おはようございます、こんにちは、そしてこんばんは。
40代ビューティーアドバイザーななです^ ^。
あっという間に40代後半に入り、「いろんなことがあったなぁ〜」と感慨深くなりつつ、いえいえ、「まだまだいける!」
とこれから本格的にやってくるであろう更年期を目の前に、これまでの自分のダイエットヒストリーをまとめてみました。
少々長くなりますが、是非、最後までご覧くださいませ。
子どもの頃から太りやすい体質
母親が身長150cm、体重70kgだったということもあり、子どもの頃から太りやすい体質だった私は、常に、両親から食べすぎないように、注意されていました。
(父親は標準体重でした若い頃は太っていたらしく、「糖尿病」になってから厳しい食事制限をしていました。つまり太りやすい遺伝を両親から引き継いだということですね…)。
まず3度の食事はおかわりはなし。他の兄弟と同じように、「おかわり!」と言っても、「あなたはダメ」と言われるのが常。
「なんで?」「なんで私だけダメなの?」と、「あなたは…」の表現に、子どもながら「差別」っぽさを感じたのを覚えています。
今思えば、母親は、「女の子が太ったら周りから馬鹿にされて可哀想な思いをする。自分が子どもの頃、『でーぶ、でーぶ、ひゃっかんで~ぶ~』とからかわれていたのを思い出してのことだったのでしょう。娘に同じ思いをさせたくなかったのだと思います。
まぁ、当時の私はそんなことはこれっぽっちも思わず、「え~、なんでぇ~、食べたい~!」と親の目を盗んでは、ご飯(ご飯だけは常にあったので…)を食べていました。
そんなこんなで小学校に入り、体育の時間に体操着に着替えることになりました。
体操着は半袖、短パン。この短パンを履いた瞬間、自分の足の太さに初めて気づくことになります。
「短パンと太ももに隙間がない…😨」
周りの友達の姿を見ると、短パンの間にゆとりがあるではありませんか!
「もしかして、自分はおデブ???」
と子どもながら自分の体を気にするようになりました。
それ以降、体育の時間がある日はいつも憂鬱でした。
「なんで、短パンを履かなきゃいけないんだろう?」と思う日々。
身体測定の日も嫌でたまりませんでした。
高校時代
小学校、中学校と、「おデブ」まではいかないものの、決して「細い部類」には入らなかったワタシ。
脂肪細胞が決まるとされていたこの思春期に、「どれだけ脂肪細胞を増やさすに健康に過ごすか?」が大事なのだと、後になって知ることになり、
16歳の頃、「あ~、知っていればなぁ~」と思いながら、思春期特有の食欲と戦いながらなんとか体型維持をしていました。
そんな中でもやはり、太りやすい体質のワタシは、春の身体測定で、初めて大台に乗っていたのを知ることになります。
身長:149cm
体重:54kg
クラスの写真に映った自分の顔も「パンパン!」
「しえーっ😱!」
ということで、真剣にダイエットを取り組みことになりました。
ダイエット法は夕食を抜く方法を摂りました。
1ヶ月で-3kgの減量に成功。
その時は嬉しかったです!が、その後は、それ以上痩せることはありませんでした。
「運動」という運動もせず、といいますか、「運動」の考えもなく、学校の体育の時間と通学で自転車を使うだけ…。
体重は50kgを行ったりきたり…。
食べすぎた次の日は、「控える」を意識していただけでした。
まあ、可もなく不可もなくというところだったでしょうか。ダイエットの専門知識のない10代の女子高生が素人感覚でやった結果ですから、無難な結果といえるでしょう。
大学時代
大学時代は、レンタルショップのバイトをしていました。週5日、ほぼ夕方から夜中までの勤務だったので、「しっかりとした夕食」というものを食べていなかったせいか、大学3年の頃は、自然と体重が減っていました。47kg前後だったと思います。
この時、実感したのは、「食事を減らす=痩せる」でした。
「食べない」が「痩せる・美しくなる」の唯一の方法だと思っていました。
また、当時好きな人ができて、その男性の好きな女性のタイプが、「細い人!」だったのです!
う”っ!!
当時のワタシの身長150cm、体重46kg。
決して太ってはいないものの、思いっきり痩せている方でもない…。
大好きなH君に尋ねてみると、「細ければ細いほどいい」らしく、
「どうやったら痩せるのかしら?」と思いつつ、「これ以上、絶対に太っちゃいけない!」と思うので精一杯でした。
大学院時代
そんなこんなで就職活動をする時期になりました。
当時は就職超氷河期。自分のしたい仕事に少しでも関わりのある企業なのでは?と思えば、どこでもリクルートスーツを着て飛んでいき、複数もの面接を受けては落ちるが常の時代でした。
つまり、就職したい若者 > 採用したい企業 だったのです。
ワタシはといいますと、「もう少し、好きな英語をしていたいなぁ」と贅沢な思いを抱いていました。
その頃、通っていた大学で大学院を設立するという噂を聞き、早速、そちらに願書を提出、一応、形だけの試験を受け、そのまま学生を続けることになりました。
大学院時代の勉強は思っていた以上に忙しく、そこにレンタルビデオショップのバイトも続けていたため、不眠不休の日々が続いていました。
・6時〜 起床、授業の予習
・9時~ 学校へ
・10時~ 授業
・~16時 帰宅
・20時~ バイト
・25時 バイト終了
・~27時 授業の復習、就寝
平均睡眠時間:3時間
食事:まばら
運動:なし
こんな日々を続けて3ヶ月…。
体重は40kgまで落ちていました。
初めての40kg…。驚いたと同時に、「嬉しさ」がありました。
初めて「細い人」になったからです。
大学院生になって3ヶ月目、23歳の時でした。
^o^ ^o^ ^o^ ^o^ ^o^ ^o^ ^o^
しかし、その後、厳しい毎日が待っていたのです。
体重が一気に落ちてしまったワタシは、何をするにも疲れるようになっていました。
バイト、勉強はおろか、普通の生活にも支障をきたしていたのです。
睡眠は浅く、常にぼーっとした状態。
着替えるのもやっとのことで、お洒落に気を使うこともできなくなっていました。
食事は固形物ではなく、水分を多く摂っていました。
階段を登るのもやっとのこと。何をするにも疲れを感じ、学校もさぼるようになっていました。
1日の大半は布団の中。生理も止まってしまいました。
20代にもかかわらず、お肌も荒れていました。
その反面、学校の課題は山積みでしたが、何をする気も起きませんでした。
「やばい。なんとかしなければ」と、真剣に考えるようになりました。
特に大変だったのは、メンタル面でした。
何事も「マイナス」にとらえるようになっていました。
バイトの際、自分のレジに並んでいたお客さんが急に他のレジに移動すると、「ワタシのことが嫌なのかな?」と。
そうこうしているうちに、「夏休み」に入りました。
朝の時間に余裕ができたワタシは、まずは基本的な生活リズムを取り戻すことにしたのです。
○朝食後、胃の消化が落ち着いてから課題に取り組む。
○バイトは週2に減らし、時間にゆとりをもたらせる
○1日3食を心がける
2ヶ月の夏休みが終わり、時間と気持ちに余裕が出てきたワタシは、勉強にも集中できるようになり、バイトも回数を増やすことができるようになっていました。
それと同時に、体重もすっかり戻っていました。
戻る…いやいや、それ以上に着々と増え始めたのです!
わわわっー😰。
そうです、全く運動をせずに痩せ、運動をせずに食事の量を増やしたため「リバウンド」が始まっていたのです。
「なんだか太もも辺りがパンパンする、腕も太くなってきたような気がする…」と自分の太り始めの感覚を知っていたワタシは、すぐに夕食を調整することにしました。
今度はやりすぎないように…。
身長150cm、体重46kg。
まあまあ、なんとか体重を戻すことができました。
24歳の春頃でした。
この頃はまだ、運動をしてませんでした。
社会人時代
大学院を卒業し、ようやく25歳で社会人として働くことになりました。
仕事は中程度レベルの動き。体を動かす機会が多かったので、暴飲暴食をしなければ、「太る」ことはありませんでした。
年齢が33歳を過ぎ始めた、仕事用のゴム付きズボンが見つからず、久しぶりにジーンズを履きました。
「ん?なんかキツい。チャックがしまりずらい」
おそるおそる体重を測ってみると~
「54kg」
やっばーい😱😱😱!!
食べる量も増えているわけでもなく、体を動かすことも変わりなく…。
特に「太る」要因は思い浮かびません。
ふと、ある記事を思い出しました。
「女性は35歳頃を境目に、美しさを保った女性のままか、おばさん化するか…のどちらかになる」
個人差はあるものの、基礎代謝がおち顔にシミ、シワができやすくなるおばさん時代に突入したのです!
「はー、いよいよきたか…😓」
と最初は落ち込みました。が!
そんなこと言っている場合ではありません!
行動を起こさないと何も変わらない!
ということで、またまた「ダイエット」を始めることにしました。
過去の苦い経験から、「食事だけのダイエット」は絶対にできない。
食事だけでは痩せた体は「維持」できない。
うーん🤔 🤔 🤔 🤔 🤔 🤔。
必要なのは、「運動…か」
よし!やってみよう!
ダイエットに初めて「運動」を取り入れることになりました。
今から13年前のことです。
運動…って何をすればいいの?
この頃、話題のトレーニング法がありました。
「加圧トレーニング」です。
杉本彩さんや藤原紀香さんなど、芸能人が続々とやり始めていた頃でした。
今でもそうですが、加圧トレーニングは単価が高くて(30分のパーソナルレッスン → 低料金4500円~)頻繁に通えるものではありません。
「高い。でもやってみたいなぁ」と、いろいろ調べてみるうちに、講習を受けて専用ベルトを購入すれば「自分で」できるようになることを知りました。
早速、地元で加圧トレーニングのパイオニアと呼ばれるトレーナーに会いに行き、講習を受けてベルトを購入。
その後、自宅トレ開始から1ヶ月後。体重を測ってみました。
変化なし。
「なんで?痩せないの?」と落ち込むワタシ。
10万円もした加圧ベルトですもの。そうそう簡単には諦めるわけにはいけません。
ネットで「加圧トレーニング 〇〇市」と検索し、加圧トレーニング専門のジム探しをしました(最初のトレーナーは怪しい雰囲気を醸していたので、最初から頭にありませんでした)。
2つ目のジムでは加圧トレーニングはもちろんのこと、食事内容や身体の仕組み、効果的な運動のタイミング、方法などいろいろ教えてくれました。
ダイエットはただ運動するだけではダメ。「身体の仕組みとは?」「太りやすい食べ方は?」をしっかりと教えてくれました。
ダイエットは
・カロリーコントロールだけでもダメ
・食事制限だけしてもダメ
・運動を一使用懸命しただけでもダメ
つまり、一辺倒のやり方では「ダメ」ということです。
自分の身体(身長、体重、BMI、基礎代謝量、活動代謝量)を定期的に調べて把握し、理想の姿になるためには、「何をすべきか?」的確な方法を考える。
今日は、自分の食べたものは何か?摂取したカロリーは?どれだけ運動したか?運動した種類は?
など、総合的に取り組みことで「理想の姿」に近づくのだと教えてくれました。
トレーニングでゲットした体型は永遠のものではなく、絶えず、意識していかなければならないものだと…。
ここのトレーナーはトレーニング中、ぼやいていた人でした。
ぼやきその1
「イラつくんすよ。『(問い合わせしてきた若い女の子の真似声で)2ヶ月で10kgとか痩せますかぁ~?』って言う電話が来るんですけどー、そんな簡単なもんじゃねえよって思いますよ…ったく」
(ーー;)
ぼやきその2
「『食べたい物を我慢していて、お腹が空いて仕方がないんです。死ぬかもしれないって思いますぅ~』って言うお客さんいるんですけど、そんなわけないだろって思いますよ。お腹の肉が掴めるうちは死なない。そんな簡単には人は死にませんね」
( ̄O ̄;)
と、かなりキョーレツにぼやいていました。でも、このぼやきが良くも悪くも、身体作りの原動力になっていたのです。
人間の体はヤワではない!
そんなこんなで肉体改造から半年、加圧トレーニング(無酸素運動)は週に1回、ランニング(有酸素運動)は毎日30分つづけ、食事は野菜やスープ類から摂取し、重い主食は最後に摂ることを心がけていました。
1年も過ぎた頃、体重は46kgに戻っていました。
食事だけのダイエットより時間がかかりましたが、その後リバウンドをすることはありませんでした。
「太りにくい体質」になったのです!
やったぁ~🤗 🤗 🤗 🤗 🤗 🤗 🤗
痩せた姿をキープし続けてこそ、「ダイエット成功」になるのです。
その後は「ダイエット」をしている感覚はなくなりました。
「食べる=我慢」の意識がなくなっていました。
借金返済のために4つの仕事を掛け持ちした時代
加圧トレーニングと食事管理をし始めてから約8年…。
年齢も41歳になり、数字的には「おばさん」ですが、体は筋肉と脂肪のバランスがとれた状態になっていました。
生理の前は気分のムラがあっても、気持ちで乗り切れていたのは、自分の体に必要な食事と運動の賜物といえました。
と、そんな時、思いもよらむ事件が起きました。
当時、仲良くしていた友人から「お金を貸して欲しい」と懇願されたのです。
話を聞くと、「ちょっとしたきっかけでギャンブルに手を出してしまい、その肩代わりをして欲しい」とのこと。
金額を聞くと、表情が😱となってしまうほどの数字!
「そんなお金はないの」と一旦、断りましたが、その後、何度も何度もお願いされ、
仕方なしに貸すことにしてしまったのです!
それが運の尽き…。
借用書を書いてもらい、「月々○○○○○○円」と返済金額を決めながらも、約束通り手元に来たのは最初の1回だけ。
貸したお金は、金融機関から借りたものでした。必ず、毎月の返済日までに返さなければなりません。
それを!ほとんど自分1人だけで返さなければならなくなったのです!!
😣 😣 😣 😣 😣 😣 😣
眠れない日々が続くようになりました…。
食欲もなくなり、全く食べない日も多くなってきました…。
いつも何かに追われているような恐怖を感じ、頭の中は「お金」のことでいっぱい。
メインの仕事だけでは足りず、副業を始めることにしました。
喫茶カフェ、クラブ、塾の先生、レストラン、文字うちのバイト…etc。
メインの仕事は7時~20時の変則シフト制の仕事だったので、その隙間をぬっての副業でした。
最高で4つの仕事をかけもっていたこともありました。
休日などあるはずがありません。
そんな生活を続けている中で、体は確実に危険サインを出していました。
後で知ることになるのですが、「自律神経」が乱れ、「うつ症状」が出ていたのです。
ですが、ワタシ本は「借金返済」のことで頭がいっぱいで、危険サインを感じることができませんでした。
その一方で、「頑張って作り上げた『体型』は少しも崩したくない!」
と、労働で忙しい日々中で、2つのジムに通い、無酸素運動も有酸素運動もこなしていたのです。
つまり、1つは加圧トレーニング専門ジム、もう1つはランニングをするためのジムです。
この時点で体の異変に気づいていたはずなのに、それを認めることができない自分も存在し、実際の体とそうでありたい体が一致せず、「無理な運動」を強いていたのだと、今、断言できます。
『カロリー管理や決まった運動をしてさえいれば、体が醜くなることはない』といった呪文のような考え。
心身ともに病気の状態で運動をしても、良い効果なんてあるわけないのに…です。
4つの仕事を掛け持ちし始めてから、半年くらいが経ち…。
体に明確な異変が出ていました。
「体が動かない…」
朝、起きて仕事に行かなければならないのに、布団から起き上がることができないのです。
ようやく自分の体の異常を受け入れることをしたワタシは、副業を止めることにしました。
ですが、
副業を辞めても、体調はすぐには戻ることはありませんでした。
また、長く苦しい日々が続くことになるのです。
それも今回は、1回目よりもひどい状況が続きました。
細胞の回復に力を貸してくれる「若さ」がなかったからです。
もしかして更年期?
借金返済が始まってから約3年が過ぎ、完済日がもうすぐそこまで来ていました。
「ようやく、この不安と苦しみから逃れられる…」
と心にゆとりが出てきていました。
ですが、なぜか体が重い。
いつものように週に一度、加圧トレーニングのジムに行きたいのに、体が動かない。
副業をしている時でさえ、週一の加圧トレーニングと週4~5のランニングは続けていました。
時間に余裕ができているにもかかわらず、トレーニングに行く気になれない。
トレーニングをドタキャンする日が出てきてしまいました。
丁寧に教えてくれた優しいトレーナーだったのに、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
加圧トレーニングは一旦お休みすることにしました。また、ランニングは気分のむいた時にだけするようになっていました。
心のどこかで、「こんなんでせっかく築いた体型を失ってしまわないかしら?」と不安が募っていました。
ですが、やはりここでも10年以上の筋トレとランニングの効果が功を奏してくれ、恐れていた「リバウンド」は出ませんでした…。
すごいぞ!ダイエットの強い味方!「筋トレ+ランニング」
もちろん、食事管理も重要であることは言わずもがなです!
どのような食事でどれだけの量を摂るか?どうやって食べるか?
摂取した食物に対し、どのような運動をすれば脂肪が体内に蓄積されずにすむか?
を考えながら、1日を過ごしていくことの重要性を心の底から思い知らされました。
40代後半に入り、「更年期」の文字も脳裏をかすめるようになっていました。
生理の影響でしょうか?月の半分は体調に良し悪しを感じる時があります。
そんな時は、鉄分を多めに摂ったり、ランニング時間を短くしたり、筋トレの内容を緩めたり、大好きなチョコレートをちょっとだけ多めに食べたり、睡眠時間を増やしたり…と創意工夫が大事なのです。
また、45歳になり、ピラティスも取り入れることにしました。
ピラティスは骨格を意識し体幹を整えるエクササイズ。
呼吸法を取り入れているので「呼吸の浅いワタシには必要だ!」と実感しました。
猫背と反り腰改善にはもってこいの運動です。
46歳の今、ダイエットを最も頑張っていた頃より運動量は減ってしまいましたが、同時に食事の量も減り、ピラティスも取り入れて、太らない体を維持しています。
ダイエットに成功、美しい体型を維持することで大事なことは、
・自分の体に合った食事と運動をすること
・加齢とともに変化する身体の状態を、その都度把握すること
半世紀に渡る経験から確実にいえることです。
理想と現実の間で悩んでいる40代女性、健康で美しいボディを一緒にゲットしましょう!
最後までお読みくださり、ありがとうございました!!