ども~、皆さん元気い~~!
「さぁ、もっと幸せに!」が、このブログのテーマです。
中欧旅行も、ようやく2ヶ国目。オーストリア共和国です。
面積は日本の北海道とほぼ同じ。人口は900万人で東京都よりもずっと少ない。
キリスト教カトリックが大半を占め、プロテスタントは少ない。
言語はドイツ語、通貨はユーロです。
今は小国です。しかしこの国は凄いのです。
きれいなメトロでウィーンの移動はストレスなし
馬車を良く目にします
自転車が専用道路で走りやすい
ローマ教皇に支持された皇帝を認めた国家「神聖ローマ帝国」は、800年から約1000年続きました。1273年にハプスブルク家のルドルフ1世が神聖ローマ帝国皇帝に選ばれます。
神聖ローマ帝国は、1806年にナポレオンによって消滅してしまいますが、ハプスブルク家による統治はその後も続き、「オーストリア=ハンガリー帝国」を作って生き延びます。
そして、第一次世界大戦が終結する1918年までの645年間の長きに渡って、“中央ヨーロッパ”の大帝国を統治し続けました。
ハプスブルク家の最盛期は16世紀後半ですが、オーストリアを拠点に、スペイン、ネーデルランド(オランダ)、フランス東部(ブルゴーニュ地方)や今のベルギーなどのベネルクス三国、イタリア北部まで領土を広げました。
コロンブスがアメリカ大陸を発見したのが1492年。その2年後にハプスブルク家分家のスペインは、ポルトガルとある条約を結びます。
ハプスブルク家分家のスペインは、ポルトガルと大西洋を二分して、西方(現在の中米、カリブ海、南米)を自分たちの領土であることにします。
その時、ポルトガルは東方(アフリカ、インドなど)を自分たちのものにしました。
今、ラテンアメリカではスペイン語が話される国が多いのは、ハプスブルク家による統治がきっかけです。
ハプスブルク家の統治が645年も続いた理由のひとつは、政略結婚による領土拡大です。
ハプスブルク家には有名な言葉があります。
「戦争は他家に任せておけ。幸いなオーストリアよ、汝は結婚せよ」
これを徹底したのです。
ジャンヌ・ダルクが活躍した(結局は火あぶりの刑で処刑されるが)イギリスとフランスの長い戦い「百年戦争(1339〜1453)」など、ヨーロッパ各地の戦争を尻目に、戦わず(侵略せず)して領土拡大を進めたのです。
そして、一時的に新大陸を領土にする大帝国になるのです。
美術史美術館
ドーム型の天井から神々しい太陽の光が降り注ぐ。見事!
美術史美術館蔵「バベルの塔」(ブリューゲル)
オイゲン公の像 オスマン帝国に2度ウィーンを包囲されますが領土を守り抜きました(背景はホーフブルグ宮殿)。オイゲン公は2回目のウィーン包囲(1683)の時に活躍しました。
日本の徳川家が築いた江戸時代でさえ約260年ですから、ハプスブルク家のスケールの大きさがわかります。
オーストリア、今は小国のように見えていますが、実は大変スケールの大きな歴史を持つ国であると学ぶことができました。
これからも「四柱推命」を活用しながら、「幸せへのアドバイス」で皆さんのお役に立ちたいと思っています。
次回以降も、キンおじさんのブログ、よろしくね~~。