ふたりで壊す、ひとりの正しさ

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娘:私、結婚しようと思ってるの。

母:じゃあ、彼が家事をしなくても、根気よく教えられるわね。

娘:…なんで私が我慢しなきゃいけないの?

母:それを我慢としか思えないうちは、たぶん結婚も子育ても、まだ早いわ。







息子:俺、結婚しようと思う。

父:じゃあ、俺に謝れ。

息子:は?なんで?

父:理由がなきゃ謝れないなら、まだ結婚は早いってことだ。





結婚とは、「正しさを証明する場所」ではありません。

これまでの家庭で身につけた正解を、

一度置いて、二人であらためて関係を育てていく営みです。



恋愛も、家族も、夫婦も──

どれもこれまでの正しさは邪魔になることも多くあります。



でも、多くの人が無意識に、

「私の方が正しい」ことを証明しようとする。

その瞬間、関係は「小さな戦争」に変わってしまうのです。



関係に勝ち負けはありません。

どちらかが勝てば、どちらも傷つく。

勝つか、共に壊れるか。それだけです。





「この関係を育てたいのか? 続けたいのか?」

ときに自分の正しさを降ろせるかが試されているのだと思います。





パートナーシップは、「自分をどう扱っているか」を映し出す鏡でもあります。



期待して、裏切られて、傷ついて、

「なんで私ばっかり」「なんで俺が謝らなきゃいけないんだ」と思う。



けれど、そう感じている間はまだ、

相手のせいで自分の感情が決まっているという状態から抜け出せていないのかもしれません。





本当に成熟した関係とは、

「謝る」という行為が我慢ではなく、選択に変わったときに始まります。



我慢は感情を飲み込んで、内側で腐っていく。

でも選択は、意志を持って手放すことだから、信頼へと循環していきます。



譲ったその先に、相手への理解があるなら、

それは敗北と感じることなく、選択の幅が広がっていきます。





誰かと暮らすというのは、常にズレの中で過ごすということ。

完全な一致も、永遠の調和もありません。



だからこそ、ときに「ごめんね」と、笑って言える人こそが、

ほんとうは一番強くて、優しいのだと思います。



そういう人は、必要であれば去ることも選べる。

関係にすがらない強さがあるから、

相手を縛らず、同時に自分も縛られないでいられるのです。





人はよく、「理由もなく謝るのは負けだ」と思います。

でもほんとうに問われているのは、正しさじゃない。



「この関係をどう生きていきたいか」

「私は、いま、誰と一緒にいたいのか」

それだけです。





理由なく謝れるか? 理由なく受け止められるか?

それができるとき、関係は交渉ではなく、対話です。



そこに、愛が流れ始めると思います。
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