気楽に読んでください、呼吸のおはなし ~その81~

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本日もお読みくださり誠にありがとうございます。
昨日の記事を読んだ方は、「このブログの人って一体どんな人?大丈夫?」と思われたかも知れませんが、普段は割りと普通ですし、多分大丈夫です。歳を取るにつけても段々と落ち着いて来てもいますし。
昨日書いたような一触即発感を、根深い処に抱えながら生きているというだけで、ホントに普段は、至極普通の変わり者です。飛行機にも乗れますよ。
それにしましても、昨日は普段見慣れない用語がいっぱい出て来ましたね。
" ヒポコンドリー性基調 " " 森田療法 " " 心気症(しんきしょう) " " 書痙(しょけい) " " 斜頸(しゃけい) " " チック症状 " " ジストニア "
さあ皆さん、ググりましょう。
自意識過剰と百足(ムカデ)の例え話を皆さんはご存知でしょうか。
数え切れない程たくさんの足を見事に働かせて進むムカデが、「それにしても見事な足捌き、歩きっぷりですね、一体どうやってそんなにたくさんの足を器用に操れるんですか?」と誰かに質問された途端に足がもつれて歩けなくなる、というものです。
人間が緊張するとただ歩くにしても右手と右足・左手と左足が同時に出てしまったりしますよね。
良い所 " だけ " を見せようとすると、普段なら起こり得ないような反応を頭が体に起こさせてしまいます。
お稽古事の発表会を見学に行くと、まあ100%、見事にこのトラップを仕掛けるようなプログラムが組まれています。
キャリアが長くて慣れた人ほど持ち時間や演目が多くて、新しい人、成長の進捗が思わしくない(と評価されている)人ほど順番が先でちょっとしか出させてもらえないのです。
このようなことはきっと当の本人も怖気付いてしまって納得ずくなのでしょうが、本来であれば慣れない人ほど持ち時間を多く割いて、持ちネタ・演目が少ないのであれば同じものを二回でも三回でもやらせてあげるような工夫をして、少しでも素のその人が出せるチャンスと可能性を広げてあげるのが正しいやり方だと僕はいつも思ってしまいます。
表現するとは、良い所を見せることでは無くて、良い所も悪い所(じゃあ悪い所って一体何やねん、って話にもなりますが)も包み隠さず全部出してしまうことですから。
本人が開き直って、納得がいくまで何回でもやり直してやり直して段々と心身がこなれて柔らかくなって、出番が終わる頃には演者も聴衆もリラックスが進んで溶け合っている、そんなのが、発表会の正しい姿かと思います。
それでベテランはベテランらしく、発表会みたいなところでダラダラと長時間出ずっぱりにならないで、あなたこそ一発で凄いのを決めてあげてください。
こういうのを、真のピラミッド型と言います。
と、やっぱり変わり者の発想は可笑しいですかね、僕はあくまで大真面目ですけど。
突然ですが、重力は平等です。
この世の中、格差格差、格差ばかりが目に付いて、不公平だらけに思えてしまいますが、そんな中でも変え難く平等にもたらされている事象の一つが重力です。
どんなに自分では受け容れ難く納得出来ないことを体に心に抱え込んでいても、それらを一滴たりとも漏らさず逃さず全てを受け容れ引き受けてくれるのが他ならぬ重力というものです。
そこに、自分の努力が入り込む余地はこれっぽっちもありません。重力から逃れようとすれば、ロケットやなんかで圏外へ飛び出すしか無いのですから。
もしも自分の人生がガラクタの塊のように思えてならないような時があるなら、それでも結構、そのガラクタさえも自治体のルールも分別も必要無しに、重力は、この大地は、地球は、全てをそこに引き受けて乗せて支えてくれます。
預けるという意識、気付きがあればそれに越したことは無いですが、実際の話がそのようなものなど一切無くても、全ての人や物に完全に等しくもたらされている、それが重力という働きです。
ガラクタをガラクタと思い込んでいるのは本人だけで、受け入れる大地の方はそんなこと知ったこっちゃない、気にも留めていないでしょう、ちょっと寂しくもあり悔しく感じるかも知れませんが。
そう、それを、自意識過剰と言います。
長いこと呼吸と向き合って、それでも目覚ましい進化や自慢話など何一つありませんが、このような事は段々と分かって来ました。
良い格好をしない人ほど格好良い。
単なる聞き慣れたフレーズ、受け売りでは無く、これが実感です。
こうやって、これからの時代、新しい時代を築き切り拓いて行く独自の役割に、多くの人が其々に目覚めて行けたら何と素晴らしいことだろうと、それはそれは、本当に心の底からそう思います。

つづく
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