(「自分探しを終わらせてくれた前世療法8」からの続き)
以下、少しばかり余談にお付き合いください。
前世療法で見ているのは、本当に前世なのか?
「前世療法ってホントに前世なのか?」「そもそも前世なんてあるのか?」という疑問、当然あると思います。結論から言うと、「そんなことはどっちでもいい」というのが私のスタンスです。
前世療法のセッションで体験したものが本当にいわゆる前世なのか、ただのフィクションなのかは、問題ではないと私は考えています。受けた人が悩み解決のヒントを得たり、トラウマを癒したり、よりよく生きていくためのきっかけになるなら、何だっていい。私自身は「前世ってあったらいいな」とは思っていますが、(今のところは)正直あまり信じていないです。
前世でないなら、いったい何を見ているのか?
見ているのが前世でないとするならば、いったい私たちは前世療法で何を見ているのか、体験しているのか。なんらかの理由で、脳がその持ち主である私の課題を解決するために必要な知恵を、AIにはおよそマネできないような優れた機能を発揮して、私がもっとも腑に落ちるような形でプレゼンテーションしてくれているだけなのでは?とまあ、私はそんな風に考えています。
今回の事例で言えば、「好きなことをすると酷い目にあわされる、好きなことをするのは怖い」という、私が生まれてからのどこかの段階で抱え込んでしまった間違った思い込みを、「魔女狩りにあった錬金術師」という物語を疑似体験させることで、「でも、今はもうそんな時代じゃないよね?怖がる必要なんてもうないよね?」っていうことに自然と気づかせてくれた、それだけのことかもしれない。つまり、エリンなんてべつに実在しない、ただのフィクションだった。それだけのこと。
でも、「それだけ」っていうけど、決して「それだけ」じゃないですよね。「人の脳って驚異的だよね」です。本当に前世があるっていうのと同じか、それ以上に奇跡的なことだなと。で、これはもちろん私だけでなく、すべての人間の脳に備わっている機能ですから、だとすれば、この素晴らしい機能をもっと徹底的に活用しないともったいないよね、という話です。
脱線ついでにいうと、私のように前世の存在に懐疑的な人にとっても、前世療法の効果は低減しないので、その点もご安心いただきたいですね。もちろん、前世の存在を本気で信じている方はそれで全く問題ないです。何を信じるも信じないも、個人の自由です。前世療法の効果に影響はありません。
以上、「本当にやりたいことが見つかった前世療法」でした。
ありがとうございました。
(終わり)