自分の感じたことをまずやってみる
魂というとなんかあれですが、つまりちょっとスピリチュアル感もあると。ただその意図はなくて、自分の心や感じたものをぶつけてみるという感じですね。それを読むとか、見えるみたいな話はないです。
思ったことを発してみる。それだけでも人によっては大変なことなわけですが、創作とか遊びにおいてはそれをまずしないといけない。始まらないってことですね。
そういう中でも、無理にやれということはなく、無理せずできることを探っていくしかないよな、という話でもあります。
自分が感じたことをやってみる。シンプルですが出来てないならなんでできないか。一個ずつ意識していくといいかもしれないなと。
自分が心が動くことって何か?
これいいなとか、それはよくないな。そんな風にいつも心は動いているんですよ。動いているはずというか。でも、それを解除というか、フィルタリング前提にするとおかしくなる。例えば、ノイズキャンセリングを常にイヤホンを付けて話すみたいな感じというか。それで話さないといけない人がいるかもしれないですが、実際には生の声を聴けてないというわけですね。
フィルターとして自分が見えているとか、感じているものが何かを通している。AIとかでもいいんですけど、それってちょっと気持ち悪いのではないかと。または、それって心が動いているのか?分からなくなってくるんですね。
シンプルにここは自分に問うしかない。「それで面白いんだっけ?」と。それで面白いと言えるならそれは面白いんです。面白くないなら面白くない。それだけです。
問題は、面白くないことを面白いといってしまうこと。面白いことを面白くないって言ってしまうこと。どちらもそれなりにありそうです。
それを続けていると、心が動く感覚が分からなくなるんですね。そうなってはいけないということですね。
絶対やらなきゃいけないことはないかも
こんな話をすると、人は一生で何かやり遂げなきゃ症候群みたいなことになりかねないですが、それは個人の信条としてあってもいいしなくてもいい。少なくともなきゃいけないとかはないですね。
あると面白さがエッジが掛かるというか、より尖るんじゃないかな?くらいですね。なくてもいいわけですね。
それくらいのあってもなくてもいいけど、あるとより楽しめるかなと。
楽しめるとは自分の人生をより楽しめるスパイスみたいなものです。
間違ってもそれは人の人生を楽しむということではないはずです。
そうやって魂を込めて日々生きることってめちゃくちゃ大事で、そういうパワーやエネルギーがないと色々とできないだろうと。逆にパワーがあるからこそ、パワーを使うからこそ、補充されてまた生きていける。そんな話でした。