20年以上前のお話、
新人葬儀屋だった私が最初に叩き込まれたのは、
膨大なルールの暗記でした。
道具の呼び名、
お茶の出し方、
地域の寺社名……
今思い出しても胃がキリキリするような緊張感でした。
ひたすら書いて覚える📝
一つ一つの意味などはいちいち教えてくれません。
●専門用語だらけ
宗派によって、葬儀で利用する道具も様々でした。
呼び間違いで怒鳴られ、分かるものに変われと言われて
泣きそうになりながら先輩に対応を代わってもらう、
なって事もありました。
●看板(家柄)を継いだだけで、
中身が伴っていない人に頭を下げ続ける虚しさ
令和の時代だと逆になっているかもしれません。
ただ、当時は亡くなってすぐにお世話になっていたい寺院に
先に連絡する。
「葬儀屋がわからないから紹介してください」ということもあり
寺院からお仕事の紹介を受ける事もありました。
その為か、『寺院>葬儀屋』の構図が出来上がっており
僧侶への接待もありました。
概ね住職は前住職の息子さんが後を継ぐケースが多かった気がします
逆に「本来であればこちらで準備するのが筋なのに
準備してもらってありがとうございます。
準備して頂きたいものはこれこれとそれそれと…」
と詳細を教えて頂ける神官・僧侶もいらっしゃり
無知な私を導いてくれた
神職や僧侶の優しさを感じた事も覚えています。
勿論、葬祭を生業としている以上
知ってて当たり前といわれるのはその通りですし、
前者の神官・僧侶も勿論間違ってはいないと思います。
各種宗教観を深堀りということではなく
各神官・僧侶の『人間性』についてかなり勉強になった時期でした。
●看板の大きさ
看板が人を傲慢にするのか「看板(宗派や役職)」が
大きければ大きいほど、それを自分の実力と
勘違いしてしまう危うさがあるなと思います。
そうなってくると・・・
各宗教云々…というより
その人の所は嫌だな
とか
その人の宗派ってこんな素敵な僧侶がいるんだとか
『人』でかなりフィルターが掛かる事を感じました。
人は「正しい教え」ではなく、
それを体現する「人の振る舞い」でその組織を判断するということを。
勿論各宗派を深堀りするとそれぞれの考え方、
しきたりがあるのは理解できますが
『入口』である神官僧侶の『人柄』は非常に重要だと感じます。
例えば医療のように名医と言われる人が
どんなに性格に難があっても
『完治』した実績という目に見えるものがあれば
きっとその名医に依頼するでしょう。
現世で生きる私たちは概ね、死後の世界まで
見る事はできませんよね?
現世で立派な葬儀をしてもらったという実績は
故人のその後は確認できないのがほとんどではないでしょうか。
医療と違い、結果が目に見えにくい世界だからこそ、
『人柄』というフィルターがそのまま『信頼』のすべてになるのです。
これは今の職場でも同じだと思っています。
部下や後輩は、上司の「役職」ではなく
「一人の人間としての接し方」を見ている。
『あの人、出世してから変わった』
など思ったことはありませんか?
正しいことを言う時ほど、
相手への敬意(リスペクト)を忘れてはいけないと感じます。
もし今、あなたが職場の
「理不尽な看板」に押しつぶされそうなら、
一人で抱えないでください。
あなたの視点を整理するお手伝いをします。
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