は、誰も知らないんだ、そんな国があるなんて。

本当は、誰も「幸せさん」に会ったことなんてなかったんだよ・・・。

うわぁ、泣きそうになっちゃう!
メーテルリンクなんてホンワカしてる場合じゃないよぉぉぉ。

みんながうちに帰ってほっとして「あぁ、幸せだなぁ」なんて実感できるわけじゃないもんね・・・。

今まで人の歴史の中で、みんながそれぞれ楽しく幸せに暮らしていた時代なんてなかったです。
絶対誰かか虐げられていたり、犠牲になっていました。
誰かの幸せは誰かの犠牲の上に成り立っているのです。

どんな安定していた世の中であっても、何かしらの犠牲になっていた人はいる。
問題がなかった時代なんて今まで何千年という人類の歴史の中で存在してない。
山の向こうのずっと向こう、そのまたずっと向こうに行っても・・・

そんなものはないのだから、自分で作るしかないね。
自分が幸せさんになるしかないね。

幸せさんを探すより、幸せさんになる方法を見つける方が近道だよね。

誰かが「この近くに幸せさんが住んでいると聞いたのですが」と聞いてきたら、迷わず「あ、それならもしかして、私のことかしら?」と答えられるようになりたいですね(笑)
そしたら、聞いてきたその人も幸せさんになって帰れるね。
泣きながら地元に帰って、さらに馬鹿にされることもなくなるよね!

この詩は人の言う幸せに振り回されてはいけないという教訓だったのではないでしょうか(笑)

追記
気になって調べましたら、幸せさんは存在するようです。
名字でGlückってあるみたいですね。
ウィキペディアにGlückさんのリストがあった。
政治家や作家、ジャーナリスト、歴史学者に法律家、スキーヤ―、アイスホッケーの選手、演出家、果ては犯罪被害者までいた!

サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す ココナラコンテンツマーケット ノウハウ記事・テンプレート・デザイン素材はこちら