一般論はタダで安心をくれる

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一般論という麻酔
世界のことがよく分からないとき、人はまず落ち着きたくなる。
そのために使われやすいのが「一般論」です。



普通はこう。
だいたいこう。
みんなそう。



この言葉は、理解というより「安心するための薬」に近いと感じます。
不安を止めて、早く結論を出せる。


でも同時に、見えるはずのものを見えなくもする。

それでも「見なくていいから楽」と感じることはある。



一般論は、現実を見る前に「型」に押し込みます。
すると考える手間は減り、現実の細かい部分は消えていきます。



自分だけの世界で終わるなら、それでもいいと思います。


でも自分が安心したいとき、

多くの人は他人にもそれを当てはめる。



普通はこうするべき。
それが正しい。



この言葉は、自分を落ち着かせる呪文であると同時に、

相手の事情を切り捨てる刃にもなる。


相手の背景、タイミング、体調、関係性。


そういう「その人だけの事情」を読む前に、

答えを決めてしまうからだ。



たとえば健康の話。



運動しろ。
甘いものはだめ。
睡眠が大事。

言っていること自体は正しいことも多い。


でも問題は「今の自分」に合っているかを飛ばす瞬間だ。

疲れ切っている人に、さらに運動を足す。
ストレスで胃が弱っている人に、正しさだけを追加する。


すると体の声より「守れたかどうか」で安心しようとして、生活がしんどくなる。
健康のためのはずが、正しさのためになってしまう。



一般論が悪いわけじゃない。
便利な地図みたいなものだ。


ただし地図は地図であって、現実そのものではない。

地図だけ見て歩くと、目の前の段差につまずく。


一般論だけで生きると、目の前の自分や相手を見失う。



じゃあ、それをやめれば楽になるのかと言われれば、
「いえ、逆にキツくなることもあります」



世界がはっきり見える。
でもはっきり見える世界は、気持ちよいだけじゃない。
答えが出ない場面も増えるし、割り切れないことも増える。



一般論や常識は、迷わないための近道になります。


でも近道ばかり歩くと、どこへ行きたいのかを忘れる。



正しい食事。

正しい働き方。

正しい恋愛。


それに合わせているうちに、
自分の疲れや、怒りや、寂しさや、

ほんとは欲しいものが、分からなくなっていく。




いまの自分は、何に合わせて生きているか。
そして、自分は本当は何が欲しいのか。


いまの自分は、何に合わせて決めているか。
安心のためか、正しさのためか、それとも自分の感覚のためか。
それを知るのは大切だと感じます。
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