第2話:「言葉のない世界で、祈りが起きた」
娘といるとき、私はたびたび言葉を超えた何かに触れていると感じる。それは説明できない。けれど確かに「交差」が起きている瞬間がある。たとえば・・言葉をかけても返ってこない時間。でも、娘の目が私を見つめ返すそのわずかな間に、‘‘なにかが通っている’’ のを感じることがある。笑ったわけでもない。泣いたわけでもない、でも、そこには確かに『私たちはここにいる』という共鳴があった。私たちは会話ではなく、‘‘存在で交差’’ している。昔の私は、「言葉にできない」は「通じていない」と思っていた。でも、いまの私は違う。通じ合うとは、‘‘言葉になる前の主観’’ が、交差してしまうことなんだと感じている。娘はとても素直だ。言葉ではなく、空気・音・表情・場の変化・・あらゆる微細な ‘‘主観の変化’’ をそのまま感じているように見える。彼女の祈りは、「うまく伝えたい」ではなく、‘‘世界と共鳴したい’’ という静かな望みのようだ。先日、自然の中を散歩したとき、娘が黙ったまま、しばらく川を見つめていた。私はその横に、ただ黙って座っていた。やがて娘が、私の手を握った。その手はとてもあたたかくて、柔らかくて、でも何より「交差した」と思えた。言葉はなかった。でもあれは祈りだった。私と娘の、まだ名前のついていない祈りが、その手の中で静かに交わっていた。いま私は、娘との関係を「教える」「育てる」「導く」ものではなく‘‘ともに祈る交差の場’’ として受け取っている。彼女の存在が、「交われなかったまま、ここにある主観」として、今も誰かと世界と、祈りながら交差し続けているように感じる。私はそれを ‘‘祈りを媒介する者’’ と
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