不完全な世界で、完璧を追い求めるということ

不完全な世界で、完璧を追い求めるということ

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コラム
 人間世界は「不完全さ」でできている。不完全だからこそ、人は互いの欠損を埋め合うように許し、恋をし、愛し合う。
 かつて蒼俊もそのように考えた。その想いは今も変わらない。
 しかし、声優・小林清志=次元大介の生涯や、彼が魂を吹き込んだ次元の生き方を観るとき、そこには紛れもない「プロフェッショナル」の気概と矜持、すなわち完璧を追い求める職人魂が光っている。

不完全な世界と、完璧主義。

 この二つは一見すると、激しく矛盾しているように思える。
 だが、小林さんの完璧主義の輪郭をなぞっていくうちに、一つの答えに突き当たった。
 彼の完璧主義は、決して他者に完璧を強いるような冷酷なものではなかった。それは、どこまでも「自分に厳しく、他人に優しい」という、江戸っ子らしい粋な美学に裏打ちされたものだったのだ。
 マイクの位置にミリ単位でこだわり、腹筋を鍛え続けたのは、自分自身の仕事に対する絶対的な責任感からである。
 世界や他者の不完全さを優しく包み込みながらも、自分の背中だけは、矜持を持って真っ直ぐに伸ばし続ける。
 それこそが、彼の言うプロフェッショナルだったのではないか。

 翻って、私の座右の銘を考える。

「プロフェッショナルとは、常に高みを目指し努力する人。『完璧にできた』と思えることはないだろうが、それでも愚直に努力を続ける人」。

 これは、どこか遠くの誰かを評価するための物差しではない。
 過去から現在、そしてこれから先へと続いていく、現在進行形の「自分自身」に向けられた決意の言葉である。

 私たちは誰もが「不完全な存在」としてこの世に生まれ、時に失敗し、葛藤しながら生きている。
 過去の不完全な自分を振り返れば、恥じることも、悔やむこともあるかもしれない。
 しかし「完璧にできたと思える日など来ない」と知っていながらも、今日より明日、明日より未来へと、愚直に歩みを進めること。そのプロセス自体にこそ、人間の本質的な美しさが宿る。

 世界は不完全でいい。だからこそ愛おしい。しかし、その不完全な世界をスマートに、そして凛として生き抜くために、自分だけの「武器」としての矜持を持ちたい。
 小林清志という一人の役者がその声と背中で示したように、私もまた、自分自身に対してだけは、どこまでも愚直に、高みを目指し続けるプロフェッショナルでありたいと思うのだ。

                         沙門蒼俊   合掌

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