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混乱しているのは、変わろうとしているから

「もう、わけがわからなくて」カウンセリングルームに入ってきた彼女は、座るなりため息をついた。クライエント「すみません、いきなり予約してしまって...」ダイキ「いえいえ、大丈夫ですよ。今日はどんなことでお越しになったんですか?」クライエント「なんか...最近、もう、わけがわからなくて」そう言って、彼女は少し困ったように笑った。クライエント「転職して、新しい仕事を始めたんです。それ自体は良かったと思ってるんですけど...でも、毎日が混乱していて。やることは山積みだし、覚えることも多いし、人間関係も新しくて。もう、頭の中がぐちゃぐちゃなんです」ダイキ「ぐちゃぐちゃ...」クライエント「はい。朝起きても、何から手をつけていいかわからない。仕事中も、あれもこれもって焦って。夜は疲れすぎて何もできないのに、頭は冴えて眠れなくて」彼女は手元の資料を整理しようとして、また止めた。その動作に、彼女の内面の混乱が表れているようだった。「しっかり者」として生きてきたダイキ「転職されてから、どのくらい経ちましたか?」クライエント「...1年くらいです。もうそんなに経つのに、まだこんな状態で」ダイキ「『もうそんなに』って思われるんですね」クライエント「だって、普通はもっと早く慣れますよね。私、前の職場では10年以上働いてたんです。そこでは何でもスムーズにこなせてたのに」彼女の声には、自分への苛立ちが滲んでいた。ダイキ「前の職場では、スムーズだった」クライエント「はい。むしろ、周りからは『しっかりしてるね』って言われてました。子どもの頃からずっとそう言われて育ってきたんです」少し間があった。クライエント「
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ずっと他人の期待に応えてきた

■ 期待に応える人生「最初に聞きたいんですが...」クライエントは、ゆっくりと言葉を探すように話し始めた。「今の仕事、別に嫌いじゃないんです。給料もいいし、周りからは『順調だね』って言われる。でも...なんか、虚しいんですよね」ダイキは静かにうなずいた。「虚しい、ですか」「はい。朝起きて会社に行って、会議して、部下の管理して...それを20年近く続けてきて。気づいたら、『これ、本当に自分がやりたかったことなのかな』って」クライエントの視線が、窓の外に向けられた。「どんなときに、そう思うんですか?」「...ふとした瞬間、ですかね。会議中とか、通勤電車の中とか。『俺、何やってんだろう』って」ダイキは少し間を置いてから、尋ねた。「今の仕事を選んだとき、どんな気持ちでしたか?」クライエントは少し考えてから、答えた。「親が喜ぶ顔が見たかったんです。『大手に入れて良かったね』って。それに、周りもみんな大企業を目指してたし、自分もそうするのが当然だと思ってた」■「自分」がどこにもない「親御さんが喜ぶ顔、見たかったんですね」「はい...でも、それって、自分の気持ちじゃないですよね」クライエントは、少し自嘲気味に笑った。「ずっと、誰かの期待に応えることばかり考えてきた気がします。親、上司、会社...気づいたら、『自分が何をしたいか』っていう感覚が、わからなくなってた」ダイキは、その言葉をじっくり受け止めた。「...今、どんな気持ちですか?」「正直、怖いです」クライエントの声が、少し震えた。「これまでの人生、全部無駄だったんじゃないかって。40過ぎて、今さら『自分の人生』なんて言っても...もう遅
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人が波のように引いた32歳の転機──「利害でつながる関係」と「信頼でつながる関係」の違いに気づいた日

華やかな雑誌の世界で感じていた「限界」 社会人になってからの「人付き合いとは何か」という原点は、私が32歳のときに経験した出来事から始まりました。 当時の私は、女性向けファッション雑誌の副編集長。 アパレルブランドのスポンサー、海外ブランド、タレント、モデル、カメラマン、スタイリスト……。 毎日がまるでショーウィンドウの中のような“キラキラした世界”に身を置いていました。 けれどその華やかさの裏で、私はずっと「雑誌という枠の中でしか仕事ができない自分」に限界を感じていました。 心のどこかで「人の心に長く残る“本”をつくりたい」という気持ちが膨らんでいたのです。 だから、会社にずっとお願いし続けました──「書籍の編集部に異動させてください」と。 異動後に起きた“人が引いていく”現象 そして32歳のとき、念願叶って異動が決まりました。 その瞬間、私のまわりの景色は一変します。 まるで潮が引くように、それまで親しくしていた人たちが離れていったのです。 スポンサーも、ブランド担当者も、モデルのマネージャーも、誰もが新しい副編集長のもとへ。 仕事の関係とはいえ、あまりの変化に愕然としました。 「人間関係って、こんなにもあっさり消えるものなのか」 けれど、それが現実でした。 私が人に囲まれていたのは、“利害関係”でつながっていたから。 私自身ではなく、“雑誌の副編集長”という肩書に価値があっただけだったのです。 書籍編集者として“ゼロ”からの出発 異動した書籍編集部では、最初の本が世に出るまで半年かかりました。 実績ゼロ。担当作なし。企画を出しても、誰も本気で取り合ってくれない。 32歳に
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【Y-Biz】AI共生で拓く「新・自分らしい働き方」

1957年生まれの私が予見する、AI共生が生む「第二次高度経済成長」はじめに2026年、あの時と同じ「熱気」を感じています。2026年の仕事始め。世界を見渡せば物価高や不透明な情勢が続き、AIの急速な進化に対して「仕事が奪われるのではないか」という不安の声も聞こえてきます。しかし、1957年生まれの私には、今のこの状況が、かつて日本が凄まじいエネルギーで駆け抜けたあの「高度経済成長期」の熱気と重なって見えて仕方がありません。ここだけの話(笑)、私が社会人になったばかりの頃、意を決して「月賦(ローン)」で購入した一台の道具がありました。持ち運び可能な富士通のワードプロセッサー、当時の価格で50万円。今の価値に直せば、若手社員が手にするにはあまりに大きな、しかし私にとっては希望に満ちた投資でした。1. 弱みを「強み」に変えた、50万円の魔法私はもともと、字が綺麗ではなく、文章を書くこと自体に苦手意識を持っていました。当時は手書きが当たり前の時代。物書きが不得意であることは、ビジネスの世界では大きなハンディキャップでした。しかし、その50万円のワープロが私の世界を一変させたのです。ボタン一つで印字される美しい文字。修正も自由自在。私の頭の中にある「知恵」や「想い」が、ワープロという相棒を通じて、プロフェッショナルな書類として次々と形になっていきました。「ガンガン仕事が進む!」あの時の高揚感は今でも忘れられません。テクノロジーが私の「弱み」を完全に払拭し、本来の力を解放してくれた瞬間でした。今のAI、私にとっての「Gemini」という相棒も、まさにあの時のワープロと同じ、いやそれ以上の
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"自分の名刺がなくなった日"

「私って、何なんでしょうね」クライエントは、ダイキのカウンセリングルームに入ってくるなり、少し疲れたような表情でそう言った。「何なんでしょうね...って?」ダイキはゆっくりと繰り返した。クライエント「いや、なんていうか...会社員じゃなくなったら、自分が何者なのか、わからなくなったんですよ」そう言いながら、クライエントは窓の外をぼんやりと眺めた。ダイキ「会社員じゃなくなったら、ですか」クライエント「ええ。前は、IT企業でシステム開発のマネージャーをしていたんです。朝から晩まで働いて、休日も仕事のことを考えて...」少しの間があった。クライエント「でも、それが私だったんです。『システム開発のマネージャー』って言えば、自分が何者かを説明できた。名刺を出せば、相手も納得してくれた」ダイキ「名刺を出せば、納得してくれた」クライエント「そうなんです。でも今は...名刺もないし、肩書きもない。人に会って『何をしてるんですか?』って聞かれると、すごく困るんです」クライエントの声が少し小さくなった。仕事=自分という呪縛ダイキ「名刺や肩書きがないと、困る。それは、どうしてなんでしょう?」クライエント「......それがないと、自分を説明できないからです。『ただの無職です』って言うのも恥ずかしいし、かといって何をしてるのかも、よくわからないし」ダイキはうなずきながら、少しの間をおいた。ダイキ「肩書きがないと、自分を説明できない。ということは、これまでは肩書きで自分を説明していた、ということですか?」クライエント「......そうですね。考えたこともなかったけど、そうかもしれません」クライエントは、
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雑誌編集者の自分が限界を感じた頃

私の雑誌編集者としてのキャリアの終盤は、女性向けファッション誌の副編集長でした。 当時は、各出版社から同じようなファッション雑誌が乱立していた時代。ターゲットは「OL」。 企画会議では毎号のように「着回し特集」「新作ブランドの紹介」「占いページ」が定番メニュー。 まるで企画のテンプレートが存在するかのようでした。 どの雑誌も似たような人気モデルを起用し、同じカメラマン、同じヘアメイク。 「うちの雑誌らしさって何?」と聞かれても、正直、明確な答えはありませんでした。 人気モデルが誰の雑誌に出るかで編集部同士がピリピリする。 その世界の“競争”は、クリエイティブというよりも「取り合い」に近いものでした。 雑誌が偉かった時代当時は、雑誌に「権威」があるように感じていました。 でも今振り返れば、それは雑誌そのものに力があったというよりも、 「雑誌という情報インフラが偉かった」だけのこと。 ネットがまだ成熟していなかった時代、人々はファッションの最新情報を得る手段が限られていました。 だからこそ、雑誌は“唯一の情報源”として成立していたのです。 けれど、インターネットが台頭するとその構図は一気に崩れました。 SNSで誰もが自分の感性を発信できるようになり、 “雑誌の世界観”よりも“自分のリアル”が尊重される時代に変わったのです。 編集部のリアル──キラキラの裏側 女性向けファッション誌の編集部というと、 華やかでおしゃれな人たちが集まり、センスあふれる職場を想像する人が多いと思います。 でも現実は、ギスギスした人間関係の巣でした。 どの雑誌も似たような企画をしているからこそ、 「自分が一
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