私は今3つほどビジネス(小さい会社ですよ?)をしているのですが、
その中の一つで従業員の女の子が新規の顧客にいわゆるカスハラに会うという事案が今年の春ごろ発生しました。
(無理難題を言う系)
その時に私がいなかったので対応が後日になってしまい
深く傷ついてしまった従業員の子への対応が遅れてしまいました。
その後私は「たまたま変なのに当たっただけだから気にしなくていいよ」
という言葉がけをしたのですが
どうも浮かないというかモチベーションが下がった感じが空気感で溢れていました。
その子は社内の雑用や空気づくりなんかによく気が利く子で求める事以上の答えを出してくれるタイプ。
どうしたらいいかなと考えていたらふと気づいたんです
「私は彼女がやってくれている1つ1つの事を[当たり前]と捉えて都度都度感謝を怠っていたかもしれない」と。
そこで愛着障害という今回のテーマが出てきます。
これは彼女に対してではなく「自分への愛着障害」というテーマです。
私は機能不全家族(狭い汚い家で親からの暴力罵倒や監視下にいた)という事もあったり学校から理解されないような環境にいたため、
愛情が欠乏し
「常にできて当たり前」
「このぐらい出来ないの?」
また汚い言葉で罵倒される等
という周囲からの受容性の全くない環境にて小さい頃を過ごしていました。
そんな愛の欠けた環境にいたため「私が私をありのまま認める」という事が出来ていなかったんです。
心理学的に言う分離欲求の思考癖がまだ残っていて、
「外の物質に過大評価をして、たった今身の周りに在るものの充足を見る事を怠る」
{足るを知る的な}
という自動思考があるのだなと気づきました。
だから人の与えてくれる小さな充足を無意識的に見落とした。
これって愛着障害の一種なんですね。
そこから半年ぐらいかな社内だったりコーチングだったりで
かなりその部分を観察する様になりました。
自分なりの体感データが出来てよりスムーズに人とコミュケーションがとれるようになってきたかなとは思っています。
一番気が付いたのは当たり前だと思ってしていた事に
「想像以上に人に感謝されていたのだな」
と気づけたこと。
充足は自分の周りに探さなくても満ち溢れていたのです。
愛着の愛はI(私)でもあります。
もし休みの日が気が重かったり体が動かなかったりするなら
あなたの心にI(あなた自身)をまるっと愛し
受け入れられていない心のブロックがあるのかも?
ちなみに話に出て来た従業員の子は今も元気に働いてくれています。
(良かった)