はじめての扉
オンラインカウンセリングのルームに入ってきた彼女は、きちんと整えた髪と丁寧な挨拶で、少し緊張した様子だった。
クライエント
「お忙しいところ、ありがとうございます。よろしくお願いします」
ダイキ
「こちらこそ、よろしくお願いします。今日はどんなことでもお話しいただいて大丈夫ですよ」
彼女は少し笑顔を見せたが、その笑顔はどこか硬かった。画面越しに見える彼女の背景は、シンプルで整理された部屋。きっと、人に見られることを意識して片付けたのだろう。
クライエント
「実は......カウンセリング、初めてなんです。どこから話せばいいのか......」
ダイキ
「大丈夫です。どこからでも、どんなペースでも。今日は、あなたのための時間ですから」
彼女は小さくうなずいた。しかし、まだ何かに警戒しているような、身構えた様子が消えない。
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「大丈夫」の裏側
クライエント
「最近、働いていなくて......といっても、みんなには『ちょっと休憩中』って言ってるんですけど」
ダイキ
「『ちょっと休憩中』......周りにはそう伝えているんですね」
クライエント
「はい。でも、本当は......その、もう半年以上なんです。最初は『数ヶ月休んだらまた働こう』って思ってたんですけど、気づいたらこんなに」
言葉が少しずつ途切れる。彼女は視線を少し下げた。
ダイキ
「半年以上。それは......周りに言いにくいこともあるかもしれませんね」
クライエント
「そうなんです。友達とか、親とかに『今何してるの?』って聞かれると、なんか......『大丈夫、ちゃんと考えてるから』って言っちゃうんです。でも、本当は全然大丈夫じゃなくて......」
彼女の声が少し震えた。そして、すぐに笑顔を作った。
クライエント
「あ、すみません。暗い話ばっかりで」
その瞬間、ダイキは気づいた。彼女はずっと、誰かに気を遣い続けているのだと。
ダイキ
「暗い話なんかじゃないですよ。あなたが今感じていることを、そのまま話してくださって大丈夫です」
彼女は少し驚いたような表情を見せた。
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見えない鎧
ダイキ
「今までも、誰かに『大丈夫?』って聞かれること、ありましたか?」
クライエント
「ありました。でも......なんか、『大丈夫じゃない』って言えないんですよね」
ダイキ
「言えない......それは、どうしてだと思いますか?」
彼女は少し考えてから、ゆっくりと答えた。
クライエント
「......心配かけたくないから、とか。あと、なんか『私ってダメな人間だな』って思われたくないというか......」
ダイキ
「『ダメな人間だな』って思われたくない......」
クライエント
「はい。なんか、弱音を吐いたら嫌われそうで。いつも『ちゃんとしてる私』でいないと、って」
彼女は自分の手を見つめながら、小さな声で続けた。
クライエント
「子どもの頃から、なんとなく......『いい子』でいることが当たり前だったんです。親も忙しかったし、弟もいたから、私は手のかからない子でいなきゃって」
ダイキ
「『手のかからない子』でいなきゃいけなかったんですね」
クライエント
「......そうですね。だから、大人になっても、なんか......人に本音を言うのが怖くて」
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崩れる境界線
ダイキ
「今日ここで、私に話してくださったこと......それは、本音ですか?」
彼女は少し目を見開いた。
クライエント
「......本音、かもしれません。でも、なんか......こんなこと言っていいのかなって」
ダイキ
「言っていいと思いますよ」
クライエント
「......本当に?」
ダイキ
「本当に。ここは、あなたが本音を話しても安全な場所ですから」
彼女は少し沈黙した。そして、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
クライエント
「実は......ずっと、ひとりで抱えてたんです。『誰にも言えない』って。友達には明るく『今、自分探し中!』とか言って、親には『前向きに考えてる』とか言って......でも、本当は......」
彼女の声が震えた。
クライエント
「本当は、毎日不安で。朝起きて、『今日も何もできなかった』って思って。夜になると『明日こそ何かしなきゃ』って焦って......でも、動けなくて......」
涙が一筋、彼女の頬を伝った。
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言葉にできなかった重さ
しばらく、静かな時間が流れた。ダイキは何も言わず、ただ彼女を見守った。
クライエント
「......すみません。泣くつもりじゃなかったのに」
ダイキ
「謝らなくて大丈夫ですよ。泣きたいときは、泣いていいんです」
彼女はハンカチで涙を拭きながら、小さく笑った。
クライエント
「なんか......久しぶりに泣いたかもしれません。ずっと、我慢してたんだなって、今気づきました」
ダイキ
「我慢してたんですね」
クライエント
「はい。でも......なんか、今、ちょっと楽になった気がします」
ダイキ
「それは良かったです。本音を言葉にするって、それだけでエネルギーが必要なことですから」
彼女はうなずいた。そして、少しずつ、表情が柔らかくなっていった。
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小さな発見
ダイキ
「ひとつ、聞いてもいいですか?」
クライエント
「はい」
ダイキ
「あなたは、『本音を言うと嫌われる』って思っていたけれど......今、私に本音を話してみて、どうでしたか?」
彼女は少し考えてから、ゆっくりと答えた。
クライエント
「......嫌われませんでしたね」
その言葉には、少しの驚きと、少しの安心が混ざっていた。
ダイキ
「そうですね。嫌われませんでした」
クライエント
「なんか......ずっと、『本音を言ったら否定されるかも』『ダメな人間だと思われるかも』って思ってたんですけど......そうじゃなかった」
ダイキ
「そうですね。本音を言っても、あなたはあなたのままです」
彼女はゆっくりと息を吐いた。その息には、長い間張り詰めていた何かが、少しずつほどけていくような感覚があった。
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これからの一歩
ダイキ
「これから、どうしたいですか?」
クライエント
「......正直、まだよく分からないんです。でも、今日ここで話してみて、ちょっと......『本音を言ってもいいんだ』って思えました」
ダイキ
「それは大きな一歩ですね」
クライエント
「そうですかね?」
ダイキ
「そうだと思いますよ。自分の本音を認めること、そしてそれを言葉にすること。それは、これからのあなたにとって、とても大切な土台になります」
彼女は少し微笑んだ。今度は、最初のような硬い笑顔ではなく、少しだけ柔らかい、本当の笑顔だった。
クライエント
「ありがとうございます。なんか......また話したいです」
ダイキ
「いつでもお待ちしていますよ」
画面が切れる前、彼女は小さく手を振った。その姿には、少しだけ肩の力が抜けた様子が見えた。
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カウンセラーの視点
彼女のような方は、決して珍しくない。周囲に気を遣い、「いい人」であろうとし、本音を押し殺して生きてきた人。そうした生き方は、いつの間にか心に大きな負担をかけ、やがてエネルギーを奪っていく。
重要なのは、「本音を言っても安全な場所」があることを知ること。そして、そこで少しずつ、自分の感情を言葉にする練習をすること。
今日の彼女は、その第一歩を踏み出した。まだ、これからの道は見えていないかもしれない。でも、「本音を言ってもいいんだ」という小さな気づきは、彼女にとって確かな光になるはずだ。