「私って、何なんでしょうね」
クライエントは、ダイキのカウンセリングルームに入ってくるなり、少し疲れたような表情でそう言った。
「何なんでしょうね...って?」
ダイキはゆっくりと繰り返した。
クライエント「いや、なんていうか...会社員じゃなくなったら、自分が何者なのか、わからなくなったんですよ」
そう言いながら、クライエントは窓の外をぼんやりと眺めた。
ダイキ「会社員じゃなくなったら、ですか」
クライエント「ええ。前は、IT企業でシステム開発のマネージャーをしていたんです。朝から晩まで働いて、休日も仕事のことを考えて...」
少しの間があった。
クライエント「でも、それが私だったんです。『システム開発のマネージャー』って言えば、自分が何者かを説明できた。名刺を出せば、相手も納得してくれた」
ダイキ「名刺を出せば、納得してくれた」
クライエント「そうなんです。でも今は...名刺もないし、肩書きもない。人に会って『何をしてるんですか?』って聞かれると、すごく困るんです」
クライエントの声が少し小さくなった。
仕事=自分という呪縛
ダイキ「名刺や肩書きがないと、困る。それは、どうしてなんでしょう?」
クライエント「......それがないと、自分を説明できないからです。『ただの無職です』って言うのも恥ずかしいし、かといって何をしてるのかも、よくわからないし」
ダイキはうなずきながら、少しの間をおいた。
ダイキ「肩書きがないと、自分を説明できない。ということは、これまでは肩書きで自分を説明していた、ということですか?」
クライエント「......そうですね。考えたこともなかったけど、そうかもしれません」
クライエントは、少し考え込むように黙った。
ダイキ「肩書きや名刺って、便利ですよね。それがあれば、自分が何者かを手っ取り早く伝えられる」
クライエント「ええ、便利でした。『システム開発のマネージャーです』って言えば、それで話が進む。でも今は、それがない」
ダイキ「それがないと、どんな感じがしますか?」
クライエントは、少しうつむいた。
クライエント「......空っぽな感じがします。自分の中に、何もないような」
その言葉を口にした瞬間、クライエントの目に涙が浮かんだ。
「私は、仕事だけだったんでしょうか」
しばらく沈黙が続いた。ダイキは何も言わず、ただクライエントの隣に座っていた。
クライエント「......おかしいですよね。40過ぎて、自分が何者かもわからないなんて」
ダイキ「おかしい、と思うんですね」
クライエント「だって、普通は自分のことくらいわかってるじゃないですか。でも私は、仕事がなくなったら、何も残らなかった」
ダイキ「仕事がなくなったら、何も残らなかった」
クライエント「そうなんです。趣味もないし、友達もほとんどいない。家族とも、仕事の話しかしてこなかった。私は、仕事だけだったんでしょうか」
その問いかけに、ダイキはすぐには答えなかった。
ダイキ「......仕事だけだった、と思うと、どんな気持ちになりますか?」
クライエント「悲しいです。虚しいです。こんなに頑張ってきたのに、何も残ってないって思うと...」
涙がこぼれた。クライエントは慌ててハンカチで拭いた。
ダイキは、クライエントが落ち着くまで、静かに待っていた。
疲れ果てた心
クライエント「......すみません。こんなふうに泣くつもりじゃなかったんです」
ダイキ「泣いてもいいんですよ。ここは、そういう場所ですから」
クライエントは、少し安心したように息を吐いた。
クライエント「実は、会社を辞めてから、ずっと疲れてるんです」
ダイキ「疲れてる?」
クライエント「ええ。何もしてないのに、体が重くて、頭もぼーっとして...朝起きるのもつらいんです」
ダイキ「何もしてないのに、疲れている」
クライエント「はい。最初は、仕事を辞めたら楽になると思ってたんです。でも、実際は逆でした。前よりもっと、疲れてる気がします」
ダイキはうなずきながら、ゆっくりと尋ねた。
ダイキ「その疲れって、いつ頃から感じていますか?」
クライエントは、少し考えてから答えた。
クライエント「......実は、仕事をしていた頃からです。ただ、その時は気づかなかった。いや、気づかないふりをしていたのかもしれません」
見て見ぬふりをしてきたもの
ダイキ「気づかないふりをしていた」
クライエント「そうです。毎日、締め切りに追われて、部下の問題を解決して、上司の機嫌を取って...気づいたら、自分のことなんて考える余裕もなかった」
ダイキ「自分のことを考える余裕がなかった」
クライエント「ええ。でも、それでよかったんです。忙しくしていれば、嫌なことも考えなくて済む。疲れていることも、忘れられる」
ダイキ「忙しくしていれば、忘れられた」
クライエント「......そうです。でも、仕事を辞めたら、そういう『逃げ場』がなくなったんです」
クライエントの声が、少し震えた。
クライエント「今は、何もすることがない。だから、自分と向き合わざるを得ない。それが、すごく怖いんです」
ダイキ「自分と向き合うのが、怖い」
クライエント「はい。自分の中に、何があるのか...何もないんじゃないかって思うと、怖くて仕方ないんです」
「頑張ってきたのに」の意味
ダイキ「怖いですよね。でも、よく、ここに来てくださいました」
クライエントは、少し驚いたような顔をした。
クライエント「......そう言ってもらえるとは思いませんでした」
ダイキ「どうしてですか?」
クライエント「だって、私、何もできてないじゃないですか。仕事も辞めて、ただぼーっとして...ダメな人間だって思われると思ってました」
ダイキは、ゆっくりと首を横に振った。
ダイキ「ダメな人間なんかじゃないですよ。むしろ、あなたは今、とても大切なことをしているんです」
クライエント「大切なこと...?」
ダイキ「ええ。休むこと、です」
クライエントは、きょとんとした表情を見せた。
クライエント「休む...ですか?」
ダイキ「そうです。あなたは長い間、ずっと走り続けてきた。エネルギーが枯渇するまで、働き続けてきたんです。だから今は、充電する時間が必要なんです」
エネルギーが空っぽになるまで
クライエント「充電...確かに、バッテリーが切れたみたいな感じはします」
ダイキ「バッテリーが切れたスマホに、いきなり負荷をかけたらどうなると思いますか?」
クライエント「......壊れますよね」
ダイキ「その通りです。人間も同じなんです。エネルギーが空っぽの状態で、無理やり動こうとすると、心も体も壊れてしまう」
クライエントは、じっと考え込んでいた。
クライエント「でも、休んでるだけじゃダメだって、みんな言うんです。『何か新しいことを始めたら?』とか、『資格の勉強したら?』とか」
ダイキ「周りの人は、そう言うんですね」
クライエント「はい。だから、私もいくつか試してみました。オンラインの講座を受けてみたり、ジムに通ってみたり...」
ダイキ「それで、どうでしたか?」
クライエント「......続きませんでした。最初はやる気があっても、すぐに疲れてしまって。結局、何もできない自分がまた情けなくなって」
休むことの難しさ
ダイキ「それは、無理もないと思いますよ」
クライエント「え...?」
ダイキ「エネルギーが足りない状態で、新しいことを始めようとしても、うまくいかないんです。それは、あなたが弱いからじゃない。単純に、充電が足りていないだけなんです」
クライエントの目に、また涙が浮かんだ。今度は、悲しみではなく、安堵の涙だった。
クライエント「......そうなんですか。私、ずっと自分を責めてました。『なんでこんなこともできないんだろう』って」
ダイキ「自分を責めていたんですね」
クライエント「はい。でも、充電が足りないだけ、って言われると...なんだか、楽になりました」
ダイキ「楽になった?」
クライエント「ええ。自分がダメなんじゃなくて、ただ疲れてるだけなんですね」
ダイキはうなずいた。
ダイキ「その通りです。そして、疲れた時にすべきことは、無理に頑張ることじゃなくて、ちゃんと休むことなんです」
何もしない勇気
クライエント「でも、休むって、難しいんです」
ダイキ「難しい?」
クライエント「はい。何もしないでいると、『このままでいいのか』って不安になるんです。周りはみんな働いてるのに、私だけ何もしてないって思うと...」
ダイキ「周りと比べてしまうんですね」
クライエント「そうなんです。SNSを見ると、みんなキラキラして見えて...それに比べて自分は、って」
ダイキは、少し考えてから尋ねた。
ダイキ「その『周りと比べる』って習慣、いつ頃からありましたか?」
クライエントは、はっとした表情を見せた。
クライエント「......ずっと、かもしれません。子どもの頃から、『あの子より上』『あの子に負けない』って、常に誰かと比べていました」
ダイキ「常に誰かと比べていた」
クライエント「はい。それが、普通だと思ってました。でも...それって、すごく疲れることですよね」
その言葉を口にした瞬間、クライエントは何かに気づいたような顔をした。
他人の目で測る自分
ダイキ「すごく疲れることですよね、他人と比べるって」
クライエント「......そうです。いつも、誰かより上にいないと不安で。でも、上を見ればきりがない。永遠に満足できないんです」
ダイキ「永遠に満足できない」
クライエント「はい。どんなに頑張っても、もっと上の人がいる。だから、いつまでも休めなかった」
ダイキは、少し間をおいてから尋ねた。
ダイキ「その『価値』って、誰が決めていたんでしょう?」
クライエントは、少し考えてから答えた。
クライエント「......会社、でしょうか。上司、でしょうか」
ダイキ「自分ではなく?」
クライエント「自分では...考えたことがなかったです。いつも、上司がどう思うか、会社がどう評価するか、それだけを考えていました」
ダイキはうなずいた。
ダイキ「他人の目で、自分の価値を測っていたんですね」
クライエント「......そうです。それしか、方法を知らなかった」
親の期待、先生の期待
ダイキ「それしか方法を知らなかった、というのは?」
クライエントは、少し遠い目をした。
クライエント「小さい頃から、親に褒められるために勉強して、先生に認められるために頑張って...いつも、誰かの期待に応えることが、自分の価値だと思っていました」
ダイキ「誰かの期待に応えることが、自分の価値」
クライエント「はい。親は厳しい人でした。『お兄ちゃんはできるのに、なんであなたはできないの』って、よく言われました」
ダイキ「兄弟と比べられた」
クライエント「そうです。だから、私は必死で勉強しました。テストで100点を取れば、親が褒めてくれる。それが嬉しくて、頑張り続けた」
ダイキ「100点を取れば、褒めてくれた」
クライエント「......でも、100点を取っても、長くは褒めてくれませんでした。『次も頑張りなさい』って言われて、また次のテストに向けて走り出す」
その言葉を口にしたとき、クライエントの目に、また涙が浮かんだ。
クライエント「私、ずっと走り続けてたんですね。親の期待に、先生の期待に、上司の期待に...応え続けて」
「期待に応えられない私」への恐怖
ダイキ「期待に応え続けていた」
クライエント「はい。でも、会社を辞めた瞬間、その『期待してくれる人』がいなくなったんです」
ダイキ「期待してくれる人が、いなくなった」
クライエント「ええ。だから、何をしていいかわからない。誰のために頑張ればいいかも、わからない」
少しの沈黙のあと、ダイキはゆっくりと尋ねた。
ダイキ「......もし、誰も期待していなかったら、あなたは何をしたいですか?」
クライエントは、その質問に戸惑ったような表情を見せた。
クライエント「誰も期待していなかったら...?」
ダイキ「ええ。親も、上司も、誰も。あなたに何も期待していない。そんな時、あなたは何をしたいですか?」
クライエントは、しばらく黙っていた。その沈黙は、長く、重かった。
クライエント「......わからないです。考えたこともなかった」
ダイキ「考えたこともなかった」
クライエント「はい。いつも、誰かのために何かをしていた。自分のため、なんて...そんなの、わがままだと思っていました」
わがままであることの許可
ダイキ「わがまま、ですか」
クライエント「そうです。自分の好きなことをするなんて、親からも先生からも、許されなかった」
ダイキ「許されなかった」
クライエント「ええ。『勉強しなさい』『ちゃんとしなさい』『将来のために』...そう言われ続けて、自分の気持ちなんて、どこかに置き去りにしてきました」
ダイキはうなずきながら、ゆっくりと尋ねた。
ダイキ「その『置き去りにしてきた気持ち』は、今、どこにあるんでしょう?」
クライエントは、はっとした顔をした。
クライエント「......わかりません。ずっと押し込めていたから、もう何を感じたいのかも、わからなくなってしまいました」
ダイキ「何を感じたいのかも、わからなくなった」
クライエント「はい...」
そう答えたクライエントの声は、とても小さかった。まるで、迷子になった子どものような、不安げな声だった。
防衛する必要がなくなったとき
ダイキは、クライエントの不安げな表情を見て、少し微笑んだ。
ダイキ「大丈夫ですよ。今、ここから探し始めればいいんです」
クライエント「今、ここから...?」
ダイキ「ええ。でも、その前に一つ聞いてもいいですか?」
クライエント「はい」
ダイキ「仕事を辞めてから、何をしていましたか?」
クライエントは、少し考えてから答えた。
クライエント「最初は、何もできませんでした。ただ、部屋でぼーっとしていて...でも、ある時、昔買ったままだった本を読み始めたんです」
ダイキ「本を読み始めた」
クライエント「はい。心理学の本とか、哲学の本とか...仕事には関係ないやつです」
ダイキ「仕事には関係ない本」
クライエント「そうです。読んでみたら、意外と面白くて...それから、図書館に通うようになりました」
ダイキの目が、少し輝いた。
ダイキ「図書館に、通うようになったんですね」
小さな灯り
クライエント「ええ。最初は、暇つぶしのつもりでした。でも、いろんな本を読んでいるうちに...なんだか、少し楽になったんです」
ダイキ「楽になった?」
クライエント「はい。仕事のことを考えなくていい時間が、こんなに心地いいなんて、思ってもみませんでした」
その時、クライエントの表情が、初めてやわらかくなった。
ダイキ「本を読むのは、楽しいですか?」
クライエント「楽しいです。誰かに評価されるわけじゃないけど...ただ、純粋に面白いんです」
ダイキ「誰かに評価されるわけじゃないけど、面白い」
クライエント「......ええ」
ダイキは、少し身を乗り出して尋ねた。
ダイキ「それって、すごく大事なことだと思いませんか?」
クライエント「大事なこと...?」
気づきの瞬間
ダイキ「誰かの評価じゃなくて、自分が『面白い』と感じること。それが、あなた自身の感覚なんです」
クライエントは、少し驚いたような顔をした。
クライエント「私自身の...感覚」
ダイキ「そうです。仕事や肩書きがなくても、あなたの中にはちゃんと感覚がある。『これは面白い』『これは楽しい』って感じる力が、あるんです」
クライエントは、じっと考え込んでいた。そして、ゆっくりと口を開いた。
クライエント「......そうか。私、空っぽだと思ってたけど、そうじゃないのかもしれない」
ダイキはうなずいた。
ダイキ「空っぽだと思っていたのは、もしかしたら、仕事という看板がなくなったからかもしれませんね」
クライエント「看板...」
ダイキ「ええ。でも、看板がなくなったからこそ、その下にあった本当のあなたが見えてきたのかもしれません」
クライエントは、はっとした表情を見せた。そして、次の瞬間、何かが溢れ出したかのように、涙が頬を伝った。
クライエント「......私、ずっと怖かったんです。仕事がなくなったら、私には何もないって」
ダイキは、静かに待っていた。
クライエント「でも、違うんですね。私には、ちゃんと感じる心がある。好きなものを好きだって思える心が、ある」
その言葉を口にしたとき、クライエントの表情が、まるで何かが剥がれ落ちたかのように、穏やかになった。
仕事は私の一部、でも全部じゃない
クライエント「図書館で本を読んでる時、ふと思ったんです。『ああ、これが私なんだ』って」
ダイキ「これが私」
クライエント「はい。仕事をしてる時は、いつも『システム開発のマネージャーの私』でした。でも、図書館で本を読んでる時は、ただの『私』だった」
ダイキ「ただの『私』」
クライエント「そうです。肩書きも、役職も、期待も、何もない。ただ、本が好きな私。それだけでいいんだって、初めて思えたんです」
ダイキは、静かに微笑んだ。
ダイキ「素敵ですね」
クライエント「......でも、それでいいんでしょうか。社会の役に立ってないし、誰かの期待にも応えてない」
ダイキ「誰かの期待に応えていない、と思うと、どんな気持ちになりますか?」
クライエントは、少し考えてから答えた。
クライエント「......少し、不安です。でも、以前ほどじゃない。むしろ、解放された感じもあります」
ダイキ「解放された?」
クライエント「はい。誰かの期待に応える必要がないって、こんなに楽なんだって」
新しい自分との出会い
ダイキ「期待に応える必要がない、楽さ」
クライエント「ええ。でも、それって、わがままじゃないですか?」
ダイキは、首を横に振った。
ダイキ「わがままじゃないですよ。それが、本来のあなたなんです」
クライエント「本来の私...」
ダイキ「そうです。誰かの期待に応えるために生きるんじゃなくて、自分の感覚を大切にして生きる。それが、あなた自身の人生なんです」
クライエントは、じっと考え込んでいた。
クライエント「本当の私って、どういうことなんでしょう」
ダイキ「それは、これから見つけていくものだと思いますよ。誰かの期待に応えるためじゃなく、自分が本当に面白いと思えること、楽しいと思えること。それを一つずつ見つけていく」
クライエント「......時間がかかりそうですね」
ダイキ「かかると思います。でも、急ぐ必要はないんです。今は、ゆっくり自分と向き合う時間にしてもいいんじゃないでしょうか」
クライエントは、少し安心したような表情を見せた。
クライエント「そうですね...急がなくていい、か」
「私は私でいいのかもしれない」
ダイキ「ところで、これからどうしていきたいですか?」
クライエントは、少し考えてから答えた。
クライエント「まずは、しっかり休みたいです。エネルギーを充電して、それから...ゆっくり、自分が好きなことを見つけていきたいです」
ダイキ「自分が好きなことを見つけていく」
クライエント「はい。図書館で本を読むのもそうだし、他にも何か...仕事とは関係なく、ただ自分が楽しいと思えることを」
ダイキはうなずいた。
ダイキ「素晴らしいと思います。それが、あなた自身の人生を生きるということなんです」
クライエント「私自身の人生...」
ダイキ「ええ。誰かの期待に応えるためじゃなく、自分の感覚を大切にする。それが、本当の意味での『自分らしさ』なんだと思いますよ」
クライエントは、少し涙ぐみながらも、笑顔を見せた。
クライエント「なんだか、すごく軽くなった気がします」
ダイキ「軽くなった?」
クライエント「ええ。『仕事=自分』って思ってたから、仕事がなくなったら何もないって思い込んでいました。でも、そうじゃないんですね」
ダイキ「そうじゃない?」
クライエント「はい。仕事は、私の一部ではあったけど、全部じゃなかった。私には、他にも興味があることや、楽しいと思えることがある。それも、私なんですよね」
仕事と自分を切り離す
ダイキ「その通りです。仕事も、あなたの一部。でも、あなたはそれだけじゃない」
クライエント「......私は私でいいのかもしれない、って初めて思いました」
ダイキ「私は私でいい」
クライエント「はい。肩書きがなくても、名刺がなくても、誰かの期待に応えなくても...私は私として、ここにいていいんだって」
その言葉を口にしたとき、クライエントの目には、もう涙はなかった。代わりに、穏やかな光が宿っていた。
ダイキ「それに気づけたこと、とても大きな一歩ですよ」
クライエント「ありがとうございます。今日、ここに来て、本当によかったです」
小さな変化の積み重ね
ダイキ「これから、どんな小さなことでもいいので、自分が『いいな』と思えることを見つけてみてください」
クライエント「小さなことでいいんですか?」
ダイキ「ええ。たとえば、朝のコーヒーが美味しいとか、散歩していて気持ちいいとか、そういう小さな感覚を大切にすることから始めてみてください」
クライエント「小さな感覚...」
ダイキ「そうです。それが、あなた自身の感覚なんです。仕事や評価とは関係なく、ただあなたが感じていること。それを一つずつ見つけていくことで、本当の自分が見えてくると思いますよ」
クライエントは、うなずいた。
クライエント「やってみます。今度、図書館に行ったら、今日のことをノートに書いてみようかな」
ダイキ「いいですね。書くことも、自分と向き合う良い方法ですよ」
クライエント「はい。少しずつ、自分を見つけていきます」
それから
カウンセリングルームを出るとき、クライエントの足取りは、来た時よりも明らかに軽やかだった。
「また来ます」
そう言って、クライエントは笑顔で手を振った。ダイキは、その背中を見送りながら、小さくつぶやいた。
「あなたはあなたで、ちゃんといいんですよ」
窓の外では、夕日が静かに沈んでいった。クライエントの心の中にも、新しい一日が始まろうとしていた。仕事という看板の下に隠れていた、本当の自分との出会い。それは、長い旅の、ほんの小さな一歩に過ぎないかもしれない。
でも、その一歩は、確かに踏み出されたのだ。
ダイキより
このセッションで、クライエントは大きな気づきを得られました。「仕事=自分」という思い込みから解放され、自分自身の感覚を大切にすることの意味を見出せたのです。
多くの人が、仕事や肩書きに自分のアイデンティティを結びつけています。それ自体は悪いことではありません。仕事は、私たちの人生の大切な一部ですから。
しかし、仕事「だけ」が自分になってしまうと、それを失ったときに、自分自身を見失ってしまいます。
大切なのは、仕事も自分の一部として大切にしながら、他の部分も育てていくこと。趣味や興味、人間関係、そして何より、自分自身の感覚を大切にすることです。
クライエントが図書館で本を読んでいる時に感じた「楽しい」という感覚。それは、誰かの評価とは関係なく、純粋にクライエント自身が感じたものでした。
こうした小さな感覚を大切にしていくことで、私たちは少しずつ、本当の自分に近づいていけるのだと思います。
もし、あなたも「仕事を辞めたら、自分が何者かわからなくなった」と感じているなら、焦る必要はありません。
今は、ゆっくり休む時間。そして、自分自身の感覚を取り戻す時間です。
何が好きか、何が楽しいか、何が心地いいか。そういう小さな感覚を、一つずつ見つけていってください。
それが、あなた自身の人生を取り戻す第一歩になるはずです。