フリーランスとか、自分で独立する、とくに会社作ったり起業とかって「優秀」なイメージが強いですよね。そうではないという「不良」とか「不適応者」みたいなイメージを持つ人って少ないんじゃないかって話です。
僕の視点からいえば、ケースバイケースでして、別に優秀な人はいるけど、それってフリーランスとか会社員とか関係なくない?というわけで、関係ないんですね。優秀な会社員がいる、優秀なフリーランスがいる。それだけです。
むしろ断絶というか、お互いにすごいと思っている節もあると思っていて、例えばフリーランスでも自分は会社にまず行くことができなかったとか。そういう人がいれば会社員って毎朝決められた時間に出勤して残業もして、を繰り返すわけですよ。そういうのはすごいですよねとなる。
これは誇張でもなく事実というか、見え方の話です。ここで逆に、会社員はそれが普通なので「そんなのもできないんだ」って思うかもしれないです。ですが、その人は「いや、自分は仕事を自分で取ってきてやるなんてできないな」と思えば、それもすごいなと思うわけです。
というような見え方のズレが多数、多層的にあるので、哲学的ですが、誰も正しい客観世界なんてないんじゃないか。っていうのはそうなんだろうと思います。
ここでシンプルに「書く」というスキルかわかりませんが、そういう力について少しだけ考えてみましょう。
僕が添削できるのは書く力が優れているからなのか?
卑近な例として、小商いとしてやっている営業メール添削を例に出しましょう。
こちらですね。別にサービスは見なくてもいいです(笑)
で、こちらは僕が確かに添削をするのですが、待ってくださいと。僕はライターでもないですし、書く仕事をしているかというと、そういうわけでもないんですよね。つまり職業的な専門的ななにかではない。と、まずは言っておきます。
ただし、これってよくあるわけですが「誰かのスキルや能力を判断する」ことはものすごく難しいわけです。例えばデザイナーの人でも書く力がすごい人がいて、ライターと名乗る人よりすごい場合がある。その場合「デザイナー」なんですよね。見えなくないですか?
という感じで、僕の書く力を、何かしら試験で判断するとかはできますが、そういうのはあまりない。あったとしても、その資格や点数を第三者、とくに素人が判断することができない、というのと似ています。これは資格が意味がないとかそういうことでなく、資格があってもこの問題は解決されないってことですね。
同時に僕は書くスペシャリストになりたいか?というとそれはないんですね。同時にお客さんも書くプロにお願いしているかというと、そこまでの意識はないはずです。ただ「自分より得意そうな人」というところがあれば依頼はあるわけです。これは詐欺とか、騙しているとかっていう人は「稀」にいそうですが、ちょっと「うぶ」すぎる感じもします。別に盛っているわけではないですからね。
仕事というか小商いというところでいえば、この書く、添削するということが成り立つ瞬間というのは、結構曖昧なわけです。
A)お客さんから見て依頼したい、または相談したいと思ってもらえる
B)僕からみてその程度のことはできるというベースを示すこと
Aの期待値は素人にあえてお願いしないけど、とはいえトッププロにお願いしたいとかはないというか。ただここで心理として「どうせなら」というのはありますよね。そこも人次第な気がします。欲はつきないので。ただ、トッププロにそんなこと聴いていいのか?と気後れすることもあるし、世の中には素人とトッププロだけの世界はなくて、多くは、素人→アマチュア→経験積んだアマチュア→セミプロ→プロ→トッププロみたいな感じで、かなり人はいるわけですよ。
というわけで、Aの話をすれば、お客さんが素人だとすれば、アマチュアでも経験値があるのでそれだけでも満足する可能性がある。というか高いわけです。それ以上だと、「旨いものの閾値が高すぎてわからない」みたいな世界になって、旨いかどうかでなく、もっと解像度を高めて判断しないといけないわけです。
ですが、その解像度を高めてとか、閾値がどうとかって、素人では無理な話です。「文章がうまいね」「文章が下手だね」というそれだけの評価なら素人でもできるわけですよ。ですが、そこに「ではうまいとは?」というツッコミに応えられるかどうか。素人だとそれは難しいはずです。ここで僕ならこう答えるとかはできると。そういうレベルでいいんですよ、ということをいっておきます。これはレベルが低くていいのだということでなく、素人でないならそこにチャンスがあるってことをかなり強調したいってことです。ここを見逃したり、ここでトッププロでないと駄目だというのはちょっと「うぶ」ということです。
トッププロなんて多くの人は僕もですが、なれないんですね。それが駄目とかいいとか、目指すとか色々あると思うんですが、なれないと不幸せというのはまずないというか。そこらへんの世界観や考えをどう解釈するかはかなり大事ですね。
Bは提供者側視点です。ここまでできるということを示す時、添削なら、自分がうまく書けるでは駄目なので、人の文章をみて改善を指摘できるかってことですね。これができれば、ここでは十分充足する。つまり仕事になるんですね。
長くなりますが、僕が特段優れているわけではなく、もっと上手い人はいくらでもいる。また下手な人もいくらでもいる。そういう世界でやるという前提がいるんじゃないか。それがない人は、そういうOSをぜひインストールしてもらえるといいんじゃないかって話です。
むしろ一つより組み合わせで色々出来る方が僕は好き
これは僕の考えに過ぎませんが、書くことなら任せてというのはある種目立つことはできると。ですが、それで競争として書く世界で戦うとなるとちょっとなあと。それを望む人が多いかですが、結構少ないんじゃないかと。
つまり、多くの人はそう臨んでないのに、雰囲気で何かを極めたほうがいいと思い込まされている感です。そこまでなくても、なんとなくそっちかなというのも結構考えたほうがいいってことですね。
書くだけよりも、添削できるほうが色々と対応できますよね。また添削というのも、ただ良い悪いではないので、どう指摘すると相手がやる気が出たり喜んでくれるか。これってもう商売ですよね。相手が喜んでもらえることをやるのが商売ですからね。
さらに、書くのも何を書くか、小説なのか、戦略を書くのかでは全然違うわけです。具体的なのがいいのか、それともちょっと抽象的なものがいいのか。本当に色々あると。そういう自分がやれそうなでもいいし、面白そうなものというのを開拓していくと。
書く×教える×仕組みをつくるとかでもいいですし、書く×読み物×漫画プロットとかでもいいですし、書く×SNS×ネタ投稿とかでもいいですし、これって好みとか自分の感覚とかもあるので、正解はないんですね。
それがうまくないからやっちゃだめなんて世界ではないですから。お金を取る=仕事ですしそこに責任はつきまとうと。ですが、そこに試行錯誤で、最初の一歩が大変とか、なんかめちゃくちゃ重たい壁を想像してしまうと。でもそうではなくて、もっと柔らかいものではないか。
それは、一つを極めるでなく、色々なものを組み合わせてやる、ある種ブリコラージュ的なものでやってみるとまた世界が違うんじゃないか。
現場からは以上です(笑)