思考とはアウトプットをするのが前提
タイトルがなんともですが、まあその通りで。
頭を使うという定義が難しいのですが、思考するといっていいです。つまりどうなんだろうとか、これなんだろうと考えること。
そして考えるとは頭で思い巡らす、だけではないです。
基本的に書く、メモする、仮説を立てるなどのアウトプットが必須です。
それがないと、もやもやとしていてまとまらない。
シンプルに「それでどういう今状態?」といわれて、説明できるかどうかがポイントです。できないなら(結論が明確ということでなく、その状態を説明できないと理解していることにならないということですね)、それはまずいかなと思います。
結局、
・考えることが必要、しないと錆びる
・考えるとは書くこととなる。話すことでもいいですけどね。アウトプットが必須となる
となると、
・アウトプットをしないと頭が錆びる
ということになるわけです。
アウトプットとは誰かに見せるという意味でなく、自分でも見られるイメージです。日記でアウトプットもいいですね。普段からやってないとまあ何もできないはずなので、そこで分かるはずです。
頭が錆びるとどうなるか?
シンプルに、考えることをしたがらなくなります。
AIは便利ですが、ここは強調しておきたいのは、考えるなとは誰も言ってないし、AIも言ってないはずです。どう解釈するかは自由になるのでなかなかですけどね。
頭を使わずに創作から仕事からできてしまうと、当然退化するはずです。いやそれを進化だというかもしれない。
ところで、考えなくなった創作物がどうなるか?面白いかどうかですけど、想像も創造もかなり似ていて、そこには様々な考えがあるから面白い。AIの創作は人とは違うことは明らかですから、頑張っても人が考えたルールや社会を覚えさせてどこまでできるかですから。
最終的に人が考えなくてもいいやの世界がまかり通るかですよね。
シンプルにそれは僕が面白くないしそうなってほしくないよなと思っています。人の考えや創作を肌で感じたいというわけですね。これはどんどん高まってくる。私事ですが、それが例えば本屋などで現象としてもっとでてくるかなと思います。
錆びた社会を面白がれるかどうか
結論はないのですが、そういった錆びた社会をポジティブに捉える人もいそうです。
ただ、ロボトミー手術ではないんですが、考えない社会って単に感じないので、悲劇です。自分でも何が悪いか分からないので、AIに頼りってことです。ちなみにロボトミーというのは、人間の不安を感じる脳の部位を除去するみたいな話だったかと。
そうすると、不安が消えてハッピーかというと、違っていて、興奮や楽しさも消えるんですね(笑)笑ったらいけないですけど、世の中そううまいことできないわけです。
才能ってありますけど、短所的な面もあるから長所にもなる。僕が飽きっぽいのは短所ですが、それは新しいことをやり続けられるってことでもある(続けられるというのは飽きっぽさと矛盾してますが、面白いならやれるってことです)。そういうネガもポジもある。
錆びた社会だとそれすら得られないので、SFっぽいですが、クリエイターが梁山泊よろしく立てこもり世間に何か訴えていくのは全然ありそうな世界線だなと。そうなってほしくないし、僕も梁山泊で立てこもりたいわけではないですよ(笑)