その“解釈違い”で疲れてない? 二次創作に正解なんていらない

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こんにちは、ほうりです。
今日は、二次創作においての解釈違いで疲れる理由や、その正しさって何だろう?というテーマについてお話ししていきたいと思います。

あなたはこんな感情を覚えたことはありませんか?

😥この界隈では、Aさんのこの解釈が【正しい】ってことになってる
😥対抗カップリングとかで、自分の推しが執着魔とか分からせ系の変態野郎にされてる……むきゃーーーっ!💢

みたいな気持ちに、かつての私はめちゃくちゃ陥っていました。

そうした、自分の正しさから反した推しへの解釈を見るたび、
「いやいや、原作ではこいつこういう性格でしょ?あの界隈のキャラ解釈、間違ってんじゃねーの?」
と思うこともしょっちゅうでした。

しかし、ひょんなことからマインドコーチングを知り、それを学び始めた頃、脳科学や心理学にも触れる中で、だんだん疑問が湧いてきたんです。

🤔なんで、私はこんなに“正しさ”にこだわってしまうんだろう?
🤔二次創作って、本来は自由なはずなのに……
🤔この正しさへの執着、もしかして“ある刷り込み”から来てるんじゃないか?

こんな疑問が浮かぶ中、私の中でいくつかの答えが出て来ましたので、それについてお話していきます。
というわけで本題です。

“それ、公式じゃないよね?”に縛られない生き方

私たちは日本の教育の中で、
「正解か不正解か」「何が正しくて、何が間違っているか」
そういう判断基準を、無意識のうちに吸い込まれながら育ってきたと思うのです。

別に“同じ価値観の人間になれ”って強制されてるわけじゃないけど、たとえば学校行事の出し物ひとつ取っても、意見が割れたら大体「多数決で決めましょう」ってなりますよね?

「白雪姫がやりたい」
「いや、最遊記がいい」
「私はシンデレラ派!」
「羅生門とかどうかな?」

等、そうやって意見が分かれたとき、最後には【多数決】で強制的に決められてきました。

つまり、どんなにやりたくても、数が多い方に従う。
それが“正しい”という感覚や「多数派に従うこと=正義」っていう価値観を、長年かけて私たちは少しずつ刷り込まれてきたのです。


しかもそれって、単なる演目の話だけじゃなくて、もっと深いところにも根付いているとも思えます。

更に言えば、私たちの世代――昭和〜平成初期の頃の学生時代って、「オタク趣味」ってスクールカーストの最下層扱いだったんですよね。

私自身、“スクールカースト”って言葉はあんまり好きじゃないんですけど、それでもやっぱり陽キャのグループにバカにされたり、下に見られたりといったこともありましたし、私以外にもこれらの苦い経験をした人も多いんじゃないでしょうか?

そうなると、「自分の好きなこと=正しくない」「私は間違った趣味をしてるのかも」って、また一つ“刷り込まれる”。

その結果、「数が多いものが正義」みたいな感覚が、潜在意識の中に根深く残ってしまってるんですよね。


だから、同じジャンルの二次創作をしていても、

「Aさんのこのキャラ解釈は“正しい”ってことになってる」
「でも私はちょっと違うんだよな…」

そんな風に感じたとき、自分の解釈を貫くのが怖くなったりする。

ぶっちゃけた話、本来趣味の世界なんて、多数決で決めるようなもんじゃないはずなんですよ。

でも、それでも「でもなぁ…」って引っかかるのは、数の暴力で押さえつけらえた経験が根底にあり、それを刺激されて不快な感情を呼び起こされたくないからなのと、解釈違いで仲間外れにされるのが怖いから。

――そう、“仲間外れにされることは恐ろしいことだ”っていう価値観もまた、私たちは教育の中でしっかり吸い込まれてきてるんです。

「友達百人できるかな?」に潜む価値観

小学校に入りたての頃、覚えさせられた「いちねんせいになったら」という童謡がありますよね。

 あれだって、よく考えるとけっこうすごい歌詞です。

いちねんせいになったら
いちねんせいになったら
ともだちひゃくにんできるかな
【友達は多ければ多い方がいい】という価値観が、6~7歳、下手をすればもっと幼い年齢からしっかり刷り込まれてるわけです。

第一、一人でも富士山に登っておにぎりは食べられますし、日本中だって駆け巡れる。
YoutubueやstandFM、Instagramなどを駆使して、一人で配信を地道に重ねていけば、1年後には100人以上の人間を笑わせることだってできるはずです。

一人じゃなくて友人とその気持ちを分かち合いたいというのならば、100人もいらないでしょう。多くてもせいぜい10~13人で十分なはずです。

ですが私自身、小中学校の担任からこんなふうに言われてきました。

「深く狭く付き合うよりも、浅く広く付き合いなさい」
 「人から好かれるようになりなさい」
 「自分のことよりも、他人のことをまず考えなさい」

今なら正直、「うるせー馬鹿!!!そんなもん押し付けんな!!」の一言に尽きます(笑)

でも、この先生たちも別に悪気があったわけじゃないんですよね。
彼らもまた、自分たちの親や先生から、そうやって生きるように教えられてきただけ。

そして、そのやり方でうまくいってきたからこそ、
既に時代も価値観も変わっているにもかかわらず、
それ以外のやり方を知らないから、 「あなたもこうした方がいいよ」という思いが大前提としてあるだけなんです。

でも実は、脳の仕組みや“人間はなぜそう考えるのか”といった心理学の考え方が、教育現場や一般社会で語られるようになったのは、ここ20年くらいの話なんです。

脳科学の進展は1990年代以降の“脳ブーム”でようやく一般化。
心理学が「生き方・自己理解」として注目され始めたのも2000年代以降。

つまり、当時の先生たちは「知らなかった」だけ。
正しさを押し付けてきた人たちも、実は「正しさ」に縛られていた。

それに気づくと、「自分の解釈が少数派でしんどい」と感じることにも、少し優しい視点が持てるようになると思うんです。

それ、脳のせいかもしれません。二次創作に正しさを求めてしまう理由

もう一つ、私たちが二次創作の解釈に対して正解を求めてしまう理由についてお話していきます。

人間の脳って、「群れからはぐれたら生きていけない」っていう、強烈な恐怖がインプットされてるんです。
これはもう、本能レベルの話。

だから、二次創作の世界でも
「解釈違いで仲間外れにされるんじゃないか」
 「空気を読まずに自分の解釈を出したら叩かれるかも」
 そんな不安を感じて、つい“正しさ”を求めてしまうのって、実はすごく自然なことなんですよね。

でも、ここで思い出してほしいのは――
二次創作って、命がかかる世界じゃないってこと。

原始時代なら、群れから外れたら命の危機。
でも現代は違います(少なくとも今の日本では)。

あなたの推すカプが、界隈にとって地雷だろうが邪道だろうが、解釈が違おうが、命までは取られません!!!(断言)

だからこそ、「あの人たちと自分は違う」ってだけで、ビクビクする必要もない。
 「解釈が正しくないと思われたらどうしよう…」と萎縮しなくていいんです。

正しさを求めてしまうのは、教育や本能の影響で仕方ない。
でも、その正しさに過剰に縛られてしまうと、せっかく楽しく始めたはずの二次創作が、どんどん息苦しくなる。

解釈違いでもいい。
多数派じゃなくてもいい。
自分の好きなものを、好きなように描いていい。

その自由を、もう一度思い出してほしいんです。
“正しさ”を守るために創作するのではなく、 「私はこう思う」「私はこれが好き」という気持ちこそが、二次創作の原動力であったことを。

勝手に〝正解〟を決めんな!二次創作の正しさにモヤつくすべての人へ

私自身、過去の話をすると、マイナーカプをずっと推していたのですが、界隈ではもうメジャーカプが幅をきかせており、マイナーカプ?そんなもん存在するの?wという雰囲気がビシバシ伝わってきていました。

しかもそっちでは、私の推しが変態にされたり、執着魔にされたり、鬼畜野郎扱いなんぞ日常茶飯事、朝飯前。

「なに勝手にうちの推しを変態にしてくれてんだよ!?💢」
「お前、原作読んだことあんのか!?それ解釈じゃなくて捏造だろが!!💢💢」
と、毎日毎日、憎しみで人が殺せたら!と思うくらい、ほんとイライラしてました。

こっちはマイナーで少人数で細々やっている、所謂弱小。
あちらはメジャーで数がわんさかいる、いわゆる大手だったため、「ほらこれが正しいんで〜す」みたいな顔で堂々と投稿してる感じがして、“ああ、またあっちの解釈が界隈のスタンダードになるのか…”って、めちゃくちゃやるせなくて。

「はいはい、お前らの方が“正解”なんでしょ!?こっちが変なんでしょ!?」
と、数の暴力で押し切られてる感じが強くて、悔しくて、惨めで、ほんと嫌でしたし、毎日毎日呪いの言葉を吐きながら、あいつらいっそ爆発しねえかなと本気で思っていました\(^0^)/

しかし、マインドコーチングを知り、心理学や脳科学を学んでいき、時間が経過するのと同時、ふと唐突に思ったんですよ。

「いや……あの人たち、そんな悪意ある?わざと?本当にこっちを潰すつもりでやってるのか?」
って。

……たぶん、違う。
向こうはただ、自分の“好き”を描いてるだけだったんだと思う。
ただそれが、“私の地雷”にブッ刺さったってだけで。
だからって、それを「間違ってる」ってジャッジする資格なんて、私にもなかったんですよね。

もちろん今でも、見るだけで「うおぉ…💀」ってなる解釈はありますが、「私は違うと思う。ハイ終了」で済ませられるようになりました。

何が正しくて、何が間違ってるかを決めるのは、“界隈”でも“多数派”でもなくて、最終的には、自分の「好き」が答えでよくない?と、心の底からそう思います。

まとめ

というわけでまとめです。

✅ 二次創作の世界に「正しさ」を持ち込んでしまうのは、学校教育や社会の中で刷り込まれた、“多数派=正解”という思い込みの影響。

✅ 「解釈違いが怖い」「仲間外れにされそう」というのは、人間の脳の仕組み上、自然な反応。あなたが悪いわけじゃない。

✅ 地雷やモヤモヤを感じても、それは「自分の“好き”を大事にしている証拠」。“違う”はあっても、“間違い”なんてない。

私たちの脳は、iPhoneやパソコンのようにアップデートされるわけではなく、基本的な構造は原始時代のままだとされています。

現代に生きていても、脳の“本能的な反応”は、未だに「ミス=死」「仲間外れ=危険」といった石器時代の価値観で動いているんです。

でも、二次創作の世界で、命が取られることはありません!!!(二度目の断言)

だからこそ、 「正しく見られるか」じゃなくて、「私はこう思う」「私はこれが好き」を大切にしてほしい。

たくさんの“正しさ”が飛び交う中で、 「私の好きって間違ってるのかな…」って苦しくなる気持ちも、すごくよくわかります。

しかし正しさを競い合うよりも、自分の“好き”に正直であることこそが、いちばん自由で、自分を含めた多くの人に刺さる二次創作だと私は思います。

どうかあなたの“好き”を信じて、 今日も安心して、自由に、楽しく妄想してくださいね。

そう言われても、、、

😵‍💫数が多いのが正義だと突き付けられているようでしんどい…
😵‍💫数の暴力で、私の推しが踏みにじられている感覚が拭えなくて心身ともに爆発しそう💢

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じっくりお話を聞かせていただきます。

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うちはそういうルールです(・∀・)

ではまた!




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