書類の出し忘れも、余程重要なものでなければ、何かしらのリカバリー方法はあるはずです。
第1段階の窓口では受付が終了していても、別の窓口なら間に合う、など。
テストで5点足らなかった時も、80点取らなければいけなかった理由によっては、決着をつけるべきは残念に思っている自分の心だけです。
失敗=目的が達せられなかった、だとすると、それはたくさんある方法のうちの一つがダメだった、というだけのことです。
1つ目の方法では達成できなかった、では、他にどんな方法があるのか?
次善策を考えることが重要です。
目的・目標とは、ゴールです。
明確なゴールがあると、具体的な行動をとることが出来ます。
ゴールへ向けて進み続けるのです。
しかし、「情勢が悪かったり」して、当初の目的を達成できなかったとして、
それまでしてきたことは全部ムダなのでしょうか。
テストで80点以上を取るために1日1時間その教科を勉強した。
でも結果は5点足りなかった。
80点以上、という目的は達成できなかった。
でも、「75点取れた」のは、どうしてでしょう?
80点以上を目指して1日1時間勉強した、という「プロセス」があったからです。
目的の意味にもよりますが、
プロセスそのものの価値を忘れないようにしましょう。
当初の想定通りにことを進めようとするのは大事です。
しかし当然ながら、想定通りに進まないこともまたよくあることです。
想定通りに進まないことを、事実以上の「悪」や「罪」のように
重く受け止めすぎると、どうなるでしょう。
自責の念で一杯になり、「失敗をどうカバーするか」と考えることが出来なくなります。
「皆に申し訳ない」「恥ずかしい」「評価が下がった」「これからは信頼してもらえない」
という、
感情に支配されてしまいます。
後悔することは無駄ではないし、悪いことでもない。
そして、無理にマイナス感情を回避しようとすると、いずれ失敗すらしない「行動しない」状態になってしまいます。
ずっと後悔や不安、自責にばかり囚われすぎると、そのことがまた新たな「失敗」に繋がってしまいます。
どれだけの時間を費やせるか、は、個人の特性や状況によって異なると思いますが、
「落ち込むのは〇日/〇時間だけ」と、
期限をつけ、それを過ぎたら<2>の次善策へ向けて行動を開始しましょう。
たった一度のトライで目的に達成しないことを、即座に「失敗」として切り捨てるのは、あまりに勿体ない話です。
失敗、と捉えるから、落ち込むし、落ち込みたくないから、そもそもやろうとしなくなってしまうのだとしたら、「失敗」だと考えなければいいのではないでしょうか。
失敗ではなく、
試行錯誤の第一段階なのです。
Aというやり方ではだめだった⇒ではBでやってみよう⇒A’でもいかもしれない⇒AAというやり方もあるかな……、など。
そしてこのとき大事なのは、「試行錯誤の第一段階」であることを
受け容れてくれる環境です。
「方法がまずかったり情勢が悪かったりで、目的が達せられないこと」という失敗の定義にも、それ(環境)が含まれています。
失敗とは、行為者一人だけの責任でも原因でも無いのです。
そして、試行錯誤・リトライが出来ないとしたら、それも行為者だけの責任ではありません。
本当の失敗とは、
1回しか挑戦しないこと・出来ないこと、なのです。