罪悪感とともに迎える朝
セッションルームに入ってきたクライエントは、やや疲れた表情をしていた。目の下には薄く隈があり、肩が少し丸まっている。椅子に座ると、深くため息をついた。
ダイキ「今日はどうでしたか?」
クライエント「......またやっちゃいました」
その言葉は、何度も繰り返してきたような、諦めにも似た響きを持っていた。
クライエント「昨日も結局、勉強は30分くらいしかできなくて」
そう言いながら、クライエントは小さく息を吐いた。
ダイキ「30分はできたんですね」
クライエント「でも、スマホは......」
クライエントは言葉を探すように視線を泳がせた。
クライエント「たぶん、4時間くらい見てたと思います。いや、もっとかも」
クライエントの声が少し小さくなる。
クライエント「朝起きて、まずスマホ見て。ニュース見て、動画見て、SNS見て......そしたらもう昼で。『今から勉強しよう』って思って机に向かうんですけど、30分くらいで集中できなくなって......気づいたらまたスマホ」
クライエントは自分の膝を見つめながら、静かに続けた。
クライエント「夕方も同じ。夜も同じ。気づいたらもう寝る時間で。『今日も何もできなかった』って思って、すごく嫌な気持ちになるんです」
ダイキ「その『嫌な気持ち』って、どんな感じですか?」
クライエント「......情けないというか」
クライエントは言葉を選ぶように、ゆっくりと話した。
クライエント「自分が情けなくて。やらなきゃいけないことがあるのに、何でこんなにだらけてるんだろうって。友達はちゃんと仕事してるし、私だけ......何やってるんだろうって」
クライエントは視線を落とした。その表情には、自分を責める気持ちが深く刻まれていた。
ダイキ「毎日、そういう気持ちになるんですね」
クライエント「はい......。朝起きたときから『今日こそは』って思うんです。でも、夜になると『また何もできなかった』って」
クライエントの声が震えた。
クライエント「もう、自分が嫌になります」
スマホを見る前の感覚
しばらく沈黙が流れた。クライエントは自分の手を見つめている。
ダイキ「スマホを見る前、どんな感じがしますか?」
クライエント「......うーん」
クライエントは眉をひそめて、何かを思い出そうとしている。
クライエント「勉強しようと思って机に向かうんですけど......」
言葉が途切れる。クライエントは何かを探すように、視線を宙に泳がせた。
クライエント「なんか......もやもやするんです」
ダイキ「もやもや」
クライエント「はい。胸のあたりが......重いというか、ざわざわするというか」
クライエントは自分の胸のあたりに手を当てた。
クライエント「机に座って、テキストを開くじゃないですか。で、『さあやるぞ』って思うんですけど......」
クライエントは少し苦しそうに続けた。
クライエント「『これ、本当に役に立つのかな』って思っちゃうんです」
ダイキ「役に立つのかな」
クライエント「はい。『こんなに勉強して、受かるのかな』とか、『受かったとしても、本当に転職できるのかな』とか......」
クライエントの声が小さくなっていく。
クライエント「そういうこと考え始めると、もう......集中できなくて」
ダイキ「そのとき、体はどんな感じですか?」
クライエント「......体?」
少し驚いたような表情でダイキを見る。
ダイキ「ええ。もやもやしているとき、体に何か変化はありますか?」
クライエントは少し考えた。
クライエント「......肩に力が入ってる感じがします。あと、呼吸が......浅くなるかも」
ダイキ「呼吸が浅くなる」
クライエント「はい。なんか、息苦しいというか」
クライエントは自分の発見に少し驚いたような表情をした。
クライエント「あ、そういえば......いつも肩こってるんです。それって、もしかして......」
ダイキ「関係があるかもしれませんね」
クライエント「......そうか」
クライエントは小さく頷いた。そして、少し間を置いてから続けた。
クライエント「そういうもやもやが気になって、全然集中できなくて......気づいたらスマホを手に取ってるんです」
ダイキ「気づいたら」
クライエント「はい。無意識に......というか」
クライエントは自分の手を見た。
クライエント「最初は『ちょっとだけニュース見よう』とか『5分だけ』って思うんです。でも、見始めたら......」
クライエントの声が弱々しくなる。
クライエント「止まらないんです。一つ見たら次が気になって、次見たら関連動画が出てきて......気づいたら1時間、2時間経ってて」
その言葉には、諦めにも似た響きがあった。
ダイキ「スマホを見ているとき、さっきの『もやもや』はどうなっていますか?」
クライエント「......消えます」
クライエントは少し驚いたように答えた。
クライエント「あ、そうか。スマホ見てるときは、そのことを考えてないんだ」
ダイキ「考えていない」
クライエント「はい。動画見てるときとか、SNS見てるときって......そのことだけに集中してるというか」
クライエントは少し考え込んだ。
クライエント「勉強のことも、試験のことも、転職のことも......何も考えなくていいんです」
不安という名のもやもや
ダイキ「その『もやもや』の正体って、何だと思いますか?」
クライエント「......正体?」
クライエントは少し戸惑ったような表情でダイキを見た。
ダイキ「ええ。勉強しようとすると出てくる、その感じ。それは何だと思いますか?」
クライエントはしばらく黙って考え込んだ。その間、部屋には静かな時間が流れた。
クライエント「......不安、かな」
その言葉は、小さく、でも確かな響きを持っていた。
ダイキ「不安」
クライエント「はい」
クライエントはゆっくりと言葉を紡いだ。
クライエント「『これだけ勉強して、本当に受かるのか』って。で、『受かったとしても、転職できるのか』って......」
クライエントの声が震えた。
クライエント「考え出すと......怖くなっちゃって」
ダイキはゆっくりと頷いた。
クライエント「もし受からなかったら......今の状況のまま、ずっとこのままなんじゃないかって」
クライエントは膝の上で手を握りしめた。
クライエント「それが......怖いんです」
しばらく沈黙が流れた。クライエントは自分の手を見つめている。
ダイキ「その怖さ、どこから来ていると思いますか?」
クライエント「......どこから?」
クライエントは少し考えた。
クライエント「わからないです。でも......ずっと、あるんです。この不安」
ダイキ「ずっと」
クライエント「はい。朝起きたときも、昼間も、夜寝る前も......」
クライエントは深く息を吸った。
クライエント「それで、その不安から逃げるために......スマホを見て気を紛らわせてる......」
そこまで言って、クライエントは自分の言葉にハッとしたような表情を見せた。
クライエント「......あれ? 私、今......」
ダイキは静かに待っている。
クライエント「逃げてる、んですね。私」
その言葉は、自分自身への発見のように響いた。
クライエント「不安から......逃げてたんだ」
クライエントの目に、じわりと涙が浮かんだ。でも、それは悲しみの涙ではなく、何かに気づいた時の、複雑な感情の現れのようだった。
クライエント「ずっと、『私は怠けてるだけ』って思ってました。『やる気がないだけ』って」
クライエントは涙を拭いた。
クライエント「でも......違ったんですね」
ダイキ「違った?」
クライエント「怠けてたんじゃなくて......逃げてたんだ。不安が怖くて、向き合えなくて」
クライエントは小さく笑った。それは、自分への理解と、少しの悲しみが混じった笑顔だった。
スマホは安全地帯
クライエント「......ああ、そうか。逃げてたんですね、私」
クライエントは深く息を吸った。
クライエント「不安から......逃げてたんだ」
ダイキ「スマホを見ているとき、その不安はどうなりますか?」
クライエント「......消えます。というか、考えなくて済むというか」
ダイキ「考えなくて済む」
クライエント「はい。動画見てるときとか、SNS見てるときって、その瞬間は楽なんです。何も考えなくていいから」
クライエントは少し苦しそうに笑った。
クライエント「でも、スマホを置いた瞬間、『ああ、また時間を無駄にした』って......余計に不安になるんです」
ダイキは静かに聞いていた。
不安との向き合い方
ダイキ「不安を感じたとき、どうしたいですか?」
クライエント「......どうしたい?」
ダイキ「ええ。スマホを見る以外で」
クライエントは困ったような表情をした。
クライエント「......わからないです。スマホを見ないと、不安がずっとそこにある感じで」
ダイキ「ずっとそこにある」
クライエント「はい。消えてくれないというか」
ダイキ「不安は、消さないといけないものですか?」
クライエント「......え?」
クライエントは少し驚いた表情でダイキを見た。
ダイキ「不安を感じているとき、それは何かを教えてくれているかもしれません」
クライエント「......教えてくれている?」
ダイキ「ええ。たとえば、『この資格、本当に受かるのかな』という不安は、何を伝えようとしていると思いますか?」
クライエントはしばらく黙って考え込んだ。
クライエント「......もっと、ちゃんと準備しないと、ってことでしょうか」
ダイキ「そうかもしれません」
クライエント「......ああ」
クライエントは何かに気づいたような表情をした。
クライエント「不安って、悪いものじゃないんですね」
回避という悪循環
ダイキ「スマホを見ることで、不安は一時的に消えるけれど」
クライエント「......準備は進まない」
ダイキ「そして」
クライエント「余計に不安になる......」
クライエントは自分の言葉に頷いた。
クライエント「悪循環ですね」
ダイキ「悪循環」
クライエント「不安だからスマホを見て、スマホを見るから準備が進まなくて、準備が進まないから不安になって......」
クライエントは深くため息をついた。
クライエント「ずっと、これを繰り返してたんだ」
その言葉には、自分への理解と、少しの悲しみが混じっていた。
過去から続くパターン
ダイキ「このパターン、今回が初めてですか?」
クライエント「......いえ」
クライエントは視線を落とした。
クライエント「学生のとき、試験勉強でも......同じことがありました」
ダイキ「同じこと」
クライエント「はい」
クライエントは少し遠い目をした。何かを思い出しているようだった。
クライエント「高校のとき、大学受験の勉強をしなきゃいけなくて。でも、机に向かうと......やっぱり不安になるんです」
ダイキ「不安に」
クライエント「『このまま勉強しても、受かるのかな』って。『みんなはもっとできるのに、私は......』って」
クライエントの声が小さくなる。
クライエント「それで、勉強から逃げて......漫画読んだり、ゲームしたり」
クライエントは少し苦笑した。
クライエント「当時はスマホじゃなくて、別のものでしたけど」
ダイキ「逃げる先が変わっただけ」
クライエント「......そうですね」
クライエントは深くため息をついた。
クライエント「結局、やってることは同じなんだ」
しばらく沈黙が流れた。
ダイキ「そのとき、周りの人は何か言いましたか?」
クライエント「......親は、『ちゃんとやりなさい』って。でも......」
クライエントは言葉を探すように間を置いた。
クライエント「どうやっても、不安は消えなくて。だから、やるしかなかったんです。逃げるしか」
ダイキ「逃げるしかなかった」
クライエント「はい。だって、不安と向き合うなんて......誰も教えてくれなかったから」
クライエントの表情が少し暗くなる。
クライエント「それで、結局......希望の大学には受からなくて」
ダイキ「受からなかった」
クライエント「はい。親は......がっかりしてました。『もっとちゃんとやってれば』って」
クライエントは膝の上で手を握りしめた。
クライエント「私も、そう思いました。『私がちゃんとやらなかったから』って」
ダイキ「自分を責めた」
クライエント「はい......。それから、ずっと......」
クライエントは言葉に詰まった。
クライエント「『私は弱い』って思ってきました。『やるべきことができない、弱い人間だ』って」
その言葉には、長年抱えてきた自己否定が深く刻まれていた。
ダイキ「それが、今も続いている」
クライエント「......はい」
クライエントは小さく頷いた。
クライエント「今回も同じです。資格試験の勉強......ちゃんとやらなきゃいけないのに、できなくて」
クライエントの目に、また涙が浮かんだ。
クライエント「なんで私、こんなに弱いんでしょう」
クライエントの声は、諦めと自己否定に満ちていた。
「弱さ」の本当の意味
ダイキ「弱い、と思われるんですね」
クライエント「だって......」
クライエントは言葉を探すように間を置いた。
クライエント「不安から逃げて......やるべきことから目を背けて。それって、弱いってことじゃないんですか?」
クライエントの声には、長年の思い込みが滲んでいた。
ダイキ「それは弱さでしょうか」
クライエント「......違うんですか?」
クライエントは少し驚いた表情でダイキを見た。
ダイキ「不安を感じたとき、人は自分を守ろうとします」
クライエント「......守る?」
ダイキ「ええ。たとえば......」
ダイキは少し間を置いた。
ダイキ「原始時代、人が危険な動物に出会ったとき、どうしたと思いますか?」
クライエント「......逃げる、とか?」
ダイキ「そうですね。逃げたり、隠れたり。それは、生き延びるための反応です」
クライエント「......生き延びるため」
ダイキ「不安という感情も、同じようなものです。『危険だ』と教えてくれているサインです」
クライエントは黙って聞いている。
ダイキ「そして、その危険から自分を守ろうとする。それは、生き物として自然な反応なんです」
クライエント「......でも、今は......原始時代じゃないですよね」
クライエントは少し戸惑ったように言った。
ダイキ「そうですね。でも、私たちの体は、まだ原始時代のままなんです」
クライエント「......体は?」
ダイキ「ええ。不安を感じたとき、体は『危険だ!逃げなきゃ!』と反応します。たとえそれが、本当に命に関わる危険ではなくても」
クライエントは自分の体を見た。
クライエント「だから......スマホに逃げちゃうんですか」
ダイキ「スマホを見ることで、その瞬間の不安は和らぎます」
クライエント「......和らぎます」
ダイキ「ええ。だから、手が伸びる。それは、あなたの体が『今は安全だ』と感じようとしているからです」
クライエントは少し考え込んだ。
クライエント「......防衛反応、みたいなものですか」
ダイキ「そうですね」
ダイキは少し間を置いた。
ダイキ「ただ」
クライエント「......ただ?」
ダイキ「長い目で見たとき、それが本当に自分を守ることになっているか」
クライエント「......」
クライエントは黙って考えている。
ダイキ「一時的には楽になるかもしれません。でも、その後は?」
クライエント「......なってない、ですよね」
クライエントは小さく頷いた。
クライエント「一時的には楽になるけど、結局......問題は何も解決していない」
ダイキ「そして」
クライエント「......余計に不安になる」
クライエントは深く息を吸った。
クライエント「だから、また逃げて......また不安になって......」
ダイキ「悪循環」
クライエント「悪循環......そうか」
クライエントは自分の手を見つめた。
クライエント「ずっと、『私は弱いからできない』って思ってました。でも......」
クライエントは顔を上げた。
クライエント「弱いんじゃなくて......守り方が、間違ってたんですね」
その言葉には、新しい理解が込められていた。
ダイキ「守り方が、間違っていた」
クライエント「はい。一時的には守れるけど......長い目で見たら、自分を守れてない」
クライエントは少し考え込んだ。
クライエント「じゃあ、どうすれば......本当に自分を守れるんでしょう」
その問いには、これまでとは違う、前を向こうとする力が感じられた。
別の道を選ぶために
ダイキ「では、今度不安を感じたとき、どうしたいですか?」
クライエントはしばらく黙って考えた。その沈黙は、これまでとは違う質のものだった。考えることを避けるのではなく、真剣に向き合おうとしている沈黙だった。
クライエント「......スマホを見ないで、その不安と......向き合ってみる?」
その言葉は、疑問形ではあったが、どこか決意を含んでいた。
ダイキ「向き合う」
クライエント「はい。でも......」
クライエントは不安そうな表情をした。
クライエント「どうやって向き合えばいいのか、わからなくて」
ダイキ「どうやって、と考えると難しく感じますね」
クライエント「はい......」
ダイキ「まず、不安を感じていることに気づくことから始めてみませんか」
クライエント「気づく......」
ダイキ「ええ。『ああ、今、不安を感じているな』と」
クライエント「......それだけでいいんですか?」
クライエントは少し驚いたように聞き返した。
ダイキ「それだけで十分です」
クライエントは少し考え込んだ。
クライエント「でも......気づくだけで、不安は消えないですよね」
ダイキ「消えないかもしれません」
クライエント「じゃあ......」
ダイキ「でも、気づくことができたら、選択肢が生まれます」
クライエント「......選択肢?」
ダイキ「ええ。気づかないままだと、いつもと同じ行動──スマホを見る──を繰り返してしまう」
クライエントは頷いた。
ダイキ「でも、『今、不安を感じているな』と気づけたら、その瞬間に、別の行動を選ぶことができます」
クライエント「......別の行動」
クライエントは少し安心したような表情を見せた。
クライエント「そっか。まずは、自分の状態に気づくことなんですね」
ダイキ「そうです。気づいたら......次はどうしますか?」
クライエント「次......」
クライエントは少し考えた。
クライエント「その不安が、何を伝えようとしているか......考えてみる?」
ダイキ「いいですね」
クライエント「でも、どうやって......」
ダイキ「たとえば、『この勉強、本当に役に立つのかな』という不安を感じたとします」
クライエント「はい」
ダイキ「それは、何を伝えようとしていると思いますか?」
クライエントはじっくりと考えた。
クライエント「......『もっと、ちゃんと計画を立てた方がいい』とか?」
ダイキ「それも一つですね」
クライエント「または......『本当にこの資格でいいのか、考え直した方がいい』とか」
ダイキ「他には?」
クライエント「......『今の勉強方法で大丈夫か、確認した方がいい』とか」
クライエントの表情が少し明るくなった。
クライエント「そっか。不安って......悪いものじゃないんですね」
ダイキ「悪いもの?」
クライエント「はい。ずっと、『不安を感じる自分が悪い』って思ってました。でも......」
クライエントは言葉を選ぶように続けた。
クライエント「不安は、何かを教えてくれようとしているんですね。『このままじゃダメだよ』って」
ダイキ「そうかもしれませんね」
クライエント「......ああ」
クライエントは何かに気づいたような表情をした。
クライエント「不安を消そうとしてスマホ見てたけど......本当は、不安の声を聞いた方がよかったんだ」
その言葉には、深い気づきが込められていた。
小さな一歩
クライエント「......でも」
クライエントは少し不安そうな表情を見せた。
クライエント「スマホ、すぐ手に取っちゃいそうです」
ダイキ「そうかもしれませんね」
クライエント「気づく前に......もう手に持ってるかも」
クライエントは自分の手を見た。
ダイキ「それくらい、体が覚えている行動なんですね」
クライエント「はい......。朝起きて、まずスマホ。トイレに行くときも、スマホ。ご飯食べるときも、スマホ」
クライエントは少し苦笑した。
クライエント「もう、癖になってるんです」
ダイキ「では、その癖に気づいたとき、何ができそうですか?」
クライエントは少し考えた。
クライエント「......深呼吸、とか?」
ダイキ「深呼吸」
クライエント「はい。スマホ持っちゃったら、一回、深呼吸してみる」
ダイキ「いいですね。深呼吸すると、何が起きると思いますか?」
クライエント「......落ち着く、とか?」
ダイキ「それもあるかもしれません。他には?」
クライエントは少し考えた。
クライエント「......ああ、そうか。一回止まれるんだ」
ダイキ「止まれる」
クライエント「はい。深呼吸することで、『あ、今スマホ見ようとしてた』って気づけるかもしれない」
クライエントの表情が少し明るくなった。
ダイキ「他に、できそうなことはありますか?」
クライエント「......スマホを、別の部屋に置いておく、とか」
ダイキ「それも一つの方法ですね」
クライエント「机の上に置いてると、つい見ちゃうから......」
クライエントは少し考え込んだ。
クライエント「勉強するときは、スマホを別の部屋に置いておこうかな」
ダイキ「それで、困ることはありますか?」
クライエント「困ること......」
クライエントは少し考えた。
クライエント「電話がかかってきたら、気づけないかも」
ダイキ「それは困りますか?」
クライエント「......いや、別に。緊急の連絡とか、ほとんどないし」
クライエントは少し笑った。
クライエント「言い訳してただけですね」
ダイキ「言い訳?」
クライエント「はい。『スマホを遠くに置いたら困る』って思ってたけど、本当は......離したくなかっただけなんだ」
クライエントは自分の発見に少し驚いたような表情をした。
クライエント「安心材料みたいなものだったのかな。スマホが近くにあると」
ダイキ「安心材料」
クライエント「はい。いつでも逃げられるって......安心してたのかも」
クライエントは深く息を吸った。
クライエント「でも、それじゃ......変われないですよね」
ダイキ「変わりたいんですね」
クライエント「......はい」
クライエントの声には、決意が込められていた。
クライエント「やってみます。勉強するときは、スマホを別の部屋に置いて。で、もし手に取りそうになったら、深呼吸して、『今、不安を感じているな』って気づいてみます」
ダイキ「できそうですか?」
クライエント「......わからないですけど、やってみます」
その言葉には、少しの不安と、それ以上の決意が感じられた。
罪悪感との付き合い方
ダイキ「もし、またスマホを見てしまったら?」
クライエント「......また見てしまったら?」
クライエントは少し不安そうな表情をした。
ダイキ「ええ。気づけなくて、気づいたらまた何時間もスマホを見ていた、としたら」
クライエント「......」
クライエントは黙って考えている。
ダイキ「そのときは、どうしますか?」
クライエント「......また、自分を責めちゃうかもしれません」
クライエントの声が小さくなる。
ダイキ「責める」
クライエント「『またやっちゃった』『やっぱり私はダメだ』って」
ダイキ「それは、あなたを助けますか?」
クライエントは少し考えた。
クライエント「......助けない、ですよね」
ダイキ「助けない」
クライエント「はい。責めると......余計に落ち込んで、余計にスマホ見ちゃうかも」
クライエントは自分の発見に少し驚いたような表情をした。
クライエント「あ、そうか。自己否定も......悪循環の一部なんだ」
ダイキ「どういうことですか?」
クライエント「スマホ見て、自分を責めて、落ち込んで......その落ち込みから逃げるために、またスマホを見る」
クライエントは深く息を吐いた。
クライエント「ずっと、そうやってきたのかもしれません」
しばらく沈黙が流れた。
ダイキ「では、自分を責める代わりに、何ができそうですか?」
クライエント「......何ができる......」
クライエントはしばらく黙って考えた。
クライエント「『またやっちゃった』じゃなくて......」
言葉を探すように、クライエントは視線を泳がせた。
クライエント「『今回は気づけなかったけど、次は気づいてみよう』......とか?」
ダイキ「いいですね」
クライエント「でも......それって、甘いですか? 自分に甘いって思われそうで」
クライエントは少し不安そうに言った。
ダイキ「甘いと思われそう」
クライエント「はい。『ちゃんと反省しなさい』って、親によく言われてたから」
ダイキ「反省」
クライエント「はい。『反省しないと、また同じことを繰り返す』って」
クライエントは少し考え込んだ。
ダイキ「これまで、たくさん反省してきましたか?」
クライエント「......はい。毎日、反省してました」
ダイキ「その反省は、役に立ちましたか?」
クライエントは少し考えた。
クライエント「......役に立たなかった、かもしれません」
クライエントの声が小さくなる。
クライエント「反省しても......また同じことを繰り返してたから」
ダイキ「反省と、学びは、違うかもしれませんね」
クライエント「......違う?」
ダイキ「反省は、『ダメだった』と自分を責めること。学びは、『次はこうしてみよう』と考えること」
クライエントは黙って聞いている。
ダイキ「どちらが、前に進めると思いますか?」
クライエント「......学び、ですよね」
クライエントは小さく頷いた。
クライエント「『またやっちゃった』って責めるよりも、『次はどうしよう』って考えた方が......」
クライエントの表情が少し和らいだ。
クライエント「そっちの方が、なんか......楽かもしれません」
ダイキ「楽」
クライエント「はい。責めると、すごく苦しくなるから。でも、『次はこうしてみよう』って考えると......」
クライエントは少し考えた。
クライエント「なんか、希望が持てる感じがします」
その言葉には、新しい可能性を感じ取った喜びが込められていた。
対話の終わりに
セッションの終わりが近づいてきた。窓の外では、少し日が傾き始めていた。
ダイキ「今日、どんなことに気づきましたか?」
クライエントは少し考えてから、ゆっくりと話し始めた。
クライエント「......スマホを見るのは、不安から逃げるためだったんだって」
クライエントは言葉を選びながら、丁寧に自分の気づきを言語化していく。
クライエント「それは......悪いことじゃなくて、自分を守ろうとしてたんだって。体が、『危険だ』って思って、逃げようとしてたんだって」
ダイキは静かに頷いた。
クライエント「でも......」
クライエントは少し間を置いた。
クライエント「一時的には楽になるけど、長い目で見たら......本当に自分を守れてないんですよね」
ダイキ「本当に自分を守るには」
クライエント「......不安と向き合った方がいいんだって」
クライエントの目には、少しの恐れと、それ以上の決意が宿っていた。
クライエント「向き合うって、すごく怖いです。今でも、怖いです」
ダイキ「怖い」
クライエント「はい。でも......」
クライエントは深く息を吸った。
クライエント「逃げ続けるのは、もっと怖いって、今日わかりました」
その言葉には、長年の気づきが込められていた。
クライエント「ずっと、『私は弱い』って思ってきました。でも、弱いんじゃなくて......守り方を知らなかっただけなんだって」
クライエントの声が少し震えた。
クライエント「今日、初めて......自分を責めないで、自分のことを理解できた気がします」
ダイキ「理解できた」
クライエント「はい。私は......弱い人間じゃなかった。ただ、不安が怖くて、どう向き合えばいいかわからなかっただけなんだって」
クライエントの目に、涙が浮かんだ。でも、それは悲しみの涙ではなく、何か大切なものを取り戻したような、温かい涙だった。
ダイキ「これから、どうしていきたいですか?」
クライエント「......まずは、不安に気づくところから始めてみます」
クライエントは涙を拭いて、しっかりと前を見た。
クライエント「『ああ、今、不安を感じているな』って。そしたら、深呼吸して、その不安が何を伝えようとしているのか、聞いてみます」
ダイキ「聞いてみる」
クライエント「はい。もしかしたら、『もっと準備が必要だよ』って教えてくれてるのかもしれないし、『少し休んだ方がいいよ』って教えてくれてるのかもしれない」
クライエントの表情が、これまでとは違って見えた。不安はまだそこにあるだろう。でも、その不安を敵ではなく、味方として見られるようになり始めている。
クライエント「それと......失敗しても、自分を責めないようにします」
ダイキ「責めない」
クライエント「はい。『またやっちゃった』じゃなくて、『今回は気づけなかったな。次はどうしよう』って」
クライエントは少し笑った。
クライエント「すぐには変われないかもしれません。また、スマホを何時間も見ちゃうかもしれない」
ダイキ「かもしれませんね」
クライエント「でも......それでいいんですよね。完璧じゃなくていい」
クライエントの声には、自分への優しさが込められていた。
クライエント「少しずつ、気づけるようになっていけば......それでいい」
ダイキ「できそうですか?」
クライエント「......わからないです。正直、怖いです」
クライエントは正直に答えた。
クライエント「でも、やってみます。もう、逃げ続けたくないから」
そう言って、クライエントは小さく笑った。
その笑顔には、これまでの自己否定はもうなかった。代わりに、不完全な自分を受け入れ、それでも前に進もうとする、静かな強さが宿っていた。
クライエント「ダイキさん、今日......ありがとうございました」
その言葉は、心の底から出てきたもののようだった。
クライエント「初めて、自分のこと......少しだけ好きになれた気がします」
ダイキ「好きになれた」
クライエント「はい。弱い自分も、不安な自分も......それでいいんだって」
クライエントは立ち上がり、深く一礼した。
その背中には、もう以前のような丸さはなかった。まだ少し緊張は残っているけれど、それでも、前を向いて歩き出そうとする人の背中だった。
セッションルームを出ていくクライエントの後ろ姿を見送りながら、ダイキは静かに思った。
変化は、一瞬では起きない。でも、今日、確かに何かが始まった。
スマホという逃げ場から、自分という居場所へ。
その小さな一歩が、きっと未来を変えていく。