言葉にできない恐怖
カウンセリングルームのドアを開けたユウタは、少し緊張した面持ちだった。椅子に座ると、しばらく視線を下に落としたまま、言葉を探しているようだった。
「えっと......正直、ここに来るのも迷ったんです」
ユウタがゆっくりと口を開いた。
ダイキ「そうだったんですね。でも、こうして来てくださった。ありがとうございます」
ユウタ「ハローワークのカウンセラーに、一度専門家に話を聞いてもらったらって言われて......でも、話したところで、どうせ何も変わらないんじゃないかって」
そう言いながら、ユウタは小さく首を振った。
ダイキ「何も変わらないって、どういうことでしょう?」
ユウタ「僕、転職を......4回してるんです。一番長く働いたところでも1年半。一番短いところは6ヶ月で辞めました」
ユウタの声は次第に小さくなっていった。
ユウタ「もう、履歴書を見られた時点で終わりなんですよ。『ああ、この人またすぐ辞めるな』って。実際、前回の面接では言われました。『経歴を見ると、長く続かないようですが』って」
その言葉を思い出したのか、ユウタの表情が曇った。
ダイキ「その時、どんな気持ちでした?」
ユウタ「......恥ずかしかったです。あと、怒りもありました。でも、何より......ああ、やっぱりそうなんだって。自分には価値がないんだって。そう思いました」
「価値がない」という信念
ダイキ「自分には価値がない、と」
ユウタ「そうです。だって、企業が求めているのは、長く働いてくれる人じゃないですか。僕みたいに短期間で辞める人間は、訓練する手間もかかるし、コストばかりかかる。つまり、市場価値ゼロなんです」
ユウタは淡々と、まるで事実を述べるように話した。
ダイキ「市場価値ゼロ......その言葉、どこかで聞いたことがありますか?」
ユウタ「え?」
ダイキ「誰かに『あなたは市場価値ゼロだ』って言われたことがありますか?」
ユウタは少し考え込んだ。
ユウタ「......直接は言われてないです。でも、ネットの記事とか、転職サイトの注意事項とか......あと、友達も『短期離職は印象悪いよ』って」
ダイキ「なるほど。いろんなところから、そういう情報を受け取ってきたんですね」
ユウタ「はい。だから、もう分かってるんです。自分は採用されないって」
そう言い切るユウタの表情には、諦めの色が浮かんでいた。
思い込みの起源を探る
ダイキ「ユウタさん、一つ質問していいですか。その『短期離職=市場価値ゼロ』って考えは、いつ頃から持つようになりました?」
ユウタ「いつ頃......」
ユウタは天井を見上げて、記憶を辿るように目を細めた。
ユウタ「多分、2社目を辞めた後くらいからですかね。初めて転職活動して、面接で『前職はどのくらい勤めましたか?』って聞かれた時、面接官の表情が一瞬変わったんです。それで、ああ、これマズいんだなって」
ダイキ「その時の面接官の表情が、今も記憶に残ってるんですね」
ユウタ「はい......それからですかね。求人を見ても、『この会社は長く働ける人を求めてるだろうな』って思うようになって。それで応募を諦めるんです」
ダイキは静かにうなずきながら、ユウタの言葉を受け止めた。
ダイキ「ユウタさん、人間の脳って面白い性質があって。一度『これは危険だ』って学習すると、似たような状況に出会うたびに、自動的に警報を鳴らすんです」
ユウタ「警報......?」
ダイキ「例えば、犬に噛まれた経験がある人は、犬を見ただけで体が緊張することがあります。たとえそれが穏やかな犬だとしても。これを『条件づけ』って言います」
ユウタは興味深そうに聞いていた。
ダイキ「ユウタさんの場合、『短期離職について聞かれる=拒絶される』っていう経験が、強く記憶に刻まれた。だから今、履歴書を見るだけで、求人を見るだけで、脳が『危険だ』って警報を鳴らしてるんじゃないでしょうか」
ユウタ「......そうかもしれません。確かに、求人見てる時、胸が苦しくなるんです」
データと感情の間
ダイキ「ユウタさん、もう一つ聞いていいですか。これまでの転職活動で、応募した数と、面接まで進んだ数って、覚えてますか?」
ユウタ「えっと......前回は、10社くらい応募して、3社面接に呼ばれました」
ダイキ「3社ですか」
ユウタ「でも、全部落ちました」
ダイキ「そうだったんですね。ただ、応募した10社のうち、30%は書類選考を通過したってことですよね」
ユウタは少し驚いた表情を見せた。
ユウタ「......そう言われてみれば」
ダイキ「もし本当に『市場価値ゼロ』だったら、書類選考すら通らないんじゃないでしょうか」
ユウタ「でも、最終的には全部落ちたじゃないですか」
ダイキ「それは事実ですね。でも、『全部落ちた』と『市場価値ゼロ』は、同じことでしょうか?」
ユウタは言葉に詰まった。
ダイキ「例えば、その3社の面接で、どんな質問をされましたか?」
ユウタ「......短期離職の理由は必ず聞かれました。あと、『今度は長く働けますか?』とか」
ダイキ「その質問に、どう答えました?」
ユウタ「『頑張ります』とか......あと、『今度こそは』みたいな」
ダイキ「なるほど」
少し間を置いて、ダイキは続けた。
ダイキ「その答えを聞いて、面接官はどう思うと思いますか?」
ユウタ「......信用できないって思うんじゃないですか」
ダイキ「かもしれませんね。ただ、もう一つの可能性として、『この人は、なぜ短期で辞めてきたのか、本当の理由を語れていないな』って思うかもしれません」
ユウタ「本当の理由......?」
隠れた物語
ダイキ「ユウタさんは、なぜこれまでの職場を辞めてきたんですか?」
その質問に、ユウタは口ごもった。
ユウタ「......それぞれ、理由は違うんですけど」
ダイキ「一つずつ、聞いてもいいですか?無理のない範囲で」
ユウタはゆっくりとうなずいた。
ユウタ「最初の会社は......パワハラです。上司からの詰めがひどくて、メンタルやられました」
ダイキ「それは辛かったですね」
ユウタ「2社目は、仕事内容が面接で聞いてたのと全然違って......入ってみたら、ほとんど雑用ばかりで」
ダイキ「期待と現実のギャップがあったんですね」
ユウタ「3社目は......これは完全に自分のミスです。体調崩して、休みがちになって、結局続けられなくて」
ダイキ「体調を崩した原因は、何かありましたか?」
ユウタ「......長時間労働です。毎日終電で、休日出勤も多くて」
ダイキ「そうだったんですね」
ユウタ「4社目は、契約期間が決まってた仕事だったので、期間満了です」
ダイキはしばらく、ユウタの話を噛みしめるように黙っていた。
ダイキ「ユウタさん、今話してくれたこと......パワハラ、ミスマッチ、過労、契約期間満了。これって、『ユウタさんに能力がない』っていう理由で辞めたわけじゃないですよね」
ユウタ「......」
ダイキ「むしろ、環境の問題や、会社側の問題が大きかった」
ユウタの目に、少し戸惑いの色が浮かんだ。
ユウタ「でも、それを面接で言っても、言い訳にしか聞こえないじゃないですか」
ダイキ「言い訳に聞こえる、って、誰かに言われたんですか?」
ユウタ「いや......でも、そう思われるんじゃないかって」
ダイキ「そう思われるんじゃないか、って。これも一つの『思い込み』かもしれませんね」
科学的に解体する
ダイキ「ユウタさん、心理学で『認知の歪み』っていう言葉があるんです」
ユウタ「認知の歪み?」
ダイキ「簡単に言うと、事実を歪んだレンズで見てしまうこと。例えば、『短期離職した=自分には価値がない』っていうのは、『全か無か思考』と呼ばれる歪みの一種です」
ユウタは興味深そうに聞いていた。
ダイキ「実際には、短期離職にはいろんな理由があって、それぞれの状況も違う。でも、『短期離職』というラベルだけで、全てを『価値がない』っていう極端な結論に結びつけてしまう」
ユウタ「......確かに、そうかもしれません」
ダイキ「もう一つ。ユウタさんは、『市場価値ゼロ』って言いましたけど、実際にそれを証明するデータって、ありますか?」
ユウタ「データ......?」
ダイキ「例えば、短期離職者の再就職率とか、面接通過率とか」
ユウタ「......調べたことないです」
ダイキ「実は、離職後1年以内に再就職している人は、思っているよりも多いんです。もちろん、短期離職は転職活動において不利に働く要素の一つではあります。でも、『ゼロ』ではない」
ユウタ「......」
ダイキ「それに、ユウタさん自身、30%の書類選考通過率があった。これも一つのデータです」
ユウタは何かを考え込むように、視線を落とした。
ダイキ「『短期離職=価値ゼロ』っていうのは、ある意味で、脳が作り出した『防衛メカニズム』なのかもしれません」
ユウタ「防衛メカニズム......?」
ダイキ「もう一度傷つかないように、『どうせダメだ』って先に結論を出してしまう。そうすれば、挑戦しなくて済むし、拒絶される痛みも避けられる」
防衛の裏側にあるもの
ユウタは、しばらく沈黙していた。その沈黙は、何かと向き合っているような、重みのあるものだった。
ユウタ「......怖いんです」
小さな声だった。
ユウタ「また落とされるのが。また『あなたは信用できない』って言われるのが」
ユウタの目が少し潤んでいた。
ダイキ「怖いですよね」
ユウタ「だから、『どうせ価値がない』って思っておけば......諦めがつくんです。楽なんです」
ダイキ「諦めたら、楽になれる」
ユウタ「はい......でも」
ユウタは言葉を探すように、しばらく間を置いた。
ユウタ「でも、本当は......働きたいんです。ちゃんと、自分に合った場所で」
その言葉を口にした瞬間、ユウタの表情が少し変わった。
ダイキ「働きたい」
ユウタ「はい。毎日、求人見てるのも......本当は、諦めきれてないからなんだと思います」
ダイキは静かにうなずいた。
ダイキ「ユウタさん、その気持ち、とても大切だと思います」
新しい物語を作る
ダイキ「一つ提案があるんですけど、聞いてもらえますか?」
ユウタ「はい」
ダイキ「『短期離職=価値ゼロ』っていう思い込みは、ある経験から学習したものだって、さっき話しましたよね」
ユウタ「はい」
ダイキ「実は、学習したものは、『学習し直す』ことができるんです」
ユウタ「学習し直す......?」
ダイキ「心理学で『消去学習』っていう概念があって。簡単に言うと、古い学習を新しい経験で上書きしていくんです」
ユウタは興味深そうに聞いていた。
ダイキ「例えば、犬に噛まれて犬が怖くなった人でも、穏やかな犬と何度も接するうちに、『全ての犬が危険じゃない』って学習し直せる」
ユウタ「なるほど......」
ダイキ「ユウタさんの場合、今は『短期離職=拒絶される』っていう学習が強く残ってる。でも、もしかしたら、違う経験をすることで、その学習を更新できるかもしれません」
ユウタ「違う経験......」
ダイキ「例えば、ユウタさんが短期離職の本当の理由を正直に話して、それでも『理解できる』って言ってくれる面接官に出会ったら、どうでしょう?」
ユウタ「......そんな人、いるんですかね」
ダイキ「いるかもしれないし、いないかもしれない。でも、試してみないとわからないですよね」
ユウタは少し考え込んだ。
ダイキ「それに、今のユウタさんは、『短期離職=価値ゼロ』っていう思い込みを、客観的に見つめ直すことができている。これって、すごく大きな一歩だと思います」
ユウタ「......」
ダイキ「思い込みに気づくことが、変化の第一歩なんです」
小さな実験
ダイキ「もしよければ、一つ実験してみませんか?」
ユウタ「実験?」
ダイキ「今まで、『どうせダメだ』って応募を諦めてきた求人がありますよね。その中で、一つだけ選んで、応募してみる。ただし、今回は結果を気にしない」
ユウタ「結果を気にしない......?」
ダイキ「目的は、『採用されること』じゃなくて、『自分の物語を正直に話してみること』。それで拒絶されたら、『ああ、この会社は合わなかったんだな』って思えばいい」
ユウタは不安そうな表情を見せた。
ユウタ「でも、やっぱり怖いです」
ダイキ「怖いですよね。無理にとは言いません。ただ、もし今の状況を少しでも変えたいなら、小さな一歩が必要かもしれません」
ユウタは少し考え込んだ後、ゆっくりと口を開いた。
ユウタ「......やってみます。一社だけ」
ダイキ「一社だけ、ですね」
ユウタ「はい。もし落ちても......それは『自分に価値がないから』じゃなくて、『その会社と合わなかっただけ』って、そう思うようにします」
その言葉に、ダイキは穏やかに微笑んだ。
ダイキ「素晴らしいですね。その視点の転換が、とても大切です」
気づきの瞬間
ユウタ「でも、ダイキさん」
ユウタ「僕、今まで『短期離職=価値ゼロ』って、本当に信じてたんだなって......」
ユウタは少し驚いたような表情で続けた。
ユウタ「それが思い込みだって、考えたこともなかったです」
ダイキ「思い込みって、そういうものなんです。本当に信じてるからこそ、疑問に思わない」
ユウタ「そうですね......でも、今日話してみて、少し楽になった気がします」
ダイキ「どんな風に?」
ユウタ「なんか......自分を責めなくてもいいんだなって。パワハラとか、過労とか、それは僕のせいじゃなかったんだなって」
ユウタの表情が、少しだけ柔らかくなった。
ダイキ「そうですね。環境の問題と、自分の価値は、別のものです」
ユウタ「今まで、全部自分が悪いって思ってました。だから、『価値がない』って」
ダイキ「でも、今日、違う見方ができるようになった」
ユウタ「はい......まだ、完全には信じられないですけど」
ダイキ「それでいいんです。すぐに変わる必要はありません」
未来への一歩
ユウタ「あの、次回までに、一社応募してみます」
ユウタ「それで、面接に進めても進めなくても、どう感じたか、また話してもいいですか?」
ダイキ「もちろんです。楽しみにしていますね」
ユウタ「ありがとうございます」
ユウタは、少し肩の力が抜けたような表情で、立ち上がった。
カウンセリングルームを出る前、ユウタは振り返って言った。
ユウタ「今日、来てよかったです。『市場価値ゼロ』って、ただの思い込みだったんだって......初めて思えました」
その言葉に、ダイキは静かにうなずいた。
ダイキ「ユウタさんの中に、変化が始まってますね」
エピローグ
2週間後、ユウタは再びカウンセリングルームを訪れた。
「応募しました」と、ユウタは少し誇らしげに報告した。
「書類は通らなかったんですけど......でも、不思議と、そこまでショックじゃなかったんです」
「ああ、この会社には必要とされなかったんだな、ってだけで」
「次、また探してみます」
その表情には、以前のような諦めの色はなかった。
「『短期離職=価値ゼロ』って思い込みは、まだ完全には消えないですけど......でも、それが絶対的な真実じゃないって、今は思えます」
ユウタの旅は、まだ始まったばかりだった。
でも、その一歩は、確実に前に向かっていた。