不老社会の幻想と、自我が求める本当の幸せ

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【α世代の過半、人生100年超】
“人類の平均寿命は医療技術の発展や生活環境の改善で、延びてきた。それでも寿命の限界は120歳程度だといわれてきた。老化抑制を研究する東京理科大学の早野元詞准教授は「技術の進展で壁を越える可能性は高まっている」とみる。”
タイトルのα世代の過半、人生100年超というデータ予測から考えて書かれた本がリンダ・グラッドンさんの『ライフシフト(LIFESHIFT)』です。
当時、この本を読んだ時は目を覚まされたかのような衝撃を受けましたが、果たしてそれはいつの話しになるでしょうか。
120歳の歳というのは還暦を2回むかえるということで大還暦というそうですが、周期的なところも含めて「寿命の限界」ということでしょう。
実際の平均寿命は74年後の2100年でもぐっと下がるようです。
“国連によるとα世代が高齢者になる2100年には日本人の女性の平均寿命は97歳、男性は91歳と今より約10歳ずつ延びる。米殴研究機関によれば2007年に日本で生まれた子の半数は107歳より長く生きる。関東学院大学の島澤論教授は「寿命が伸びれば、その分働き続けないと生活できなくなる」と語る。”
国連の研究結果では日本人の平均寿命は100歳にも達していません。米殴の研究機関というのがどこの研究機関をさすのかわかりませんが、2007年に生まれた人はZ世代なのではないでしょうか?
名前入りの教授を出してきてはいますが、教授が言及しているのは平均寿命のことではなく、働き続ける生活面についてです。ここには何かロジックを組み入れているように思います。
気になったのは次の部分です。
“2010年以降に生まれたα(アルファ)世代は、人類が老いを制御する「不老社会」を生きる初めての世代になる。肉体の限界を突破するサイボーグの時代も現実味を帯びる。”
サイボーグといえば聞こえは良いですが、これは延命治療の進化版なのではないでしょうか。それをもって100歳を超すとは何か想像の域をでないです。
だからなのかこの筆者も次のように書いています。
“人類は「不老」を追い求めてきた。長く生きれば、家族や友人との時間を多く楽しめる。研究や創作に使う時間も増える。だが、長すぎる人生は幸せなのか。”
人類は本当に「不老」を追い求めてきたのでしょうか。ただ「死なないでいる」という消極的自我が芽生えてしまっているからではないでしょうか。
自我という自分を消すことが幸せなら死が幸せに近づくという相反することになります。自我がそれをさせないために。
そういう動画を最近見てハッとしたのですが、私は人類は「自我」の幸せを求めています。そこにこそ価値をつくりだせる。それが人だと思いますから。
戻って、データを元にすれば人類は100歳までを起点に何もかも設計すれば良いということだと思います。昔はそれがわからなかったけど、今はそれがわかるようになった。
サイボーグの時代になってしまったら、死ぬことが嫌になりすぎて、寿命の極限にまでいかないと死ねないということが起きるのでしょうか。
その回りにはロボットがたくさんいるという笑えないディストピアを思ってしまいました。
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