今回はうまくいくことって予測程度しかできない、というテーマで考えてみます。
今これが役立つと断定できる人はいない
例えば、MBAという資格があります。資格というか経営学修士というやつですね。これ役立ちますか?というと、わからないわけです。
役立つが、誰に何を寄与するかが定義できないからです。
仮に将来起業したい人が、学生中に学ぶことは、役立ちそうです。ですが、この役立ちそうはかなり曖昧で、その人が学びたいから面白そうだから学ぶと。それだけシンプルな話のはずです。
では、この学生さんが、仮に大学在学中に学んで取ったとします。その意義はおいておいて、この方が起業をできるかは全く別でしょう。少なくとも僕はそう思います。
皮肉でもなんでもなく、MBAなんて知らない人が起業をしそうです。学歴がある人は起業しないといってもいいわけですが、偏ってますけどね。
起業することにおそらくMBAは役立たない。と言われてこの方はMBAを取らないのでしょうか?多分気になるからそんなの無視すればいい。役立つといわれたらどうするのか?そのアドバイザーに「役立つっていったでしょ!責任取ってよ」というのでしょうか?そうでなく「5人が役立つといった、信頼する方が役立つといったから」と誰かに責任の所在を持っていきたいのかなとも思います。
明確なのは、何かを学ぶとかやるというときに、それが「役立つ」とか「寄与する」とか、そんなのわからないんですよね。
同様に「うまくいく」も怪しい言葉です。「うまくいく」なんてまともな人は断言しないんですよ。嘘か、パフォーマンスでしかない。ということが分からないのはまずいと考えています。
役立つと言っている人は???
では、例えば資格サイトなどでこれが役立つとかこれがくるというのは、シンプルに職業、またはその人の仕事上のポジションだからでしょう。
自社不動産の悪口を、言わないのは当然でしょう。評判を悪くすることで何を会社から言われるか分からないのと、あえて業績を落とすとか印象を悪くする意味がないからです。分かるのですが、嘘をついちゃうとさらに下がるので、ここがその会社、担当者が問われるところです。客観的にいっていますが、これはあなた、わたしでも同じこと言えるでしょう。
経験が少ないから分からないのだ。ということで、例えば学生さんが簿記を学ぶと。それは役立つからだ。高校生くらいまでなら別にかわいいものですが、大学生くらいで「そう言われたからやる」は結構危ない気がします。実際に何もないより、資格欄が一個でもあることを「役立つ」「意義がある」とする世界ならありなのでしょうが、世の中ってそんなものなのかなと。ふと思うわけです。
つまり、視野狭窄に陥っていると。本来その学生さんは簿記がどうでなく、どういうことをしていったらいいかを考える。自分でですよ。頭で考えてもしょうが無いので、色々なことをやってみる。
ここで学生さんとしていますが、社会人でも誰でもどんな人でもですね。その選択肢というか、幅が狭ければ狭いほど、偏る。偏ることで専門化するケースもあるのですが、これは深堀りを推奨する意味であって、他を見ないのはやはり専門バカと呼ばれてしまう。バランスですよね。
正確には「役立つなんてわからないのだけど、役立つといわないと誰も見てくれないし、その記事や言葉や価値が低くなる。だから意味はないけど、役立つといっているんだ」と正直に言ってくれるサイトやメディアがあれば、僕は信頼します(笑)まあ仕事をなくすか、辞めさせられるんでしょうね。
だから正直に言わないのがいいとも思わない。どこで折り合いをつけるかみたいな話になりますが、そこはわりと色々あると思っていて、例えば仕事についてそんなの考えなくていい、適当でいいやと思えば「役立つ」って何も意識せず書けちゃうんですよ。
そのまま役立つ記事を書き続ければいいと。当然役に立たない記事なわけですが、それもまたなかなかしんどいですよね。
くどいですが「役立つ」なんてわからないわけですよ。僕のこの記事も役立つなんてわからない。だけどこうかなーくらいで書いていると。そんなものです。だから、99%は役立たなくていいけど1%何か参考になった。それであれば役立ったといえる。でも、それは事後であると。事前にわからない。ということです。
事前に役立つかは分からないので、役立つ記事を書くことはできない。
のではなく、
事前に役立つかは分からないので、書いてみて事後でそれが分かる。
単に結果として「役立った」は言えるけど、「役立ちそうか」は事前に分からないわけです。
新しいことをやるには役立つはどこかにおいておこう
先に選択肢というか、色々経験をするとありました。
これは好奇心ということですが、それが薄くても、とりあえず新しいことをやってみる。そして、それで何が得られたか、事後として役立ったかを検証するのはいいと思うんですよ。むしろやらないといけない。
事後では分かるからです。
先の学生で起業をしたい人でMBAがというのは、その後MBAを取った、起業をできてない状態だ。というとき、「その人にMBAは起業をすることにおいては役立たなかった」ことが分かるわけです。あとはそれでどうするかだけですから、起業って曖昧ですけど、どうしたいかを考えないといけないですよね。
厳密に言えば、自分なりの定義を起業、役立つをどこまで考えられるか。くどいですが「役立つかどうか」は分からないです。これって「うまくいくかどうか」もですし、そういうことっていっぱいあります。
そういう分からないことは一旦保留する技術が必要だということですね。これは僕は技術だと思っている。明確にトレーニングすれば身につくからです。不安も同程度にあるけど、不安に注力すれば誰もやらないですからね。
ある種の錯覚も大事で。ただ、自分が苦しいとか嫌だをあえてやる人は稀なので、楽しいとか、面白そうということをやる。不思議なものですがそれだと人は動くんですよね。
新しいことをそういう形でやっていくことで経験を積む。役立つとかうまくいくとかは後なんですよね。一方で、何をやるとこうなるという話をしないとやらないということも分かるんですが、程度の問題なので、全部やらないとわからないはちょっと言い過ぎだし、最初から全てお膳立てがないとやらないのも流石にやり過ぎだしと。未経験者の教育であるとか、様々なケースによって塩梅が変わる。そして、関係性やその人の考えでも変わるので正解はないです。分からないわけです。
一つ言えるのは、新しいことをやるときに、役立つとか、うまくいくからというのは良くわからない考えということです。
当然かってに自分でこれに役立ちそうだなとか、自分で納得する材料ならいい。でも、そういう役立つは主観であり、思い込みに近い。客観的な材料があって、どうかというのはロジカルシンキングの罠というか、そこはロジカルじゃないというように「判断」できないとまずい。
これらの判断において、
・少しわからないけどまあやってみる
・少しわからないからやめておく
正解がありそうな試験や解が決まっていることは、後者が良さそうですが、明確にそれで社会がルールで全てキレイに決まる・・・わけはないですよね。社会で生きていればまず感じるはずだからです。
前者はルールを壊せとか守るなという意味でなく、やらないとわからないこともいっぱいあると。例えばボーリングを転がしてみないと、ボーリングの楽しさはわからない。当然転がす前にあれこれ考えてもそれをやるなとはいわないですが、「体験」ではないですからね。そういうことです。
よって、何かをやる、チャレンジするとは、理屈っぽい何かはどこかにおいておいて、「役立つんですか」とか言っていると馬鹿になるというか。役立たないことをやらない、役に立つことをやるというとき、役立つことを全部挙げ連ねていくと、それ何なんだろうと?
多分お金が稼げることとかになるんでしょうが、反社とか犯罪とか、詐欺とかにしかならないような。倫理が欠如してますよね。では倫理的な学びは役立たない=お金が得られないからやらないのでしょうかと。そうなっていくわけですね。
言葉狩りとして「役立つ」を使うなということではないです。それを発する人が何を考えているのかということです。僕は役立つって言葉はそれほど使ってないはずです。(と思ったら結構使っていました(笑))
ただ、見てみると、使ってもそれはほぼ意味がないので、その価値が定義できないから「その言葉」でいっている「あれですよね」といっているだけです。
「あれ」は説明しないとわからないので、曖昧さのまま濁すという意味ならありですが、それは自分の中でしか使えず、誰かに「役立つかどうか」とか、はかなり不毛ということも分かります。「プラスになる」という意味なら、何がプラスになるかを説明しないと「役立つ」かどうかだけでは、解像度が低いわけですね。
というわけで、役立つかどうか、みたいなことを唱えても何か進むわけではないので、別の言葉を使うか、または役立つって何かを考えてみることをおすすめします。
そして冒頭の振りとしては、うまくいきそうだ、役立ちそうだは別に言えると。けど、それって主観的であり、「面白くてやりたいのだ」「やりたいからやるのだ」程度でしかないってことです。役立つを理屈で説明するとか、うまくいくを説明していくのは誰かに説得できるかは疑問で、自分がやりたいならやればいい。シンプルになっていくんじゃないかというところでした。
そこを役立つ保証とか、役立つ理由や根拠となると、自分で考えよと。そしてそれは「主観で楽しそうだ」とか「主観でやりたいのだ」とかにしかならないので、不毛になるかなという話でした。
罠に陥っていたらこの記事を見ていない気がしますが(笑)、面白そうだとかやりたいからで何でもいいのでやってみる。それが突破口になるかなと。