【短編小説】狐の通り道

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 薄暗い。
 なんだってんだちくしょー。ARグラスの故障か?
 風で埃が舞う前はもっと明るかっただろ。
 周りを見渡す。
 案内役のキツネは、いた。
 完全に壊れてないなら大丈夫だ。帰り道なんて覚えちゃいないがARで案内させればいい。
 ったく、くそが。せっかく観光に来てやったのに不良品を掴ませやがって、賠償もんだろこれは。入口まで戻ったら文句言ってやる。

「あれ?なんか暗いんだけど、なにこれ、ちょっと」

 聞こえて来た声はいつもの聞きなれた甲高い声。

「なんだよ。お前のARも調子悪いのかよ。これ完璧賠償もんだろ」

 キツネを探してたときに視界には入っていた俺の女。
 恋人?そんな大層なもんじゃねえ。
 さっきから箱?小屋?なんかちっちぇえ家みたいなもんの前にかがんで手を合わせてたけど、こんな古ぼけたものに、そんなことやっても意味ないんじゃねーの。
 やるなら入口にあったでっかい建物とか、山のてっぺんまで行ってやんないと。
 そうそう、山のてっぺんにもでっかい建物があるって言うから見に来たんだった。でもARグラスが変だし、ここまでにして下に降りるか。足も痛てーし。
 しばらく前からじじばばの姿も見えねーし、もうてっぺんまで行ってきたってことでいんじゃねーの。

「ったく、グラスの調子悪いし、もう帰るぞ」
「えー、また山の頂上まで行ってないじゃん」
「うっせえよ。お前のだって壊れかけてんだろ、下行って文句言ってやる」
「んー、わかった。帰る」

 ったくめんどくせえ。がたがた言わずについてこいや。

 暗い道を降りる。
 すぐに覚えてない道に出るが、なんか上りと下りは別の道だとか聞いたし、ARのキツネが先導してるから別になんてことはない。
 ちょろちょろと左右に移動しながら先導するキツネはうざいが、ARを殴ることも出来ないし、足も痛いから大人しくしてやる。俺は温厚なんだ。
 ったく、周りは暗くしか見えないのにキツネだけはやけに明るく見える。ぜってーこのグラス渡したやつに文句言ってやる。ちょっと脅せばなんか出すんだろ。

「もうちょっと、ゆっくり歩いてよ。ねえ」

 うざい。足元が暗くても情けない恰好なんてせずに堂々といつも通り歩く、そりゃそうだろ。でもしょうがねえ、女が腕を掴むのだけは許してやる。俺は温厚なんだ。
 キツネが暗い道を先に行く。
 キツネに置いて行かれそうになって足を速める。道案内のくせに歩くのが速い、いや、女の歩くのが遅い。
 足元が見えなくて怖い?俺は大丈夫、平気だ。足元が暗くてもキツネの後をついて行けば大丈夫だ。

「こんな道通った? 何か変じゃない? ねえってば」

 うるせえな。キツネが歩いてんだからこっちでいいんだ。
 女の腕を掴んでキツネを後を追う。
 大きく足を踏み出す。

                   *

 その日は朝から最悪だった。
 楽しみにしていた稲荷神社に、やっと、取材という名目で来れたというのに。
 ここは神社の規模もさることながら、神社としてはいち早くARによる案内を開始したことで有名になった。
 AR、拡張現実と呼ばれるそれは現実世界に映像を重ね合わせることによってありもしない風景を作り出す技術だ。始めは、スマホのカメラを用いて、カメラに映った風景にアニメのキャラクタを重ねたものを表示する、という形からスタートした。そしてそれはすぐにARグラス、眼鏡にキャラクタを表示することで、眼鏡の向こう、現実の世界とリアルタイムでコンタクトする形へと進化した。
 これに目をつけたのは博物館だった。展示物事に説明書きを置いたり、コンパニオンが付きっ切りで説明したりという、見るだけでは分からないもの、説明があることで一層興味深く見ることが出来る展示の分野にAR技術はフィットした。
 一人一人を案内し、展示物の説明をするコンパニオン。それが人間の介在なしで実現出来る技術。
 同じように信仰上の意義、歴史的な経緯、その編纂と、詳しく調べた人間しか理解することが出来ない神社に置いてもAR技術は大きな意味があった。
 しかし、神社はその特性上、最新技術、と言われる分野とは相性が良くない。歴史の重さこそが神社の価値なのだから。

 そんな中でいち早くAR技術を取り込み、ARによる案内を始めたのが数ある神社の中でも有数の規模を持つ、この稲荷神社だったのは偶然ではない。
 規模が大きい分、案内は案内板が主体となり、また、景観を崩さないように最小限の案内に留まらざるを得ないこの神社に取って、景観を崩さないままで一人一人の案内が可能となるAR技術は有効だった。そして、神社と最新技術の溝を取り払うために行われたのがアバター。稲荷神社において、神の使いと位置付けられている狐、これを案内用のキャラクターとすることだった。
 狐が案内する稲荷神社。これは保守的な老人にも好評で、一時は存続も危ぶまれていた神社の経営面においても大きな効果を上げていた。

 そんなARの成功例であるこの神社の取材は自分に取って福音だった。
 犬も、猫も、ペットをもふもふで撫でるのも、ペットカフェでもふるのもそう難しくはない。が、狐は自宅にはハードルが高すぎるし、狐村は遠すぎる。
 そこでこの神社だ。案内用のARだけだなんて馬鹿にしたもんじゃない、ネットの情報によると移動中に足元に纏わりついてきたり、説明の合間に見上げてきたりと、とっても可愛いというのだ。
 そこに行ける。取材で。つまり旅費は会社持ち。

 それなのに。
 それなのにだ。
 朝の境内に入れるようになる時間に合わせて来て、始めに目に入ったのが、入口で騒いでいるカップル。何が気に入らないのか、入場口を堰き止めて盛んに文句を言っている。
 ただでさえ広い境内。山一つを占有する神社を一回りするだけで半日は潰れる広大さだ。そこでいくつもの場所で写真を撮り、狐の動きをメモし、スポット毎の所感をまとめ、狐を愛でないといけないというのに。
 人気のある神社だけあって、朝のこの時間でも十人を超える参拝客が並んでいる。入口は一カ所。それを堰き止めてグダグダやっているカップルに殺意すら沸いてくる。

「あらあら、朝からよう声上げて、せわしないなぁ」
「ほんになぁ。神社で煩さしとおたらお狐さんが怒りはるわ」
「声上げたいならカラオケでも行きはったらどないやろ」

 年配のご婦人の声が聞こえ出す。隣に並んでいる友人と話しているようでいて、隣と話す声の大きさではない。
 並んでいる列の中から上がった声は、徐々に周囲の人も巻き込んで友人との会話を続ける。大きな声で。話題は入口を塞いで迷惑な若者について、だ。

 窓口のカップルのうち、女性のほうは後ろで盛り上がってる年配者の言葉が聞こえたらしく、しきりに後ろを伺っては男性を促し始める。それからしばらく後に窓口から離れたのは説得が成功したのか、文句を言うのに飽きたのか、微妙に時間が経ってからだった。


 予定より大分遅れて境内に入った後は、事前にアポイントを取っていた神主さんに取材の挨拶とインタビューを行う。最近は取材も多くなりまして、なんて言いながらインタビューに応じてくれた神主さんは、なるほど、言うことが整理されていて、何度も同じ話をしているのだと思わせる。

 その後は、やっと、やっとの思いで辿り着いた、境内の取材と称したAR狐ウォッチングの開始。
 入場口で渡されるARグラスをかける。
 グラスと言っても、液晶ディスプレイ、スピーカー、マイクが一体となったヘッドセットだ。重さがあるため、眼鏡のように耳と鼻で支えるわけにもいかず、ヘッドセットは幅のあるバンドを頭にぐるっと回して固定する。せっかく整えてきた髪型が崩れてしまうがしょうがない、崩れ方が少なくなるように慎重にヘッドセットを身に着けた。

 視界にはARグラスを掛ける前と遜色のない風景が見える。
 狐は?狐はどこ?
 狐を探して回りを見ると、他の参拝客と一緒に歩いている狐が目に入る。
 このARグラスは自分の案内役以外の狐も見えるみたいだ。すごい、かわいい、うちの子はどこ。
 うちの子は。
 足元に見える黄色い毛並み。
 足に纏わりつくように見上げる狐がいた。

「おー、狐だ。可愛い可愛い可愛い」

 しゃがんで狐を間近に見る。

「可愛い。もふもふだ、可愛い」

 しゃがんだまま、狐を愛でる。触れないのが惜しい、とても悔しい。でも可愛い。

「お狐様だけじゃなく、境内の取材もお願いしますね」

 うひゃい。
 恐る恐る後ろを見ると、さっきまでインタビューしてた神主さんが居た。
 愛想笑いを返して立ち上がる。

「お狐様は、基本的に順路通り案内しますから、行きたい場所があったら話し掛けて見てくださいね。食事処やお手洗いまでの道案内もして下さいますので」

 分かりましたと声を返して、ついでに軽く頭を下げて移動する。
 数歩先を狐が先導してくれる。ふへへって感じだ。

 その先は至福の時間。となるはずだったが、いくつかの観光スポットでさっきのカップルと鉢合って気が滅入る。
 何が気に入らないんだが、大声で騒いでは回りのご年配の方々に嫌味を言われたり、狐の面を被った人に止められたりしている。狐面の人は神職の方だろうか、お面で表情は見えないけれど、近寄って覗き込むだけで大人しくさせるのはすごい。うちの編集長にもやってくれないかな。

 騒ぐカップルのせいで殺伐とした気分を、狐を至近距離で眺めることで癒しならが、なんとか取材メモを書き、写真を撮っていく。そしてその場所の取材が終わったらまたしゃがみこんで狐を愛でる。

「お主、さっきから可愛い可愛いと、我らは神の遣いだと言う事を理解しているのか?」

 おおうと仰け反り、そのまま立ち上がって頭を下げる。

「す、すいません」

 ARに怒られるとは思わなかった。自重しよう。でも癒しの空間が。

 案内のお狐様が溜息をつく。

「ほどほどにな」

 はいごめんなさい。ちょっとだけにします。

 お狐様に控え目に癒されながら、なんとか全部の取材を終える。
 山一つが境内とは知っていたものの、歩く距離が長すぎて足が痛い。途中からは、あの騒がしいカップルの姿が見えなくなったから間に合ったものの、朝の調子で取材の邪魔をされたら今日だけでは終わらなかったかもしれない。
 ARグラスを外す前に、最後にもう一度、至近距離でお狐様を眺める。

「今日はありがとうございました」

「ふん。我の役割ゆえ礼は要らぬ。約定通り記事が出来たら送れよ」

「はい、もちろんです」

 ARグラスを外すと、風が当たった額が涼しく感じる。ずっと付けてたし、そのまま一日中歩いたから、汗が溜まってる感じだ。ハンカチで汗を拭いて、ついでに髪も軽く整える。
 ARグラスを返したらすぐに帰らないと。あ、その前に編集長に連絡かな。
 今度は私費でも構わないから、もっとのんびりとお狐様と遊びたい。そんなことを考えながら、狐のいない境内を出口に向かって歩く。
 でも、お狐様ってなんで記事のこと知ってたんだろ。え゛、もしかして神主さんが遠隔操作とかしてたり、うっわ可愛い連発しちゃったよ、やっべ、ってことはもしかして今取材終わったのもバレてる? 社務所から出て来ちゃったらどうしよう。顔合わせたくない。
 頭の中がぐるぐるで思わず足早に境内を出る。

「あ、でも取材終わったって、挨拶したほうがよかったんじゃ」

 うん、もう出ちゃったし、電話にしよう。

                   *

「今朝5時頃、神社参道にて男女2名の遺体が発見されました。発見された参道は崖の下に面しており、崖の上にも参道が存在していることから、足を踏み外して滑落したものと見られています。
 この神社では参拝者には全員ARによるナビゲーションを行うメガネの貸し出しを行っておりますが、死亡した男女がARグラスを身につけておらず、付近にも見つからないことから夜のうちに侵入、明かりのない参道で道を誤ったのではないかとのことです。
 この神社では過去に施設へのいたずらや落書きが多発したことがあり、その影響で人目が少なくなる夜間の参拝が禁止するに至りました。しかし、その後も肝試しと称して夜間に侵入し、事故に合うという事件が複数回発生しており、関係者は頭を悩ませています。」

「続いては目出度い『狐の嫁入り』についてのニュースです」


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