諦められない気持ち
カウンセリングルームのドアを開けたとき、クライエントの表情にはどこか疲れが見えた。
クライエント「はじめまして...今日はよろしくお願いします」
ダイキ「こちらこそ、よろしくお願いします。今日はどんなことでお話ししたいと思われましたか?」
クライエント「あの......実は、3年前に別れた人のことが、まだ忘れられなくて」
言葉を選ぶように、ゆっくりと話し始めた。
クライエント「周りの友達には『もういい加減忘れなよ』って言われるんです。私もそう思ってるんですけど......頭では分かってるのに、気持ちがついていかなくて」
ダイキ「頭では分かっているのに、気持ちが追いつかない。それは辛いですね」
クライエント「はい......SNSも見ちゃうし、共通の友達から近況を聞いたりして。もう彼には新しい人がいるって分かってるのに、つい気になっちゃうんです」
少し恥ずかしそうに、でも正直に話してくれる。
ダイキ「新しい人がいると分かっていても、気になってしまう。その時、どんな気持ちになりますか?」
クライエント「......苦しいです。でも同時に、なんだろう......まだ可能性があるんじゃないかって、どこかで思っちゃってる自分もいて」
期待と現実のギャップ
ダイキ「可能性があるんじゃないか、と」
クライエント「変ですよね。もう3年も前に別れて、向こうは新しい人がいるのに。でも、ふとした瞬間に『もしかしたら』って思っちゃうんです」
ダイキ「その『もしかしたら』って思う瞬間、何か特別な出来事がありますか?」
クライエント「えっと......例えば、彼が昔好きだった音楽を聴いた時とか。あと、たまたま彼がいた場所の近くを通った時とか。そういう時に『もしかして会えるかも』とか『何か起きるかも』って......」
そう話しながら、クライエント自身もその不自然さに気づいたようだった。
クライエント「...今、自分で言ってて思ったんですけど、全然現実的じゃないですよね、これ」
ダイキ「現実的じゃない、と今感じたんですね。でも、その瞬間はそう感じられなかった?」
クライエント「そうなんです。その瞬間は本気で『もしかしたら』って思っちゃう。でも結局何も起きなくて、また落ち込んで......その繰り返しで」
脳が作り出す「期待」の罠
ダイキ「その『もしかしたら』という期待と、実際に何も起きない現実。そのギャップはどんな感じですか?」
クライエント「......しんどいです。期待してるときはドキドキして、なんか楽しいような気持ちもあるんですけど。でも何も起きないと、すごく虚しくなって」
ダイキ「期待しているときは楽しい感じもある、と」
クライエント「はい......それが良くないんですよね?」
ダイキ「良い悪いではなくて、それが人間の脳の仕組みなんです。期待しているときって、実は脳の中で報酬を期待する物質が出ているんですよ」
クライエント「報酬を期待する......物質?」
ダイキ「ドーパミンという物質です。これは『もしかしたらいいことがあるかも』という期待の段階で分泌されます。実際にいいことが起きなくても、期待するだけで脳は興奮するんです」
クライエント「じゃあ、私が『もしかしたら会えるかも』って思ってドキドキしてたのは......」
ダイキ「脳が『報酬があるかもしれない』と期待して、興奮していた状態です。でも実際には会えないし、何も起きない。だから虚しさが残る」
クライエントは少し驚いたような顔をした。
クライエント「...ってことは、私は3年間ずっと、その期待だけで動いてたってことですか?」
なぜ執着が続くのか
ダイキ「執着が続くのには、生物学的な理由もあるんです。少し専門的な話になりますが、聞いてもらえますか?」
クライエント「はい、ぜひ聞きたいです」
ダイキ「人間の脳は、本来『見込みのない相手への執着を断ち切る』という機能を持っています。これは生存と繁殖のための戦略なんです」
クライエント「戦略......ですか?」
ダイキ「そうです。例えば原始時代、ずっと一人の相手にこだわり続けて、他の可能性を探さなかったら、子孫を残せない可能性が高くなりますよね」
クライエント「......確かに」
ダイキ「だから脳には『この相手はもう無理だ』と判断して、気持ちを切り替える機能が備わっているはずなんです。でも、現代社会ではこの機能がうまく働かないことがある」
クライエント「どうしてですか?」
ダイキ「一つは、SNSなどで相手の情報に簡単にアクセスできてしまうこと。原始時代なら、別れた相手とは物理的に距離ができて、自然と情報が入らなくなるはずでした」
クライエント「......あぁ」
声のトーンが変わった。何かに気づいたようだ。
クライエント「私、めっちゃ見てました。SNS。共通の友達にも聞いてたし」
ダイキ「情報に触れ続けることで、脳は『まだ関係が続いている』『可能性がある』と錯覚してしまうんです」
クライエント「じゃあ、私の脳は......諦める機能が働いてなかったってことですか?」
ダイキ「正確には、諦める機能が働こうとしても、常に新しい情報が入ってきて、リセットされてしまっていた、という感じでしょうか」
報酬系の仕組み
クライエント「先ほど言っていた、ドーパミンって......それも関係してるんですか?」
ダイキ「はい、大きく関係しています。ドーパミンは報酬を期待する時に分泌されますが、実は『確実に得られる報酬』よりも『得られるかもしれない不確実な報酬』の方が、強く反応するんです」
クライエント「え......?」
ダイキ「例えば、確実に100円もらえる場合よりも、もしかしたら1万円もらえるかもしれない(でももらえないかもしれない)場合の方が、脳は興奮するんです」
クライエント「.....あ」
クライエントは何かを悟ったような表情を浮かべた。
クライエント「だから、『もしかしたら復縁できるかも』っていう不確実な期待の方が、新しい確実な出会いよりも......魅力的に感じちゃうってことですか?」
ダイキ「そういうことです。脳は『もしかしたら』という可能性に強く反応してしまう。だから、望みのない恋に執着し続けてしまうんです」
クライエント「じゃあ、私がおかしいんじゃなくて......脳の仕組みのせいなんですか?」
ダイキ「おかしいんじゃありません。人間の脳がそういう風にできているんです。でも、その仕組みを理解することで、対処の仕方も見えてきますよ」
諦めるとはどういうことか
少しの沈黙があった。クライエントは自分の手元を見つめている。
クライエント「......諦めるって、どうすればいいんでしょうか?」
ダイキ「諦めるって、どういうことだと思いますか?」
クライエント「えっと......忘れること、ですか? もう好きじゃなくなること?」
ダイキ「それも一つの形ですね。でも、もっと前の段階で大切なことがあります」
クライエント「前の段階......?」
ダイキ「諦めるっていうのは、『この関係はもう終わっている』『可能性はない』という現実を、脳にしっかり認識させることなんです」
クライエント「現実を......認識させる」
ダイキ「そうです。今、あなたの脳は『もしかしたら』という期待で動いています。でもその期待は、SNSや人伝いの情報によって、常に更新され続けている」
クライエント「......はい」
ダイキ「まず必要なのは、その情報源を断つこと。SNSを見ない、共通の友達に近況を聞かない。脳に『もう情報は入ってこない』と学習させるんです」
クライエント「それって......できるんでしょうか。すごく難しそう」
ダイキ「難しいですよね。でも、これは自分を守るための行動なんです」
生存戦略としての諦め
ダイキ「さっき話した、脳の『諦める機能』のこと、覚えていますか?」
クライエント「はい、生存と繁殖の戦略だって」
ダイキ「そうです。この機能が働くと、何が起きると思いますか?」
クライエント「えっと......その人のことを考えなくなる?」
ダイキ「それもありますが、もっと大きな変化があります。他の可能性に目が向くようになるんです」
クライエント「他の......可能性」
ダイキ「今、あなたのエネルギーの多くは、望みのない恋に注がれています。でも、もしそのエネルギーを他のことに使えたら?」
クライエントは少し考えてから、小さく頷いた。
クライエント「......新しい出会いとか、自分の時間とか」
ダイキ「そうです。脳が『この相手はもう無理だ』とちゃんと認識すると、自然と別の方向にエネルギーが向かうんです。これは生存戦略として、とても合理的なんですよ」
クライエント「合理的......」
ダイキ「一人の相手にずっと執着し続けるより、見込みがないと判断したら早めに切り替えて、新しい可能性を探す。これが長期的には、より良いパートナーと出会える確率を高めるんです」
クライエント「じゃあ、諦めるって......負けることじゃなくて?」
ダイキ「むしろ、次に進むための戦略です。自分の人生をより良くするための選択なんです」
期待と現実のズレに気づく
クライエント「でも......情報を断つだけで、本当に諦められるんでしょうか?」
ダイキ「それだけでは難しいかもしれません。もう一つ大切なことがあります」
クライエント「何ですか?」
ダイキ「期待していることと、実際に得られることのズレに、ちゃんと気づくことです」
クライエント「......ズレ?」
ダイキ「あなたは『もしかしたら会えるかも』『何か起きるかも』と期待するとき、ドキドキして楽しい気持ちになると言いましたよね」
クライエント「はい」
ダイキ「でも、実際に何か起きましたか? その期待は満たされましたか?」
クライエントは静かに首を横に振った。
クライエント「......いいえ。一度も」
ダイキ「そのギャップを、しっかり認識することが大切なんです。期待しても、実際には何も得られない。むしろ虚しさが残るだけ」
クライエント「あぁ......」
ダイキ「これを何度も経験して、脳が『この期待は報われない』と学習すると、だんだん期待しなくなってくるんです」
クライエント「脳が......学習する」
ダイキ「そうです。でも、今はSNSを見たり情報を集めたりすることで、『もしかしたら』という期待が繰り返し更新されてしまっている。だから学習できないんです」
一歩踏み出す決意
クライエントはしばらく黙って考えていた。
クライエント「......私、ずっと同じことを繰り返してたんですね」
ダイキ「繰り返していたことに、今日気づかれたんですね」
クライエント「はい。期待して、何も起きなくて、また期待して......それを3年間」
言葉の最後が少し震えた。
クライエント「......なんか、もったいなかったな」
ダイキ「もったいなかった、と感じるんですね」
クライエント「3年って、結構長いじゃないですか。その間、新しい出会いもあったかもしれないし、もっと自分のために時間を使えたかもしれない」
ダイキ「そうですね。でも、今日気づけたことは大きいですよ」
クライエント「......そうでしょうか」
ダイキ「気づくことが、変わるための第一歩ですから」
クライエントは少し考えてから、決意したような表情で言った。
クライエント「SNS、見るのやめます。ブロックするか、アプリ消します」
ダイキ「それは大きな一歩ですね」
クライエント「あと、共通の友達にも『彼のこと聞かないで』って伝えます。きっと理解してくれると思うし」
ダイキ「具体的な行動を考えられましたね」
クライエント「でも......正直、怖いです。情報が入ってこなくなるのって」
ダイキ「怖い、というのは?」
クライエント「なんか......本当にもう終わりなんだって、現実になっちゃう気がして」
喪失と向き合う
ダイキ「終わりを認めることは、喪失を受け入れることでもありますね」
クライエント「......はい」
ダイキ「喪失って、悲しいことです。でも、悲しみを感じることも、諦めるプロセスの一部なんですよ」
クライエント「悲しんでいいんですか?」
ダイキ「もちろんです。むしろ、ちゃんと悲しむことが大切です」
クライエント「でも、周りは『もう忘れなよ』って......」
ダイキ「周りの人は心配してそう言ってくれているんだと思います。でも、忘れるっていうのは、感情を押し殺すことじゃありません」
クライエント「......そうなんですか」
ダイキ「失ったものを失ったと認めて、その悲しみを感じる。それができて初めて、次に進めるんです」
クライエントの目に涙が浮かんだ。
クライエント「......ずっと、悲しいって思っちゃいけないと思ってました。早く忘れなきゃって」
ダイキ「悲しんでいいんですよ。大切だった人との関係が終わったんですから」
クライエント「......はい」
静かに涙を拭いながら、クライエントは少しずつ何かを手放していくように見えた。
新しい未来へ
しばらくの沈黙の後、クライエントが口を開いた。
クライエント「あの......諦めた後って、どんな感じになるんでしょうか?」
ダイキ「どんな感じになると思いますか?」
クライエント「えっと......スッキリするのかな。もう苦しまなくなるのかな」
ダイキ「人によって違いますが、多くの人が経験するのは、まず空虚感です」
クライエント「空虚感......?」
ダイキ「今まで心の大部分を占めていたものがなくなるわけですから。最初は何か欠けたような感じがするかもしれません」
クライエント「それって......いいことなんですか?」
ダイキ「空虚感があるということは、ちゃんと手放せたということでもあるんです。その空いたスペースに、新しい何かが入ってくる余地ができたということですから」
クライエント「新しい何か......」
ダイキ「それが何かは、まだ分かりません。新しい出会いかもしれないし、新しい趣味かもしれない。あるいは、ただ自分と向き合う時間かもしれません」
クライエント「......なんか、それって悪くないかもって思えてきました」
ダイキ「そう感じられたんですね」
クライエント「3年間、ずっと彼のことばかり考えてて。自分のこと、全然考えてなかったなって」
ダイキ「今、何か考えてみたいことはありますか?」
クライエント「......あります。前にやってた趣味、もう一回始めてみたいです。彼と付き合ってからやめちゃってたんですけど」
ダイキ「それは良いですね」
クライエント「あと......新しい出会いも、怖いけど、いつかは考えてみたいです。まだ今すぐじゃないけど」
ダイキ「今すぐじゃなくていいんですよ。まずは自分の時間を取り戻すことから」
脳の学習を信じて
クライエント「最後に一つ聞いてもいいですか?」
ダイキ「どうぞ」
クライエント「情報を断って、期待と現実のズレに気づいて......それをしたら、本当に諦められますか?」
ダイキ「100%とは言えません。でも、脳の学習能力を信じてあげてください」
クライエント「脳の......学習能力」
ダイキ「脳は『これは報われない』と学習すると、自然とそこにエネルギーを使わなくなります。でも、学習には時間がかかるんです」
クライエント「どれくらい......?」
ダイキ「人によって違いますが、完全に情報を断って、数ヶ月から半年くらいでしょうか。その間、何度か『見たい』『知りたい』という衝動が来るかもしれません」
クライエント「来たら......どうすればいいですか?」
ダイキ「その衝動が来たら、『あ、脳が期待している』と気づいてください。そして、『でも実際には何も得られない』と思い出す。それを繰り返すんです」
クライエント「......やってみます」
ダイキ「一人で難しければ、また話しに来てくださいね」
クライエント「はい。ありがとうございます」
カウンセリングルームを出る時、クライエントの表情は来た時よりも少し軽く見えた。
まだ不安はあるだろう。でも、望みのない恋から一歩踏み出す決意ができた。それは、自分の人生を取り戻すための、大きな一歩だった。
📝 自分の恋愛パターンを「見える化」してみませんか?
心理学の2つの理論をベースに、あなたのパーソナリティタイプと恋愛スタイルを分析するサービスをココナラで提供しています。約20分の診断に答えるだけで、20ページ以上の詳細レポートをお届けします。
🙋 このブログを書いている人について
だいき|産業カウンセラー・キャリアコンサルタント
会社員時代、職場の人間関係でメンタルが限界に。「このままではまずい」と一念発起し、コミュニケーションを学び直した経験が、産業カウンセラー・キャリアコンサルタントの資格取得につながりました。
恋愛・婚活でも7年間で88人とデートを重ねながら、うまくいかない時期が長く続きました。その苦しさを知っているからこそ、脳科学・進化心理学・愛着理論といった知識を「自分ごと」として学び続けてきました。
キャリアブレイクコミュニティでは160回以上のワークショップを主催。さまざまな悩みや状況を持つ方と向き合い続けてきた経験が、相談の土台になっています。
「記事を読んで、もう少し深く話してみたい」と感じたら、ぜひココナラのサービスをのぞいてみてください。