無駄を活かす感覚
「無駄」は、よく時間の浪費や効率の悪さとして語られるけれど、僕にとってはまるで逆だ。
無駄を得ることは、視野を横に広げていく行為。
ひとつの経験に没頭しすぎると、知識や技術は確かに深まるけれど、縦に細く伸びていくだけになる。でも、別のことを並行してやることで、思いがけない共通点や重なりが見つかる。するとある時、バラバラだったものたちが自然にひとつの形をとり始める。
僕の今の取り組みもまさにそうだ。まとまることを目的にはしていないけれど、手応えは感じている。
もちろん、その無駄だけやっていればいいとも思わないが、無駄と自分が思うものを価値だという人がいるだろうし、価値があることを無駄だと思う人もいる。つまり、総じて「適当」だと言えるわけだ。
そしてそれらはいつも変化する。1秒後には変わらないが変わり得るのが面白い。
散らばった点が線になる
大事なのは「統合しなければならない」と焦らないことだと思う。
無理にまとめようとするよりも、いろいろなものをそのまま取り込んでいく方が自然だ。むしろ、余白があることで、ある時ふっと全体が結びついていく。その瞬間に訪れる「腑に落ちる感覚」は、やらされて得たものではなく、自分の中から立ち上がってきたものとして、深く根を下ろす。
これはプロジェクトでも、コミュニティでも同じことが言える。全体を見通して構成する力も大事だけれど、まずは好きなもの、気になるもの、やってみたいものに飛び込む勇気を持ちたいし、持って行く方が良い。
話は散らかったままでいい
僕の話が「まとまりきっていない」のに面白いと感じてもらえることがある。当然人によって異なるのだろう。
それってなんだろうか?を考えると、シンプルな結論が得られる。
いろんなジャンルや視点を少しずつかじってきたからこそ、生まれる文脈の飛躍や、つながり方の偶然性にあると思っている。自分でも驚くような発見が、話しているうちに湧いてくる。そこに「お裾分け」的な要素があるなら、それを活かしていきたい。
つまり、僕にとっての無駄とは、後で効いてくる伏線のようなものだ。すぐに成果にならなくても、必ず何かに繋がっている。そのことを信じて、これからも「無駄」と呼ばれるものを積極的に選び取っていきたい。
点と点はつながるし、つながっていくと思えば思ったほど簡単に線はできる。あとは面だけど、これは線をうまく紡いでいけばこれも思ったよりもできる。結局は「点」をどこだけ広げられるか。そこが無駄の活用みたいなところなんだと思う。