皆様、こんばんは。
産土神社鑑定士・開運カウンセラーの
佐藤舞由加です。
日々、産土(うぶすな)信仰を通して、神様と
自分自身に向き合う大切さを感じております。
よく、こんな切実なご質問をいただくことがあります。
「周りの人を大切にしている素敵な方が、なぜ大きな病気になってしまうのでしょうか?」
暴飲暴食やストレスで体を壊すのは自明のことかもしれません。
けれど、慈しみ深い方が大病を患い、時には命を落とす姿を目の当たりにすると、
私たちは「どうして?」と天を仰ぎたくなりますよね。
今日は、病気が持つ「魂の真実」について、私自身の体験も交えてお話しします。
精神性の高さと「病」は別次元のもの
結論から申し上げますと、病気は、魂のレベルとはまったく関係のないところに存在しています。
どれほど魂が清らかでも、肉体を持つ人間である以上、病は訪れます。歴史上の偉人や高僧もそうでした。
• 聖徳太子:日本の礎を築いた聖者も、晩年は病に伏しました。「この世は仮の姿であり、真理こそが真実である(世間虚仮 唯仏是真)」という言葉を残し、病の苦しみさえも超えた境地で一生を閉じられました。
• 空海(弘法大師):偉大な高僧でありながら、最後は病の痛みを受け入れながら入定されました。
• 正岡子規:寝返りも打てない激痛の中で「悟りとは、どんな状況でも平気で生きていることだ」と説き、命の火を燃やし尽くしました。
人間は病から学ぶことがあまりにも大きいため、それは魂の向上に不可欠なプロセスなのです。
私を包んだ「光」の記憶
かくいう私も、幼い頃から体が弱く、かつて臨死体験をしました。
その時、私を包み込んだのは、恐ろしい暗闇ではなく、あたたかく神々しい「光」でした。
あの光を経験したからこそ、確信を持って言えることがあります。
病は「罰」ではありません。前世のカルマの清算であったり、今生で魂を磨くために自ら選んできた「避けることのできないハードル」であったりするのです。
死の淵で私を包んだあの光こそが、まさに真理そのものなのではないでしょうか。
肉体という器に終わりがきても、光としての本質は決して失われることはありません。
産土神様がくれる「助け舟」
産土信仰をしていれば病気にならない、というのは人間のエゴです。
しかし、産土神様と深く繋がっていれば、不思議と「大きな助け舟」が入ります。
• 大事に至る前に、ふとした直感で気付かせてくれる
• 必要な治療法、心強い支援者など、その時に最も必要な「良き縁」へと導いてくれる。
たとえ病を得たとしても、「大難を小難に」変えるような、守護の神さまからの大きな御加護が起こるのです。
誰もが人生の「勝利者」になれる
人生とは、経験の積み重ねです。
どんなに望まない形であっても、やってきた運命をありがたく受け入れ、味わい、そこから学び取ること。
生まれた瞬間から最後の一息まで、逃げずに自分の人生を生ききること。
そのプロセスこそが、魂の向上そのものです。
最後をどう迎えるかではなく、どう生ききったか。
それこそが、私たちがこの世に生まれてきた真の目的であり、誰もが手にできる「勝利」なのだと信じています。