皆さん、こんにちは。
あなたは「自分探し」という言葉を聞かれたことはありますか?
分かりやすく言うと、
「今の自分は、本当の自分じゃない」
「本当の自分は、ここじゃないどこかに、きっとあるはず」
という考え方です。
以前、私が面談した方で、会社を辞めた後、
海外に語学留学に行かれた女性がいらっしゃいました。
その方が言われた言葉が、この「自分探し」でした。
今日はその話をします。
その日、私たちが会った目的は、キャリアカウンセリング面談です。
私は転職エージェントのキャリアカウンセラーという立場であり、
彼女は転職活動中の求職者でした。
ここから先は、その面談の際に、彼女が私に語ってくれた内容です。
●ベンチャー企業でのやり甲斐と達成感
彼女が入った会社は、新人に仕事を任せるタイプのベンチャー企業でした。
クライアントのイベント企画を担当する部署に配属された為、
土日の休みは、ほとんど仕事でつぶれました。
同期入社の多くが配属された、新規開拓営業ではなく、
イベントの企画運営という「格好良い仕事」です。
自分が選ばれたという優越感、やり甲斐と達成感と、
周囲の評価もあり、そこまでは順調でした。
ただ、本当によくあるパターンですが、
だんだん、彼女は、はまっていきます。
入社してから3年も経ってくると、毎日、毎週、毎月、時間に追われ、
新しい企画を考えるのが、段々、苦痛になってきました。
仕事のプレッシャー、知識不足、経験不足、
求められるレベル、そしてスピード。
彼女は仕事から追い立てられます。
●見た目重視の服選び
当然、飲み会もありました。
同じ部署の仲間と、夜の10時から一次会スタートです。
それはまだ良いほうで、会議が長引けば、もっと遅い時間から始まります。
当然、帰りはタクシーです。
生活は不規則になり、やがて彼女は太り始めます。
会社は都内の一等地、残業時間も多かった為、
同年代の女性より給与は高く、生活する分には困りませんでした。
たまの休みには、今よりもちょっと大きめのサイズの、
新しい服を買うことが多くなりました。
彼女の服選びのポイントは、次第に変わっていきました。
「かわいさ重視」というより、
「いかに痩せて見えるか」という「見た目重視」の考え方です。
やがて、段々、他人の目が気になってきました。
「みんな黙っているけど、アタシをデブだと思っているはず」
と感じ始めたのです。
●食欲を満たしながら、太らない「裏ワザ」
痩せたいと思いながらも、少しずつ太り続けた彼女は、
ある日、新しいテクニックを身につけます。
いつものように週末の飲み会で遅くなり、
フラフラのまま部屋に戻ってトイレで吐いた時、
偶然、それを発見しました。
食欲を満たしながら、太らないやり方、まさに「裏ワザ」です。
それは「ノドの奥に指を突っ込んで、食べたものを、強制的に吐く」
ことでした。
まず、自分が好きなものを食べるだけ食べる。
それで一旦、食欲を満たす。
そして、トイレへ移動し、かがみこんだ体勢のまま、便座のふたを上げる。
洋式トイレの底にたまった水を見ながら、自分の指をノドの奥まで突っ込む。
さっき食べたものを、ぜんぶ便器へ吐き出すという流れです。
「どれだけ食べても、吐いてしまえばOK。プラスマイナスゼロ」
そう考えると、幾分、気が楽になりました。
しかし、そんな生活が半年ほど続いたある日、はじけました。
その日、たまたま彼女の部屋へ遊びに来ていた妹と会話していた時、
突然、涙が出て、止まらなくなったのです。
泣く理由が分からなかったため、
最初は無理やり笑おうとしましたが、
いつのまにか涙が溢れてきて、視界をふさぎ、
戸惑った妹の顔が、いくつにも重なって見えます。
なぜ、自分が泣いているのか、なぜ涙が溢れるのかも分からないまま、
やがて、嗚咽を上げて、彼女は激しく泣きました。
自分の気持ちと、自分の肉体が分離して、
それぞれが別な方向へ向かおうとしている。
コントロール不能・・・そんな感じでした。
●まるで透明人間
それからきっちり1ヵ月後、彼女は退職しました。
職場の上司は、彼女の退職の申し出をあっさり受け入れ、
退職理由については、深くは聴かれませんでした。
繁忙期ということもあり、クライアントの納期が近かった為、
送別会は見送られました。
有給休暇は未消化だったので、まるまる残っていました。
最後の月にまとめて有給を消化することになり、
出社日が月の半分以下でした。
辞めることが決まって以降、
会社から新しい仕事を振られることもなく、
彼女の仕事は引継ぎだけとなりました。
彼女が担当していた業務は、他の人が引き継ぎ、
問題なくまわっているように見えます。
出社しても、周りは忙しいのに、自分だけやる事がありません。
他の人には自分の姿が見えていないかと思うくらい、
まるで透明人間になったような感じでした。
自分が一人やめようが、会社にとっては、
何も影響がないのだと気づかされました。
そのまま、静かに、彼女は職場を去りました。
●吐きダコ
私は彼女の話に、ひたすら耳を傾けていました。
ただ、自分で食べたものを、すぐに吐くという行為が
信じられなかったので「本当ですか?」と聴きなおしました。
彼女は腕を伸ばし、右手の甲が見えるように、私に差し出しました。
そこにあったのは、アザでした。
それは「吐きダコ」と呼ぶそうです、過食症の人に多いそうです。
ペンの持ち方によって、タコが出来たら「ペンダコ」って呼びますよね?
あの名前と同じ理屈で「食べたものを吐いた時に出来るタコ」
だから「吐きダコ」です。
そのタコは、微かに残っているくらいの
小さな傷でしたが、確かにありました。
彼女が言うには、毎回、吐くときに口の中に自分の右手を突っ込むため、
前歯がちょうど手の甲に当たり、自分の歯で甲が傷ついて、
アザになるそうです。
もちろん、たった数回くらいではアザにはならず、
毎日、毎日、何百回と「食べて吐いて」を繰り返し、
前歯が手の甲にあたる度に、少しずつ傷がついていくと話してくれました。
その「吐きダコ」は、会社を辞めた時点で終わったそうです。
仕事という精神的なストレスが無くなったと同時に、過食症は終わりました。
ただ、吐いた時の胃酸によって、自分の歯が溶けてしまったので、
しばらくの間、治療のために、歯医者に行く必要がありました。
●地中海への語学留学
彼女は、会社を辞めた後、しばらくして海外へ目を向けます。
英語を学ぶために、地中海のマルタ島にある、
語学学校へ入学することを決めました。
そこではアジア、中近東、英語圏以外のヨーロッパ、など、
世界各地の若者が、短期間で英語を学ぶための学校でした。
彼女が英語の本場であるロンドンを選ばなかったのは、
単に勉強だけで終わるのが、イヤだったからです。
マルタ島の語学学校では、ギリシャのキプロス島出身の
若者との出会いと別れがあり、約1年後、彼女は帰国しました。
英語は、ペラペラというレベルではありませんが、
何とか話せるくらいのレベルになったそうです。
何より良かったのは、文法的に間違っていても、
自信を持って話すという「度胸」がついたこと。
●自己啓発セミナー
テーマは「自己否定と自己肯定」
帰国後、彼女は、ギリシャ人の彼との傷心を癒すために、
スピリチュアルへ向かいます。
自己啓発に関する本を読み漁り、人気講師のセミナーへ申し込みます。
そこは、自分と同じような悩みを抱える人たちが
「今とは違う自分」になるための高額なセミナーです。
貯金は、まだ残っていたので、費用は一括で払いました。
その自己啓発セミナーのワークでは、グループトークがあります。
テーマは、自分が覚えている、最も古い記憶をたどって、根源を断つ。
まずは、過去の弱い自分と向き合います。
思い出したくもない、苦い記憶にフォーカスします。
そこで思い出した「痛み」を原動力として、いったん自己否定する。
そこで弱い自分を認め、自分と向き合うことで、新たなエネルギーに変える。
という、ありがちな手法です。
●今のままの自分で良い
生い立ち、親との関係、学校生活、職場、仲間、恋人、
全ての人間関係を振り返る時間です。
弱い自分、自己肯定できない自分、ダメな自分を直視し、
それを受け止めた上で、現在の自分を認める。
やがてセミナーを卒業する時には、
「今のままの自分で良い」
「全ては、自分が成長するために、必要なことだった」
で終わる内容です。
●モチベーションの上げ方は人それぞれ違う
ちなみに、転職コンサルタントである私は、
そういうセミナーを否定はしません。
モチベーションの上げ方は、人それぞれ違うからです。
ある人にとっては読書、ある人にとってはスポーツ、
別に登山でも料理でも、何でも構いません。
自分の気持ちを切り替えて、新たな行動へ促すものは、
基本的にすべて良いことだと思っているからです。
●新しい自分に生まれ変わる
彼女がそのセミナーを終える頃には、
「全く違う人生が開けた」という感覚があったそうです。
ただ、そのセミナーの手法に関しては、
やや博打っぽい考え方だと思いました。
何か一つのきっかけで
「全ての過去をリセットできる」
「新しい自分に生まれ変わる」
という考え方が、私には、やや荒っぽく感じたのです。
高額の自己啓発セミナーに3ヶ月だけ通ったからと言って、
それまでの人生を肯定的に考えられるほど、
人生は単純では無いと、個人的に思います。
その自己啓発セミナーを受講したからといって、
それがそっくりそのまま、「自分に当てはまる」というのも、
ちょっと・・・という気がします。
何よりも、セミナーに行っている時間はハイテンションでいられるけれど、
「自宅に帰ったら一人ぼっちでさびしくなった」という
彼女の心理状態が、微妙な感じです。
●アジアを放浪したバックパッカー
彼女のクラスには、バックパッカーをやりながら、
アジアを放浪した男性がいたそうです。
彼の話はとても魅力的で、
自分もバックパッカーになりたいと思わせるほどでした。
その男性は、アルバイトをしながらの貧乏旅行で、
アジアの仏教寺院を廻ったり、
インドではガンジス川で死体を見たり、
現地の人々との素朴なふれあいがあったり、新鮮でした。
世界を旅することで、自分が生きていることの意味や喜びを味わった
という話は、彼女にとって、特に魅力的に聴こえました。
●自分は探せたのですか?
そこまで聴いてから、私は時計を見ました。
彼女と会ってから、すでに2時間が経っていました。
その日、私と彼女は初めて会い、駅にあるカフェに入って、
彼女が一方的に話し、このバックパッカー男性の話に
たどり着くまで、2時間です。
転職希望者へのキャリアカウンセリングにしては、
時間がかかりすぎています。
通常のキャリアカウンセリングには、
私と求職者との間で、会話のキャッチボールがありますが、
今日はまったく、対話がありません。
私はひたすら聞き役です。
●本当のわたしとは?
彼女の話が一息ついた後、私が、質問しました。
「で、そのセミナーを通じて、当初の目的だった、
自分らしさは探せたのですか?」
「いいえ、結局、本当のわたしが何なのかは、いまだに分かりません」
私はさらに言いました。
「アジアを放浪して、自分が何者か分かるのなら、誰も苦労はしません。
生きるか死ぬかを体験してみないと分からないのなら、
中東やアフリカの紛争地帯に行けば良いはずです。
そこでは、日常的に、死があります。
人の命はお金で売り買いされて、驚くほど安いはずです。
世界中のどこへ行っても、南極に行っても、エベレストに行っても、
自分は自分でしかないと、私は思いますが・・・」
●彼女の前世
私の話には答えず、彼女はそのまま、
今は、前世占いにはまっていると言い始めました。
「私の前世は、吟遊詩人らしいのです。
生きていた時代は中世のヨーロッパ。
王族をパトロンにして、ヨーロッパ各地を廻っていたそうなんです。
これって、たぶん、当たっていると思います」
私は尋ねました。
「自分が吟遊詩人だと分かって、何か変わりましたか?」
彼女は、微笑みながら、答えます。
「はい、つまり、私は、生きるためだけに働くことが、
どうしても苦手なのだと思います」
●本当の自分と出会える場所
私は言葉を選びながら、彼女に言いました。
「私は普通の人間です。
超能力者ではありませんし、人のオーラも見えません。
自分の前世が何かも知らない、ただの転職コンサルタントです」
「そんな凡人である私の印象に過ぎませんが・・・。
あなたにとっての”自分探し”とは、
私には“たまねぎの皮むき”のように見えます」
「むいてもむいても、結局、終わりが無い、
たどり着けない世界、という意味です」
「それがムダだとは思いませんが、近づけば遠ざかる、
蜃気楼のようなものではないでしょうか」
私はさらに、続けます。
「そもそも私自身は、自分という実体など、
どこにも存在していない、と思っています。
「それは、他人との関係性において、初めて見えてくるものだからです。
生きていく中で、人と交わる中で、少しずつおぼろげに見えてくるもの。
・・・それが自分なのだと思います」
彼女の目を見ながら、私はさらに続けました。
「どこか遠くの場所に行けば見つかるとかじゃなく、
麻薬による神秘体験や幻覚でもなく、
生きるか死ぬかの極限状態でもなく」
「何気ない日常の中にこそ、日々の生活の中にこそ、
本当の自分があるのだと思います」
「つまり、他人の中で生きることで、
自分が何者なのかが、少しずつ分かってくるのだと思います」
・・・彼女は、私の話を聞いたあと、黙って椅子から立ち上がり、
「今日はあなたにお会いできて良かったです、有難うございました」
と言い残し、私の方を一度も振り返ることなく、
人込みの中に消えていきました。
ー 了 ー