「寝なきゃ」と思うほど、眠れなくなる
クライエントは、カウンセリングルームのソファに腰を下ろすと、小さくため息をついた。
クライエント「最近、本当に眠れなくて...。布団に入っても2時間くらい寝つけないんです」
ダイキ「2時間も...。それは辛いですね」
クライエント「はい。で、やっと眠れたと思ったら、もう朝で。結局、睡眠時間は5時間くらいしか取れてなくて」
彼女は疲れた表情で、目の下のクマを気にするように手で触れた。
ダイキ「5時間睡眠が、どれくらい続いているんですか?」
クライエント「えっと...3ヶ月くらいかな。いや、もっとかもしれません」
ダイキ「3ヶ月...。日中は、どんな感じですか?」
クライエント「正直、しんどいです。午後になると頭がぼーっとして、会議中に何度も意識が飛びそうになって。それが怖くて、コーヒーばっかり飲んでるんですけど」
彼女は、そう言いながら自分のカバンからペットボトルのコーヒーを取り出した。
クライエント「でも、コーヒー飲むと夜また眠れなくなって...。なんか、悪循環ですよね」
「休む」ことへの罪悪感
ダイキ「その悪循環、きついですね。休日は、しっかり休めていますか?」
クライエント「休日...。いや、あんまり休めてないかもしれません」
彼女は少し考え込むように視線を落とした。
クライエント「土日も、資格試験の勉強してるんです。将来のキャリアのために、英語の資格を取ろうと思って」
ダイキ「なるほど。休日も勉強を?」
クライエント「はい。だって、休んでばっかりいたら、何も成長できないじゃないですか」
その言葉には、どこか自分を責めるような響きがあった。
ダイキ「『休んでばっかりいたら』...ですか」
クライエント「......あ」
彼女は、ハッとしたように顔を上げた。
クライエント「なんか、今言われて気づいたんですけど。私、『休む』ってことに、すごく罪悪感があるのかもしれません」
ダイキ「罪悪感...」
クライエント「そうなんです。休んでると、『こんなことしてていいのかな』『時間を無駄にしてる』って思っちゃって。だから、休日も何か生産的なことをしないと、落ち着かないんです」
いつから、こうなったのか
ダイキ「その感覚は、いつ頃からありましたか?」
クライエント「うーん...。考えたことなかったけど...」
しばらく沈黙が流れた。クライエントは、何かを思い出すように天井を見上げた。
クライエント「たぶん、学生の頃からかな。親に『将来のために頑張りなさい』ってずっと言われて育って。成績が下がったら、『もっと努力しなさい』って」
ダイキ「頑張ることが、当たり前だった」
クライエント「そうです。で、社会人になってからも、周りの人はみんな頑張ってるし。私も頑張らなきゃって」
彼女の声が、少しずつ小さくなっていく。
クライエント「でも...最近、限界かもしれないです。頑張ろうと思っても、体が動かなくて」
疲れているのに、気づけなかった
ダイキ「体が動かない、というのは?」
クライエント「朝起きるのが、本当にしんどくて。アラームが鳴っても、起き上がれないんです。前は、パッと起きられたのに」
ダイキ「他に、体の変化はありますか?」
クライエント「そういえば...。階段上るだけで息切れするし、ちょっとしたことでイライラするし。この前も、駅で人にぶつかられて、すごく腹が立って...。普段ならそんなことないのに」
彼女は、自分の変化に改めて気づいたように、驚いた表情を浮かべた。
ダイキ「それは、体からのサインかもしれませんね」
クライエント「サイン...?」
ダイキ「はい。疲労が蓄積しているサインです」
クライエント「でも、特別なことはしてないんです。いつも通りの仕事をして、いつも通りの生活をしているだけで」
ダイキ「そうなんです。実は、『いつも通り』が続くことで、知らないうちに疲労が溜まっていくことがあるんです」
クライエントは、不思議そうにダイキを見た。
エネルギーの「収支バランス」
ダイキ「ちょっと、スマートフォンの充電をイメージしてみてください」
クライエント「スマホの充電...?」
ダイキ「はい。例えば、充電しながらゲームをしたり動画を見たりしていたら、どうなりますか?」
クライエント「あ、充電されるけど...減るのも早いから、なかなかフル充電にならないですよね」
ダイキ「その通りです。私たちの体も、同じなんです」
彼女は、真剣な表情で聞いている。
ダイキ「エネルギーの回復は、『充電する量』から『使う量』を引いた差で決まります。どんなに睡眠や休息で充電しようとしても、それ以上にエネルギーを使っていたら、疲労は回復しないんです」
クライエント「......」
ダイキ「今のお話を聞いていると、〇〇さんは、平日は仕事で疲れて、休日は資格の勉強で頑張って...。充電する時間が、ほとんどないように感じます」
クライエント「でも、寝てるじゃないですか。5時間は」
ダイキ「5時間の睡眠で、一日のすべての疲れが取れますか?」
クライエント「......取れないです。全然」
彼女は、小さく首を横に振った。
7時間と5時間の、大きな違い
ダイキ「実は、睡眠時間が1時間減るだけで、頭の働きが大きく変わることが分かっているんです」
クライエント「1時間でそんなに変わるんですか?」
ダイキ「はい。例えば、7時間睡眠と6時間睡眠では、集中力や判断力に明確な差が出ます。ましてや5時間だと...」
クライエント「......ああ」
彼女は、何かを思い当たったように、目を閉じた。
クライエント「だから、午後になると頭が働かないんだ。ずっと、自分の能力が落ちたのかと思ってました」
ダイキ「能力が落ちたんじゃなくて、エネルギーが足りていないんです」
クライエント「エネルギー不足...」
ダイキ「そうです。そして、エネルギーが不足すると、私たちは無意識に周囲を警戒するようになります。疲れているからこそ、何かあった時に対処できるように、常に緊張状態になってしまうんです」
クライエント「それで、眠れなくなるんですか?」
ダイキ「はい。緊張していると、体が休息モードに入れないんです」
「休む=怠ける」じゃない
しばらく沈黙が流れた。クライエントは、何かと戦うように唇を噛んでいた。
クライエント「でも...休んだら、体力落ちますよね」
ダイキ「そう思いますか?」
クライエント「だって、運動しないと筋力が落ちるって言うし。休んでばかりいたら、ダメになっちゃうんじゃないかって」
ダイキ「〇〇さん、普段運動していますか?」
クライエント「いえ...。全然してないです」
ダイキ「では、運動していない期間が1ヶ月続いたら、どうなりましたか?」
クライエント「別に...普通に生活できてますけど」
ダイキ「そうですよね。でも今、『休んだら体力が落ちる』と心配している。これって、不思議じゃないですか?」
クライエントは、ハッとした表情を浮かべた。
クライエント「......確かに。普段は運動不足でも気にしないのに、なんで『休むこと』にだけ、こんなに抵抗があるんだろう」
ダイキ「それは、『休む=怠ける』という思い込みがあるからかもしれませんね」
彼女の目に、涙が浮かんでいた。
クライエント「......そうかもしれません。ずっと、『頑張らない自分はダメだ』って思ってました」
「時間を味方にする」という選択
ダイキ「今の〇〇さんに必要なのは、エネルギーの収支をプラスにすることです」
クライエント「収支をプラスに...?」
ダイキ「はい。使うエネルギーを減らして、充電するエネルギーを増やす。その状態を維持することで、少しずつ疲労が回復していきます」
クライエント「でも、それって...何もしないってことですよね」
ダイキ「何もしないのではなく、『充電する』んです」
クライエント「充電...」
ダイキ「充電している間は、成長を実感できないかもしれません。楽しいこともないかもしれない。でも、その時間が、確実に〇〇さんを回復させていきます」
クライエント「......」
ダイキ「これを、『時間を味方にする』と言います」
彼女は、じっと考え込んでいた。
クライエント「どれくらい...休めばいいんですか?」
ダイキ「まずは、睡眠時間を7時間確保することから始めてみませんか?」
クライエント「7時間...」
ダイキ「そのために、何かやめられることはありますか?」
彼女は、少し考えてから答えた。
クライエント「夜、スマホ見るのをやめます。布団に入ってからも、つい見ちゃってて」
ダイキ「いいですね。他には?」
クライエント「資格の勉強...。週末は、少し減らしてもいいかもしれません」
小さな一歩から
ダイキ「無理のない範囲で、少しずつでいいんです」
クライエント「はい...。でも、正直、不安です」
ダイキ「不安?」
クライエント「休んでいる間に、周りに置いていかれるんじゃないかって」
ダイキ「その気持ち、よく分かります。でも、今のまま疲れ続けたら、どうなると思いますか?」
クライエント「......もっと、動けなくなりますよね」
ダイキ「そうです。だから、今は『充電期間』だと思ってください。しっかり充電できれば、また動き出せます」
彼女は、ゆっくりと頷いた。
クライエント「分かりました。まずは、夜23時には布団に入って、スマホは見ないようにします」
ダイキ「素晴らしいですね。それで、どれくらい睡眠時間が取れそうですか?」
クライエント「朝6時に起きるとしたら...7時間取れます」
ダイキ「完璧です。それを、まず1週間続けてみてください」
クライエント「1週間...。やってみます」
彼女の表情が、少しだけ柔らかくなった。
3週間後
3週間後、彼女は少し明るい表情でカウンセリングルームに現れた。
クライエント「ダイキさん、寝れるようになりました」
ダイキ「本当ですか?」
クライエント「はい。最初の数日は、やっぱり寝つきが悪かったんですけど。23時にスマホの電源を切って、布団に入るようにしたら、1週間くらいで変わってきて」
ダイキ「それは良かったです」
クライエント「それと、面白いことに気づいたんです」
ダイキ「何ですか?」
クライエント「7時間寝ると、コーヒーをそんなに飲まなくても、午後まで集中できるんです。今までは1日5本くらい飲んでたのが、1本で済むようになりました」
ダイキ「それは大きな変化ですね」
クライエント「はい。で、コーヒーを減らしたら、夜もっと寝やすくなって...。なんか、いい循環になってきた気がします」
彼女は、そう言って笑った。
ダイキ「休日の過ごし方は、どうですか?」
クライエント「資格の勉強は、土曜日の午前中だけにしました。午後は、本当に何もしない時間を作って」
ダイキ「何もしない時間...どうでしたか?」
クライエント「最初は、すごくソワソワしました。『こんなことしてていいのかな』って。でも、2週目くらいから、その時間が心地よくなってきて」
彼女は、少し照れくさそうに続けた。
クライエント「窓の外をぼーっと眺めたり、お茶を飲んだり。そういう時間も、大事なんだなって」
「休む」ことは、前に進むこと
ダイキ「素晴らしい気づきですね」
クライエント「ありがとうございます。それで、もう一つ気づいたことがあるんです」
ダイキ「どんなことですか?」
クライエント「『休む』ことって、後ろ向きなことじゃないんですね」
ダイキ「......」
クライエント「ちゃんと休んで充電できれば、また前に進める。休むことは、前に進むための準備なんだって」
彼女の言葉に、確信が込められていた。
ダイキ「その通りです。〇〇さんは、『時間を味方にする』ことができましたね」
クライエント「はい。まだ完全に疲れが取れたわけじゃないけど、以前よりずっと楽になりました」
ダイキ「これからも、その調子で」
クライエント「はい。もう、無理はしません」
カウンセリングルームを出る彼女の背中は、以前よりもずっと軽やかだった。
十分な睡眠と休息の確保は、単なる時間の問題ではない。それは、自分を大切にすることであり、未来の自分への投資でもある。
「休む=怠ける」という思い込みを手放し、「休む=充電する」と捉え直すこと。それが、疲れ切った心と体を回復させる第一歩なのかもしれない。