不完全な世界を生きるための、不完全な私たちの雑感

不完全な世界を生きるための、不完全な私たちの雑感

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コラム
 日々の生活の中で、私たちは気づかないうちに自分自身へ高いハードルを課してしまうことがあります。「これくらいできなければいけない」という「べき思考」。
 精神医学や心理学の分野では、こうした心の傾きを「認知の歪み」と呼ぶことがあります。
 自分に対してあまりにも厳しすぎるその姿勢は、時に生きづらさの根源となってしまいます。
 こうした完璧主義的な傾向は、実は幼少期の体験が大きく影響している場合が少なくありません。
 多くの場合、私たちは育ってきた家庭環境や家族の姿を無意識のうちにトレース(模倣)しています。
 周囲の大人が上手に息を抜く姿、つまり「力の抜きどころ」を知っている環境で育てば、自然と自分を許せるようになります。しかし、常に完璧を求められる環境に身を置いていると、心には見えない緊張が根づいてしまうのです。 
 人間である限り、あるいは動物である限り、私たちは誰もが「悔しさ」という感情を持っています。
 ただ、完璧主義と呼ばれる方々を見つめていると、この「悔しさ」と「切り替えの不器用さ」には強い相関関係があるように感じられます。
 悔しいという感情の波に飲まれ、なかなか次へ進めない。だからこそ、今まさに自分が負けている、あるいは立ち止まっているという現状を客観的に自認し、そのまま受け入れていく「メタ認知」の視点がとても大切になります。

 そもそも、この世界は本当に完璧に作られているのでしょうか。
 古くから語られる神話や哲学においても、例えば神様が世界を完璧に創り上げたはずなのに、なぜ悪や不完全なものが存在するのかという問いが繰り返されてきました。
 私たちが生きているこの世界は、常に「現在進行形」です。変化し続けているということ自体が、まだ未完成であり、不完全であることの証明なのかもしれません。
 私たちが信じている学問や社会の仕組みも同様です。精神医学の世界でさえ、確固たる正解が一つあるわけではなく、時代に合わせて現在進行形で変わり続けています。
 近年の脳科学やAI(人工知能)の進化は、私たちの「自分」という概念そのものを揺るがし、再定義を迫っています。
 不完全な私たちが、不完全なシステムをアップデートし続けているのが現実なのです。何かがうまくいかなかったとき、障害やミス、失敗に直面すると、私たちは深く落ち込んでしまいます。
 しかし、私たちが思っている以上に、世間は他人の失敗をそこまで凝視してはいません。

 考えてみれば、その不完全さにこそ、人間らしさの本質が隠されているのかもしれません。
 完璧ではないからこそ、お互いの欠点を補い合い、長所を尊び、恋をして、深く愛し合うことができる。
 そうした不完全な心の揺らぎこそが、人生を彩るいちばん美しい調律なのだと感じます。
 完璧ではない世界で、完璧ではない私たちが、現在進行形の変化を楽しんでいく。それくらいの心の余白を持つことが、現代を健やかに生きるための「抜きどころ」なのかもしれません。

                           沙門蒼俊  合掌
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