予言します──今の自分が未来を作っています

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最近、「予言は多くの人に知られると外れる」という話を聞きました。

だから7月の予言は外れたのだそうです。

外れた理由を「多くの人が知ったから」と説明できるなら、

予言は、最初から間違うことを想定した、とても安全な商品になりますね。



外れたことで怒っている人もいましたが、



そもそも予知や予言というものは、

当たるか外れるかを真剣に引き受ける前に、

軽く消費される話だったはずです。



その人の夢の話として聞き、

どこかで楽しんで受け取っていた。



それが、外れた途端に

「許せない話」に変わる。





予言を信じた理由は、

先の不安だけではありません。



それ以上に、自分は知っている側にいる、

という立場に立てることです。



信憑性がありそうに紹介された予言を知れたら、

その瞬間から、まだ何も知らない、気づいていない人たちから

距離を取ることができます。



「私は分かっている」

「備えている」

「選ばれた側だ」



この立場は、安心と同時に、

自分は間違っていない、という感覚を与えてくれます。



ここで言う「備え」とは、

本当に生き延びるための準備というより、

自分はちゃんと考えている側だ、

という位置に立つための小さな証明であることがほとんどです。



水や食料を買う。

情報を追いかける。

外れてよかったね、と言って満足する。



それ自体は、

楽しみとして消費しているだけなら、

何の問題もありません。

備えも無駄にはならないでしょう。



ただ、もし怒りが出たとしたら、

その怒りはどこに向いているでしょう。



「騙された」

「無責任だ」

「許せない」



その怒りは、正義の顔をしていますが、

とても都合のいい防衛反応でもあります。



相手を責めている間だけは、

自分がなぜ信じたのか、

自分の判断がどうだったのかを

見なくて済むからです。



信じる前は、

分かっている側。



外れた後は、

被害者。



こうして、

どちらに転んでも自分は正しい。

正しいから、いつも繰り返す。



予言は、当たらなくても消費され続ける娯楽です。



その娯楽に、

安心したかったのか。

特別でありたかったのか。

退屈な日常に意味を与えたかったのか。



そこを見ない限り、

予言は形を変えて現れます。



別の予言。

別の陰謀。

別の正義。



何を信じるかが変わっても、信じ方は変わらない。



予言を信じること自体は、自由です。



けれど、それに振り回され続ければ、

人生の主体性は失われていきます。



予言は、未来を当てるものではありません。



今のあなたが、

何に不安を感じ、

どんな立場に立ちたがり、

何を誰かに委ねたくなっているのか。



それを映しているだけです。





年末なので、来年の予言が多く出てくるでしょう。



でも未来を作るのは、予言でも、誰かの言葉でもありません。



今の自分が、何を信じ、どこに責任を置き、

どう振る舞っているか。



それが、そのまま未来を作っています。
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