自由のもうひとつのことば……愛 後編

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インドの神秘家

和尚OSHO講話集より抜粋

以下はOSHO.comよりの転載です





前編より続く



私は「愛するときには、自由を与えよ」

と言ったのではない

いいや、私が言ったのは

「愛は自由だ」ということだ



それは与えるという問題ではない

与えねばならないのなら

与えないほうがいい



他のみんなと同じようにやりなさい

なぜわけもなく複雑にするのか? 

ただ普通にしているだけで充分だ



あなたの愛そのものが

その一部に自由の質を備えるようになったら

恋人はあなたに許しを求める必要すらなくなる



実際、もし私があなたの立場で

恋人が私の許しを求めたなら

私は傷ついてしまう

それは彼女が

私の愛を信頼していないことを意味しているからだ



私の愛は自由だ

私は彼女を愛してきた

それは彼女がほかの誰かと一緒に笑い

ほかの誰かと一緒に踊り

ほかの誰かを愛することができないように

すべての扉や窓を閉ざさねばならない

ということを意味するのではない



なぜなら、私たちは何者だろう?



これは誰もが訊ねなければならない

基本的な問いだ

私は何者なのか? 



私たちはみな異邦人であり

自信たっぷりに

「お前に自由を与えよう」と

「私を愛するなら、ほかの誰かを愛してはいけない」

とかいったことを言う



どんな根拠があるというのか? 



そういったものは

愚かなでしゃばりにすぎない

、それが人間たちを

太古の昔から支配してきた

私たちはいまだに野蛮だ

私たちはいまだに愛とはなんなのかを知らない



もし誰かを愛するなら

私は、その人が私の愛を許してくれたことを感謝する

それを拒絶しなかったことを感謝する

それで充分だ



が、私は

彼女を牢獄に閉じ込めるようなことはしない



彼女が私を愛してくれたので

私はそのお返しとして

彼女のまわりに牢獄を作り出す

私たちは互いにたいした見返りを与えあっているものだ!



もし私が誰かを愛するなら

私は感謝するだけで

彼女の自由は手つかづのままだ

それは私によって与えられたものではない



それは彼女の生得権であり

私の愛がそれを奪うことはできない

どうして愛が誰かの自由を

とりわけ、あなたが愛している人の

自由を奪うことができるだろう? 



それは彼女の生得権だ



「私は彼女に自由を与える」

と言うことすらできない



まず第一にあなたは何者か?

単なる異邦人だ

あなた方ふたりは路上で

たまたま偶然に出会い

彼女はあなたの愛を謹んで受け入れた



ただ感謝して

彼女が自分の生きたいように

生きることを許し

あなたも自分が生きたいように生きるがいい



あなた方のライフスタイルが妨げられるべきではない



これが自由だ

そうなれば愛は

あなた方があまり緊張せず

不安でいっぱいになることもなく

あまり苦悩せず

もっと喜びにあふれるのを助けるだろう



だが、世界中で起こっていることは

まさにその反対だ



愛はあまりにも多くの痛みを作り出し

とうとう誰も愛さない方がよい

と決める人びとが出てくる

それが単に地獄以外の何物でもないので

彼らは自分のハートの扉を閉ざしてしまう



だが、愛への扉を閉ざすことは

リアリティーへの

実在への扉を閉ざすことでもある



だから、私はそれを支持できない

私はこう言いたい

愛の全パターンを変えなさいと



あなた方は

愛が醜い情況になるように強いてきた

その情況を変えなさい



愛が、あなたの霊精神的な

成長の助けになるようにしなさい

愛が、あなたのハートの滋養になるように

そして勇気に



あなたが個人にだけでなく

全宇宙に対してハートを開けられるための

勇気になるようにしなさい



インドの神秘家和尚OSHO講話集

Osho, Beyond Psychology, Talk #25より抜粋



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