気楽に読んでください、呼吸のおはなし ~その82~

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皆様、いつもいつも本当にありがとうございます。
今回もどうぞ宜しくお願い致します。
昨日のラストにも書きましたが、このブログでご紹介しているようにあれこれと自意識による介入を一切せずに呼吸を感じるということを二~三十年も続けてみて、もしも自分の中で効率の良さそうな手順のようなものが芽生えて、そんなものに味を占めそうになる自分が居たなら何の未練も無く打ち消して、決まった形になどならないように取り組んだ結果、人様に自慢できるような業績や功績を残せているとはお世辞にも申せません。
以前に冷やかし半分で僕とのセッションを体験した人から、「これって、" マインドフルネス " ですよね?」と言われたことがありました。
" マインドフルネス " とは本来はある状態を指す言葉であって、何かの名前ではありません。ですが、あの時のあの人はきっと、ここ何年かですっかり一般的にも市民権を得た、心の健康を目的とした瞑想メソッドとしての「" マインドフルネス " ですよね?」と言ったようでした。つまり、以前にそれを体験した時の感じと、僕とのセッションで感じたものが似ていたということなんでしょう。
それで先ず、この人はどうせそのマインドフルネスもお試し程度に受けただけなんだろうと直ぐに分かりましたが、それはそれとしても、過去の何かと今を比べるような心の状態を、マインドフルネスとは言いません、残念ながら。
この人がもしその、お試しでマインドフルネス教室で体験した時にマインドフルネスになっていたのなら、余りの素晴らしさにそれを続けてるでしょう、簡単にはやめないでしょう、色んな情報を摘まみ食いするようなループからはその時を境に抜けられたでしょう。
今皆さんがよくご存じの " マインドフルネス " という " 名 " の、瞑想メソッドは、元々はお釈迦様から伝わる呼吸法や瞑想であることは、最近ではかなりバレてしまってますよね。鬱病などにも効く、現代社会・ビジネスその他諸々で疲弊した万人に向けてのメソッドに宗教色が出てしまっては色々とマズいということから、発信当初はそこは伏せられて来た経緯がありますが、もう隠し切れなくなったということでしょう。
こんな風に、本来はある状態を指す言葉を名前なんかにしてしまうと、マインドフルネスをやってマインドフルネスになれる人と、マインドフルネスをやってる筈なのにマインドフルネスになれない人が出るという奇妙なことが起きてしまいます。これは非常にややこしい。
きっと、マインドフルネスメソッドを指示通りにやった人が、その過程で何らかの好影響を受けて心の病が癒されることがあるのでしょうが、その人が覚りの境地に達するのかどうかはまた別問題のように思われます。
マインドフルネスとは本来古代のインドの言葉 " サティ " の英語訳で、もう殆ど " 覚り " の意味ですから。
このようにはっきりとしたインパクトのある名前を付けると瞬く間に広がって行く効果がありますが、それは名前の独り歩きを生み、希釈されたものを受け取る人も大勢出て来るという結果にも繋がります。
" 呼吸 " を、呼吸 " 法 " にしてしまう危うさを僕はそこに常に感じています。
呼吸に名前なんか要らない。
それで、話を元に、今日の記事のかなり上の方の続きに戻しますと、僕がやっている活動というのは、
「本当に大切なことは言葉を超えた処に在る」
ことを、嘘偽り誤魔化し無く伝えようと奮闘を続けていると言ったところでしょうか。
説明よりも大切な何か、ただそこに居るだけというその佇まいの中に籠められずには居れない何か。
背骨や骨盤から発散するメッセージを携えて、毎日を変わり者として普通に暮らしてみる、ということをやっているのです。
気付く人は気付く、そこに本当のご縁が生まれる、そんな希少な瞬間瞬間を、より大切にしたいと願っています。
それで明日は、その、佇まいから発散するメッセージに関して、もう少し違った形でお伝えしてみようかと思っています。

つづく

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