「震えは敵じゃない」と気づいた瞬間──43歳が見つけた新しい付き合い方

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「震えを止めたくて、でも止まらない」


カウンセリングルームに入ってきた美咲さんは、椅子に座ると膝の上で両手を重ねた。その手は、わずかに震えているように見えた。

美咲「あの...今日は、ちょっと恥ずかしい悩みなんですけど」

ダイキ「大丈夫ですよ。ゆっくりお話しください」

美咲さんは少し間を置いてから、静かに話し始めた。

美咲「実は...人前で話すときに、手が震えるんです。最初は気にしてなかったんですけど、ある時から、もう止まらなくて」

ダイキ「それはいつ頃からですか?」

美咲「はっきり覚えてるのは...数年前、職場で新しいシステムの説明会をしたときです。資料を持つ手が震えて、紙がカサカサ音を立てて。みんなに見られてると思ったら、余計にひどくなって」

そう言いながら、美咲さんは自分の手を見つめた。今、その手は震えていた。

ダイキ「今も、少し震えていますね」

美咲「...はい。こうやって話してるだけでも、震えのことを思い出すと、震えてくるんです。もう、体が勝手に反応しちゃって」

美咲さんの声には、諦めのような響きがあった。

「敵」として戦ってきた日々


ダイキ「その震えが出るようになってから、何か工夫してきたことはありますか?」

美咲「いろいろ試しました。深呼吸したり、手をぎゅっと握りしめたり、ポケットに手を入れたり...でも、全然ダメで」

ダイキ「それをしているとき、どんな気持ちでしたか?」

美咲「とにかく、震えを止めなきゃって。『また震えてる、ダメだ、恥ずかしい、早く止めないと』って、頭の中でずっと...」

そう語る美咲さんの表情は、緊張で強張っていた。

ダイキ「震えは、美咲さんにとってどんな存在でしたか?」

美咲「...敵、ですかね。私の邪魔をする、消したい存在。こんなの無ければって、何度思ったか」

ダイキ「敵として、ずっと戦ってこられたんですね」

美咲「でも、全然勝てなくて。むしろ、どんどんひどくなっていって。最近は会議の前日から緊張して眠れないこともあります」

美咲さんは、深いため息をついた。そのため息は、長い間抱えてきた疲れを物語っていた。

震えの正体


ダイキ「美咲さん、震えってなんだと思いますか?」

美咲「え...なんでしょう。体の異常? それとも、私が弱いから?」

ダイキ「実は、震えは体が一生懸命に反応しているサインなんです」

美咲「サイン...ですか?」

美咲さんは、少し不思議そうな顔をした。

ダイキ「人前に立つとき、美咲さんの体は『これは大事な場面だ、気をつけなきゃ』って警戒モードに入ります。そうすると、体の中では色々な変化が起きるんです」

美咲「変化...」

ダイキ「心臓がドキドキしたり、呼吸が浅くなったり、筋肉に力が入ったり。震えもその一つです。体が『準備しなきゃ』って反応してるんです」

美咲「でも、なんでそんな反応が...」

ダイキ「美咲さん、人前で話すことって、どんな感じがしますか?」

美咲「緊張します。失敗したらどうしようって。変なこと言ったら笑われるんじゃないかって」

ダイキ「そうですよね。つまり、美咲さんの体は『危険かもしれない』って感じ取っているんです」

美咲さんは、少し考え込むような表情になった。

ダイキ「震えは、敵じゃなくて、美咲さんを守ろうとしてくれている反応なんです」

美咲「守ろうと...でも、震えがあるから余計に困ってるのに」

ダイキ「そうですよね。ただ、今までは震えを『止めなきゃいけない敵』として扱ってきたと思うんです。その戦い方が、もしかすると震えを強くしていたかもしれません」

美咲「...どういうことですか?」

戦えば戦うほど強くなる


ダイキ「美咲さんが震えを止めようとするとき、何が起きていると思いますか?」

美咲「震えを意識して...手に力を入れて...でも止まらなくて、焦って...」

ダイキ「そうなんです。震えに注目すればするほど、『ああ、やっぱり震えてる、まずい』って思いますよね」

美咲「はい...」

ダイキ「その『まずい』という思いが、体にもっと警戒しなきゃって信号を送るんです。すると、体はさらに緊張して、震えが強くなる」

美咲「...悪循環ですね」

美咲さんは、小さな声でそう言った。その声には、納得したような、でもどこか複雑な響きがあった。

ダイキ「手に力を入れて震えを止めようとするのも、実は逆効果なんです」

美咲「え、そうなんですか?」

ダイキ「筋肉に力を入れると、体はもっと緊張状態になります。リラックスとは真逆の状態ですね」

美咲「じゃあ、私がやってきたこと全部...」

ダイキ「間違いじゃないんです。震えをなんとかしたいって思うのは自然なことです。ただ、別のアプローチがあるかもしれないんです」

美咲さんは、じっと私を見た。その目には、期待と不安が混じっていた。

敵視をやめる勇気


ダイキ「もし、震えを敵として戦うのではなく、別の接し方ができたらどうでしょう?」

美咲「別の接し方...想像できないです。震えてるのに、どうしたらいいんですか?」

ダイキ「まず、震えを観察してみることから始めてみませんか?」

美咲「観察...ですか?」

ダイキ「はい。震えてる手を見て、『ああ、今震えてるな』って、ただ気づくんです。止めようとせず、戦わず、ただ『震えてる』って認めるんです」

美咲「でも...それって、震えを受け入れるってことですよね。それが怖いんです」

美咲さんの声が少し震えた。その声の震えにも、美咲さん自身が気づいているようだった。

ダイキ「何が怖いんでしょう?」

美咲「震えを受け入れたら...もう、ずっと震えたままなんじゃないかって。止めようとしなかったら、もっとひどくなるんじゃないかって」

ダイキ「それは、本当に起きることでしょうか?」

美咲「...わからないです」

沈黙が流れた。美咲さんは自分の手を見つめていた。そして、ゆっくりと息を吐いた。

美咲「でも、今までのやり方で良くなってないのも事実です」

ダイキ「そうですね。今までとは違うアプローチを試してみる価値はありそうですか?」

美咲「...やってみます。でも、どうやって?」

観察という新しい関わり方


ダイキ「まず、今ここで、少し実験してみましょうか」

美咲「実験...ですか?」

ダイキ「はい。今、美咲さんの手は震えていますか?」

美咲さんは自分の手を見た。

美咲「...少し震えてます」

ダイキ「では、その震えを、ただ観察してみてください。止めようとせず、ただ『震えてるな』って見てみる。5秒でいいです」

美咲さんは、戸惑いながらも自分の手を見つめた。

5秒ほど経って、美咲さんが口を開いた。

美咲「なんか...いつもより、震えが...小さい気がします」

ダイキ「そうですか。どうしてだと思いますか?」

美咲「わからないです。でも、いつもみたいに『止めなきゃ』って思ってなかったからかな...」

ダイキ「そうなんです。震えを敵視して戦おうとすると、体はもっと緊張します。でも、ただ観察するだけだと、戦いが起きないんです」

美咲「観察するだけで...変わるんですか?」

ダイキ「すぐに震えが完全に消えるわけではないかもしれません。でも、震えとの関係性が変わると、体の反応も変わってくるんです」

美咲さんは、何度も自分の手を見ては、また顔を上げた。

美咲「でも、人前ではもっと震えるんです。ここではできても...」

ダイキ「そうですね。では、どうやって人前でも観察できるようになるか、一緒に考えていきましょう」

小さな一歩から


ダイキ「美咲さん、普段の生活の中で、少しだけ緊張する場面ってありますか? 人前で話すほどじゃないけど、ちょっとドキドキするような」

美咲「うーん...レジで支払うときとか、電話をかけるときとか、そういうのでも少し緊張します」

ダイキ「いいですね。では、そういう場面で、手が震えたら、ただ観察してみる練習をしてみませんか?」

美咲「小さな場面から...ですか」

ダイキ「はい。いきなり大きな会議で試すのは難しいですから。日常の小さな緊張の中で、『ああ、今震えてるな』って気づく練習をするんです」

美咲「ただ気づくだけ...」

ダイキ「そうです。そして、震えてても大丈夫だって、体に教えてあげるんです」

美咲「体に教える...」

ダイキ「震えは危険じゃない、恥ずかしいことでもない、ただの体の反応だって。何度も何度も、体に経験させてあげるんです」

美咲さんは、少し考え込んでいた。

美咲「時間がかかりそうですね」

ダイキ「そうかもしれません。でも、焦らなくていいんです。長い時間かけて作られた反応は、長い時間かけて変わっていきます」

美咲「...やってみます」

呼吸という味方


ダイキ「もう一つ、震えと付き合うときに役立つことがあります」

美咲「なんですか?」

ダイキ「呼吸です」

美咲「呼吸...深呼吸は試したことあります。でもあんまり...」

ダイキ「どんな風に深呼吸してましたか?」

美咲「震えてるときに、何度も大きく吸って吐いて...でも落ち着かなくて」

ダイキ「実は、呼吸には少しコツがあるんです」

美咲さんは、興味深そうに身を乗り出した。

ダイキ「大きく吸うことよりも、ゆっくり吐くことの方が大事なんです」

美咲「吐く方...ですか」

ダイキ「はい。息をゆっくり長く吐くと、体が『リラックスしていいんだ』って信号を受け取るんです」

ダイキ「今、一緒にやってみましょうか。まず、普通に息を吸って、それから、できるだけゆっくり息を吐いていきます。10秒くらいかけて」

美咲さんは、少し戸惑いながらも、言われた通りに息を吸い、そしてゆっくりと吐き始めた。

10秒ほど経って、美咲さんが息を吐き終えた。

美咲「なんか...落ち着く感じがします」

ダイキ「そうですね。この呼吸を、震えを観察しながら一緒にやると、さらに効果的です」

美咲「震えを見ながら、呼吸する...」

ダイキ「そうです。『震えてるな』って気づいて、そしてゆっくり息を吐く。震えを止めようとするんじゃなくて、体全体をゆるめていく感じです」

美咲さんは、また自分の手を見た。そして、ゆっくりと息を吐いた。

美咲「少しだけ...楽になった気がします」

気づきの瞬間


ダイキ「美咲さん、今日ここに来て、最初と今を比べてみてどうですか?」

美咲さんは、しばらく考えてから答えた。

美咲「最初は、震えのことで頭がいっぱいでした。『また震えてる、恥ずかしい、なんとかしなきゃ』って。でも今は...」

ダイキ「今は?」

美咲「震えてても、なんか、そこまで怖くない気がします。不思議ですね」

ダイキ「それは、震えとの関係が少し変わったからかもしれませんね」

美咲「関係...」

ダイキ「震えを敵として戦うんじゃなくて、ただそこにあるものとして受け止める。その変化が、美咲さんの中で起きてるんだと思います」

美咲さんは、自分の手をもう一度見た。今度は、さっきまでとは違う目で見ているようだった。

美咲「ずっと、震えさえなくなれば全部解決するって思ってました。でも、違うのかもしれないですね」

ダイキ「どういうことですか?」

美咲「震えをなくすことじゃなくて、震えがあっても大丈夫って思えることが、本当のゴールなのかなって」

その言葉を口にした瞬間、美咲さんの目に涙が浮かんだ。

美咲「なんか...楽になった気がします。ずっと一人で戦ってきたから」

ダイキは静かに頷いた。美咲さんは、ハンカチで目頭を押さえた。

美咲「これから、少しずつやってみます。震えと、仲良くなれるかはわからないけど...せめて、敵視するのはやめてみます」

新しい一歩へ


ダイキ「美咲さん、これから具体的にどんなことから始めてみたいですか?」

美咲「まずは、日常の小さな緊張の場面で、震えを観察してみます。電話をかけるときとか、人に話しかけるときとか」

ダイキ「いいですね。そのとき、どんなことを意識しますか?」

美咲「震えてても止めようとしない。『ああ、震えてるな』って気づくだけ。そして、ゆっくり息を吐く」

ダイキ「完璧です。それを続けていくと、体が少しずつ学習していきます。『震えても大丈夫なんだ』って」

美咲「時間はかかりますよね」

ダイキ「そうですね。でも、焦らないことが大事です。震えをコントロールしようとするんじゃなくて、震えと共にいられるようになることが目標です」

美咲「共にいる...か。なんか、いい言葉ですね」

美咲さんは、小さく笑った。この一時間で初めて見せた笑顔だった。

ダイキ「もし難しいと感じたら、いつでもまた話しに来てください」

美咲「はい。ありがとうございます」

美咲さんは立ち上がり、ドアに向かった。そして、振り返って言った。

美咲「今日、来てよかったです。震えは敵じゃないって、初めて思えました」

ドアを開けて出ていく美咲さんの背中は、来たときよりも少しだけ軽く見えた。

カウンセラーの視点


美咲さんのケースは、多くの人が経験する身体症状への恐怖を表していました。手の震え、赤面、発汗、動悸。これらの症状は、体が緊張に反応しているだけなのですが、本人にとっては「恥ずかしい」「隠したい」「なくしたい」存在になってしまいます。

そして、症状を敵視すればするほど、それに注意が向き、体はさらに緊張し、症状は悪化していく。この悪循環から抜け出すには、症状との関係性を変える必要があります。

「戦う」から「観察する」へ。「消す」から「共にいる」へ。

この変化は、勇気がいることです。症状を受け入れることは、症状に負けることではないかという恐れがあるからです。しかし、実際は逆です。症状を受け入れることで、症状に振り回されなくなるのです。

美咲さんが最後に言った「震えは敵じゃない」という言葉。この気づきが、美咲さんの新しい一歩の始まりでした。

そして、この気づきは、どんな人にも訪れる可能性があります。自分の症状、自分の感情、自分の反応。それらを敵視するのをやめたとき、新しい関係が始まります。

体は、私たちの敵ではありません。不完全で、時に厄介で、思い通りにならないけれど、それでも、私たちを生かそうと一生懸命に働いてくれている存在です。

そんな体と、どう付き合っていくか。それは、一生をかけた学びなのかもしれません。


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