「テレジアも凄いけど、フランツも凄い」

「テレジアも凄いけど、フランツも凄い」

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※表紙は、ホーフブルグ宮殿。ハプスブルク家、神聖ローマ帝国の王宮です

ども~、皆さん元気い~~!

「さぁ、もっと幸せに!」が、このブログのテーマです。 

日本の第8代将軍、徳川吉宗の時代、神聖ローマ帝国皇帝に「マリア・テレジア」という女の子が生まれました。

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”女帝”マリアテレジアの像(美術史美術館と自然史博物館の間) テレジアはマリー・アントワネットを含む16人の子供を産みつつ政治手腕を発揮しました

テレジアは子供の頃から好きだった「フランツ・ロートリンゲン公」と結婚しました。

いちおうハプスブルク家得意の政略結婚ではありましたが、当時の王室としては、異例の恋愛結婚だったそうです。

この結婚のために、周辺諸国から大きな反発があって、その怒りを鎮めるために、“婿養子”フランツは、怒りを抑えながら自分の故国ロレーヌ公国をフランスに譲りました。

愛するテレジアのために、故郷を捨てたのです。良く決心しましたが、名家ハプスブルク家から求められたら断れなかったのかもしれません。

夫婦仲は凄く良かったそうです。良かった良かった!これで夫婦仲が悪かったらフランツがかわいそう過ぎます。

テレジアのお父さんが亡くなると、プロイセン(現在のドイツ)が領土の一部(シェレンジー:首都ナンシー)を奪いにきます。その後、オーストリア継承戦争、7年戦争と続きましたが、結局、その領土を奪われてしまいます。

お父さん(神聖ローマ帝国皇帝)には、男の子ができなかったため、この女の子「テレジア」が、ハンガリー女王とボヘミア女王に即位します。女性は神聖ローマ帝国皇帝にはなれませんでした。

なので、神聖ローマ帝国皇帝の座は、一旦ハプスブルク家の手から離れます。

ところが神聖ローマ帝国皇帝が3年足らずで、亡くなってしまうと、テレジアの夫、“婿養子”「フランツ」が新しい皇帝に選ばれました。

つまりテレジアの夫が神聖ローマ帝国皇帝になったのです。本当にこんなタナボタがあったのでしょうか?と疑いたくなるくらいの話しです。

ところがフランツは学問や芸術には才能がありましたが、政治はまったくダメだったようです。

なので、表向きはフランツが神聖ローマ帝国皇帝ですが、実権はテレジアが握っていました。

“婿養子”フランツにはかわいそうな逸話がいくつもあります。かわいそうなくらいのことがたくさん、、、

しかしフランツは、子供たち皆んなの幸せを考える良き父親でした。

特に次女「マリア・アンナ」は、才女ではありましたが病弱で容姿が良くありませんでした。そのため兄弟たちだけでなく、政略結婚の役に立たないという理由で母テレジアからも嫌われていました。

そんな「マリア・アンナ」のことを、父フランツはいつも気にかけていたそうです(アンナは終生独身で修道女として51歳で亡くなる)。

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ウィーン市立公園 モーツァルトの像

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ウィーン市立公園 市民の憩いの場

フランツは弱い人間の気持ちが良くわかる人だったのですね。

女帝「テレジア」ばかりが目立ってしまいますが、その陰に父としての「フランツ(神聖ローマ帝国皇帝)」の優しさがあったことは忘れてはならないのです。

皇帝としての政治力は不足だったでしょうが、女帝テレジアとの間に16人の子供を作り、1人の嫁と子供たち皆を愛し続けた父としてのフランツが好きになりました。

フランツは運、不運を乗り越えて「自分の良さ」を活かして、自分の人生をまっとうしたのではないかなと思います(1765年58歳没)。

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カフェ・シュペール クリムトも常連だった

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1880年創業の歴史的カフェでチョコレートウェファス(一番上)をオーダー

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チョコレートウェファスとカフェラテで歩き疲れを癒す


これからも「四柱推命」を活用しながら、「幸せへのアドバイス」で皆さんのお役に立ちたいと思っています。

次回以降も、キンおじさんのブログ、よろしくね~~。

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